MA社会研究所情報

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人間復興の経済学。共産主義者になった河上肇と厚生経済学を説いた福田徳三。

2012-07-30 12:48:21 | 経済
テレビで、人間復興の経済学という番組を見た。戦前に共産主義者になった河上肇と厚生経済学派の福田徳三の話で、両者は議論の相手でキリスト者だった。河上は農業は営利主義ではなく利他主義でないといけないと考えた。福田は農業の貨幣経済化を考えた。輸入米に関税をかけるかという課題に、河上は賛成し福田は反対して議論した。河上はヨーロッパに留学し、第一次大戦後のロンドンに住んだ。イギリスは階級社会で山高帽の英国紳士が靴磨きを見下して靴を磨かせていた。大地主と貧民の貧富の差が大きかった。河上は日本に帰国してから貧乏物語を書き朝日新聞に連載された。イギリスでは2%の金持ちが富の71.7%を所有していた。日本でも働いても貧乏なワーキングプ―アを石川啄木が詩にかいた。福田はドイツのブレンターノの説を学び、人間には生存権があるといった。1919年のドイツのワイマール憲法にはこの考えが盛り込まれた。それまでは貧乏は働かないからで、罰するというエリザベス救貧法の考えが強かった。河上は欧米の学者によらず自分で考えることにした。河上は贅沢をやめようといい、福田は金持ちは自制心がないといった。社会主義の堺利彦は、河上も福田も道徳と経済論を混同していると批判した。1917年にロシアで共産主義革命が起きた。河上はマルクスの研究を始めた。福田は吉野の大正デモクラシー運動に加わり、普通選挙を求めた。共産主義の労働者独裁に反対し全国民での社会改良の道を考えた。1925年に治安維持法でができて共産主義者を逮捕した。河上も逮捕された。1929年に世界恐慌が起き、東北では女性が身売りしていた。日本軍は満州事変を起こして中国侵略を進めた。福田は価格経済を超える生存権の社会政策という本を書き、厚生経済学をすすめた。現代は新自由主義で世界経済グローバル競争の時代になり、むき出しの資本主義になった。日本国憲法でも人間の生存権を認めている。市場競争より人間重視の経済学にしなければならないという。洪水や大災害が起き、噴火や大地震の起きる恐れがある。人間を助けなければならない時代だろう。

隅田川の花火大会。さまざまな花火が打ち上げられた。評価するのが難しい。

2012-07-28 23:43:49 | Weblog
テレビで、隅田川の花火大会を見た。雨も降らず天気も良く、むし暑くて花火見物日和だった。今年はスカイツリーが見えるかと思ったが、夜で花火はかなり上に上がるのであまり見えなかった。浴衣姿の出演者が並び感想を述べている。いろいろな花火があり、コンテストで評価するために覚えておくのが難しい。若いころは花火大会の会場に出かけて、ドンという腹にこたえる花火の爆発音を聴き。花火の燃えがらなどを浴びたものだが、隅田川のあたりはビルが多く人混みになりあまりよく見えない。家でテレビで見るほうがよく見える。テレビは便利だ。

ロンドンオリンピック開会式。イギリスの歴史を表現するショー。選手の入場行進。聖火点火。

2012-07-28 15:52:31 | 社会
テレビで、ロンドンオリンピックの開会式を見た。ロンドンの東部の貧民、移民街の真ん中にモダンなスタジアムを作り都市再開発をした。オリンピック後は選手村は住宅街になるのでマンションのように設計され、4人で一軒に泊っている。選手の食堂では世界中の料理が1300種類も用意されているという。
開会式はイギリスの歴史をたどって緑の芝生と植物で農村時代、煙突と製鉄で工業時代、ベッドと看護婦で福祉社会時代を表現していた。エリザベス女王が開会を宣言して、各国選手団が入場行進した。聖火はサッカーのベッカム選手が川をボートに乗って運びこみ、スタジアムにリレーして、最後は7人の若者が聖火を持って地面に並んだ花びらのような物に点火し、花弁は持ち上がって束になり大きな聖火のたいまつになった。元ビートルズのポールマッカートニーさんらがヘイジュードを歌い、イギリスらしい開会式だった。
スポーツも多種類あるものだメダルの数も多いのだろうと感じる。戦い競争するのに平和の祭典だというが。たしかに平和でないとできないことだろう。新しいロンドンの様子が見れるし、懐かしい街並みも見られるありがたいことだ。

モンゴル帝国を築いたチンギスハン。パオというテントに住み、馬を使って広大な地域を支配した。

2012-07-28 01:55:54 | 社会
テレビでモンゴル帝国を築いたチンギスハンの話を聴いた。伝説ではチンギスハンは蒼き狼と白い鹿の間に生まれたという。馬を使った軍隊でモンゴルの草原を駆け廻り、ヨーロッパから朝鮮までの広大な領域を支配した。住まいはパオという円形のテントで、木枠でテントの外周の柱を作り、布をかぶせて直径15mぐらいのテントを作った。分解して運べた。三代目が大都に広大な都を作ってからも、宮殿の中庭にパオをいくつも並べて草原時代と同じ暮らしをしていた。大都は海にもつながっていて、マルコポーロはヨーロッパから陸路で来て、ヨーロッパに海路で帰り東方見聞録を書いた。日本も黄金の島ジパングとして世界に紹介され有名になったという。モンゴルの人は日本の相撲でも強く、大きなヨーロッパ人を倒している。世界に広がる大帝国を築く力があったのだろう。

富士登山。広々としたスロープの黒い溶岩だらけの山道をジグザグで登る。強風と雨で大変。山頂で虹を見る。

2012-07-28 00:29:10 | 社会
テレビで、お天気キャスターが富士山に登る番組を見た。何回も富士山に登っている人で、山頂へ走りあがるレースにも参加したことがあるという。富士山の登山道は黒い溶岩がごろごろしている。火山で焼け焦げたようで花も緑も少ない広い山麓をジグザグに上がっていく。女性や外国人も多い。8合目に来ると下に雲海が広がっているのが見える。雲の形で強い風が吹きそうだとわかる。雲の中に突っ込み、強風にあおられて8合目で登山を中止する。次の日に再び山頂を目指し、カメラクルーと合流して山頂にたどり着く。富士山頂の塔が建っている。空に虹が見えて詩的な気分になる。富士山の山頂や登山道がどうなっているのかわかった。知り合いの若者がが10年ぐらい前にに登ったというがこういう道だったのだろう。