MA社会研究所情報

宇宙、世界、日本の歴史や未来。日常生活、社会情報を、しぐれ猫がお伝えします。

日清、日露戦争で勝ち、世界最大級になった日本海軍が太平洋戦争で米軍と闘い滅びる。

2012-11-18 22:43:16 | 社会
DVDで大映が制作した「海軍」という映画を見た。太平洋戦争時代の様子がわかる。日本海軍は幕末に勝海舟が海軍の基を作り、坂本竜馬などが学んだ練習所を基にして明治2年に創設されてた。海軍兵学校は最初は東京の築地にあり、その後広島の近くの江田島に移った。中国との日清戦争で勝ち、ロシアとの日露戦争では日本海海戦で大勝利した。1930年代には多くの軍艦を保有して世界の大海軍の一つになっていた。軍国主義の時代で軍人が政治を左右していた。、若者は大学に進まず、海軍兵学校に入った。陸軍士官学校と並び成績優秀な学生が入っていた。陸軍は権威主義的なドイツ式だったが、海軍は英国式で自由な雰囲気でスマートで人気があった。
映画では田舎の農家の息子が貧しいので大学に進まず、海軍兵学校を受験して合格する。同級生の友人も陸軍士官学校に合格する。海軍兵学校では厳しい上官に怒鳴られいじめられる。ボートを漕いだり、登山練習をして体力をつける。軍艦が大砲を撃ち合う時代から、航空機で戦う航空母艦が主力の時代になっていた。山本長官は日本が米国にかなうとは思っていなかったが、1941年12月に真珠湾を攻撃して開戦した。1942年6月のミッドウェ―海戦で主力の空母4隻を失い日本は守勢に回った。主役の若者もラバウル航空隊の隊長になりゼロ式戦闘機で空中戦を戦う。陸軍にはいった同級生とめぐり合う。山本長官機の護衛をするが長官機は撃墜されてしまう。傷ついて本土に帰り海軍兵学校の教官になり、厳しく学生を鍛える。沖縄に転勤命令が出て死ぬ覚悟で海軍兵学校を出ていく。軍艦マーチや海軍の歌で時代を感じることができた。私の母方のひいおじいさんが海軍兵学校で英語の教師をしていたという。先祖は海軍燃料所を徳山に開設したという。母方のおじさんが軍艦好きで、中学生時代に勇壮な軍艦の写真や本を読ませてもらったので、私も軍艦好きになった。我が家の伝統でもある。現代の海上自衛隊は海軍の伝統を受け継いでいるが、昔の敵であった米国空母艦隊を護衛する立場になっている。

東西交流。紀元1世紀ごろから西のローマ帝国と東の漢帝国の交流があった。

2012-11-18 00:51:56 | Weblog
放送大学で東西の交流を見た。紀元1世紀のころの世界は西にローマ帝国があり、東に漢帝国があった。中央アジアにクシャン王朝があり、インドにも王国があった。各文明は交流があり、ローマ帝国と漢帝国の間で多くの文物が交流されて硬貨などが残っている。マレー半島を海から迂回するのは大変なので、インド洋側の港に陸揚げして、人が東海岸まで運んで中国へ送られていたという。1世紀のころから東西の交流はあったようだ。

防衛大学校の棒倒しを見た。50人の防衛隊が守る棒を100人の攻撃隊が突進して倒す。

2012-11-18 00:29:23 | Weblog
テレビで、防衛大学校で行われている棒倒しの様子を見た。150人ぐらいずつ4組に分かれて優勝を争う。長さ4mぐらいの丸太を立てて、棒の周りを50人ぐらいで固めて守る。人の円陣のうえに総長が乗って棒がたおされないように守る。開戦の合図とともに100人ぐらいの攻撃隊が突進していく。防衛隊が殴ったりけったりして突進を食い止める。円陣に取りついた攻撃隊の背中にとび乗って突攻隊が円陣の上部に登り、棒を押し倒そうとする。殴り合い蹴りあいの末に、数分で棒が倒される。先に倒したほうが勝ちになる。勇壮な試合だがけが人が出そうだ。棒倒しは海軍兵学校の名物だ。高校時代の運動会でも棒倒しがあり、興奮して突撃して蹴られて痛い目にあったり、防衛隊になって棒を抱えて倒されないように頑張って、人が折り重なって窒息しそうになったことを思い出す。領土問題などでファイトが必要な時代になってきたようだ。