MA社会研究所情報

宇宙、世界、日本の歴史や未来。日常生活、社会情報を、しぐれ猫がお伝えします。

放射線は普通は年間1ミリシーベルトまで、20ミリシーベルトで避難。7000ミリシーベルトで死ぬ。

2011-04-26 15:30:01 | Weblog
放射線はどれくらい浴びても大丈夫なのか。新聞記事では、普通の人は年間1mmシーベルトと決まっている。原発事故の場合では20~100mmシーベルトで避難する。日本では20mmシーベルトにした。作業員は250mmシーベルトまで。1000mmシーベルトで10%の人が吐き気を感じる。3000mmシーベルトで毛が抜ける。4000mmシーベルトで50%の人が死ぬ。7000mmシーベルトで全員死ぬという。

ヨーロッパ史。キリスト教修道院は中世の祈りと労働の日々から、世界に向かう托鉢修道会、宗教改革へ。

2011-04-26 14:50:57 | Weblog
放送大学でキリスト教の修道院の話を聴いた。12世紀になるとキリスト教は堕落してきた。華美な装飾をするクリニュー修道会に対してシトー会は質素に生活して、孤独、禁欲、沈黙の修行を行うために荒地に行き、祈りと労働を行った。シトー会はフランス、ドイツ、スペイン、イギリス、イタリアに拡大し、12世紀中に350個の分院ができた。12世紀のノワールウック修道院は畑と森に囲まれた環境で中庭があり、回廊がめぐらされていた。農産物を都市で販売した。キリスト教は貨幣経済を認めず、貪欲さは悪徳であるとし、もうけた人々は良心の呵責に苦しんでいた。清貧が求められた。ワルドー派や善悪の対立を説くカタリ派というキリスト教の異端派がでてきた。教会建築様式は簡素なロマネスクから豪壮なゴシックになった。フランスのアミアン大聖堂は豪壮な尖塔を持ち、内部は華麗な光のステンドグラスに囲まれて、神の家を実現し救済のシンボルになった。ケルンの大聖堂は13世紀から工事が始まり19世紀後半に完成した。土地も財産も持たず、喜捨で修行する托鉢修道会ができた。ドミニコ会やカルメル会、フランシスコ会ができた。祈りと労働の中世の修道院から変化してきた。ドミニコ会は学識者が多く、パリ大学を作った。ペスト、飢饉、百年戦争で荒れた時代だった。フランス王に教皇が負けて、南仏のアビニオンで捕囚になった。1453年にオスマントルコ帝国にビザンツが滅ぼされた。神父は腐敗、堕落して、免罪符を売って教会の改築をしようとした。ルターは免罪符を批判して宗教改革が始まった。