放送大学で中央アジアの歴史を聴いた。
7~8世紀に中央アジアはイスラム化した。キルクイスラム文化はチュルク語を核としたが、イスラム文化を受容した。辞典や君主のための道徳指南書ができた。
イラクのバクダッドやスペインのコルドバがイスラム文化の中心だった。神学、医学、天文学など世界最高の水準になった。モスク建築も発展した。コルドバのメスキータが残っている。アラベスク文字も、模様としてデザインされた。異民族にイスラム教が広がり、イラン語やチュルク語が使われた。民族色のあるイスラム文化になった。当時の地図は東の中国が上で、西のインドが下に描かれていた。ヨーロッパはなかった。日本は東の端に描かれていた。農業は土地の塩分を取り除くのが重要だった。小麦、大麦、ごま、なす、ほうれんそう、かぶら、大根、にんにく、からしが作られ、パンが主食で、脱穀に牛を使っていた。イランからブドウ栽培を学んだ。紅花で染色した。
7~8世紀に中央アジアはイスラム化した。キルクイスラム文化はチュルク語を核としたが、イスラム文化を受容した。辞典や君主のための道徳指南書ができた。
イラクのバクダッドやスペインのコルドバがイスラム文化の中心だった。神学、医学、天文学など世界最高の水準になった。モスク建築も発展した。コルドバのメスキータが残っている。アラベスク文字も、模様としてデザインされた。異民族にイスラム教が広がり、イラン語やチュルク語が使われた。民族色のあるイスラム文化になった。当時の地図は東の中国が上で、西のインドが下に描かれていた。ヨーロッパはなかった。日本は東の端に描かれていた。農業は土地の塩分を取り除くのが重要だった。小麦、大麦、ごま、なす、ほうれんそう、かぶら、大根、にんにく、からしが作られ、パンが主食で、脱穀に牛を使っていた。イランからブドウ栽培を学んだ。紅花で染色した。