MA社会研究所情報

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1991年の湾岸戦争の戦車戦は。夜も砂塵のなかでも赤外線で見えている米英戦車の圧勝。

2009-06-02 00:32:43 | Weblog
1991年の湾岸戦争も歴史の一部になり、当時は知らされなかった戦車戦が雑誌の記事になった。
イラク軍がクウェートに侵入したので、アメリカ、イギリス、フランスなどの多国籍軍がクウェート奪還をめざして1991年1月17日に爆撃を開始し、湾岸戦争が始まった。
当時はすぐに戦争が終わったので、詳しい戦況は報道されなかったが、両軍の機甲部隊は戦車7000両を擁して砂漠で大戦車戦を行っていた。
最初のリバリの戦では、地上戦二日目の25日にクウェート南部に攻め込んだ米海兵師団のM1戦車13両がイラク戦車師団のT72など40両を撃滅した。
早朝でイラク軍は米軍に気づいていなかった。
26日夕刻の73イースティングの戦いでは、イーグル中隊が待ち伏せていたイラク親衛隊の戦車を楔隊形で撃破した。後方のイラク軍の戦車隊は円陣を組んでいた。
26日深夜のノフォークの戦いでは米歩兵師団がイラク親衛隊の戦車の防壁に突入した。夜間の戦車戦になった。同士討ち防止と撃ちもらしをなくすために一列の横隊を組み、90cm間隔で戦車を並べて前進した。戦車を背後の敵の歩兵から守るために後方を装甲車が進んだ。鋼鉄のローラーをかけて敵陣を踏み潰していくようだった。三時間で戦車など60両を破壊し敵陣をつぶした。
右翼から攻撃した支隊は戦車をダイヤモンド隊形にして敵陣突破を目指した。全戦車が猛烈に敵陣になだれこみ、次々に敵戦車を破壊していった。戦車40両、装甲車50両を破壊した。友軍の装甲車も2台破壊してしまった。
27日昼のメディナ・リッジの戦いは湾岸戦争で最大の戦車戦だった。イラク親衛隊メディナ戦車師団と米第一機甲師団が戦闘を行った。真昼の決闘という状況だったが砂塵のために視界が悪く肉眼では見えなかった。赤外線探知機で熱源の戦車を探し、砲撃して破壊していった。イラク軍のT72戦車の暗視装置は旧式でみえず、米軍M1戦車の発砲炎に向けて打ったが移動しているので当たらなかった。45分間の射撃戦でイラク軍の戦車69両、装甲車34両が炎上した。
米M1A1戦車が圧倒的に戦車戦に勝利した。イラク軍戦車1000両を破壊し、米M1戦車は18両が破壊された。半数は同士討ちで2両がT72に至近距離で破壊された。
2003年3月に始まったイラク戦争はフセイン政権を打倒する目的で行われた。
湾岸戦争と違い大規模な戦車戦は行われなかった。米軍の精密爆撃とすでにイラク軍が疲弊していたためだった。バクダッドの入り口でT72戦車と米M1戦車との交戦があったが、T72は破壊された。4月7日に米旅団がバクダッドに突入しフセイン政権は崩壊したが、反米勢力が支配する地方都市が内乱状態になった。市街地戦ではM1戦車と装甲車がペアを組み、ビルの上からの攻撃や地雷を熱線映像装置で探知して戦った。装甲車の機銃は仰角60度まであげられるのでビルの屋上の敵を撃つことができた。連日待ち伏せ攻撃はあり、2009年5月には戦死者は4300人に達しているという。