徐京植『ディアスポラ紀行 ―追放された者のまなざし―』(岩波新書、2005年)を読む。
著者は在日コリアン2世である。拠って立つ母国や母語、共同体、文化を故郷とするならば、それらからマイノリティの立場に追いやられ、石もて追われてしまうディアスポラたちを、その眼から視て思索した書である。それは、在日コリアンのみならず、ナチの絶滅収容所を生き延びたプリーモ・レーヴィであり、ナチから逃れたシュテファン・ツヴァイクであり、カール・マルクスであり、光州を生き延びた者たちであり、ピノチェト圧政下のチリから逃れた者たちであり、その他数えきれないほどの者たちであった。
「彼らは、新たに流れ着いた共同体で常にマイノリティの地位におかれ、ほとんどの場合、知識や教養を身につける機会からも遠ざけられている。そうした困難を乗り越えて言葉を発することができたとしても、それを解釈し消費する権力は常にマジョリティが握っている。その訴えがマジョリティにとって心地よいものであれば相手にされるが、そうでない場合には冷然と黙殺されるのだ。」
アイデンティティは常に受苦とともに揺れ動き、著者ですら、ディアスポラであった故に光州に居なかった事実をもって、「つねに変化の「外」に身を置き続けていたのではないか」、と自問している。
レーヴィはイスラエルという国家の存在を必要としつつも、その後強まった攻撃的なナショナリズムを憂慮し、ディアスポラのユダヤ人にはそれに「抵抗する責任」があり、かつ「寛容思想の系統」を守るべきだと主張している。だが、ナショナリズムに関してそのような声は圧倒的に小さい。70年代、軍政下の韓国でこんな詩を書いた金芝河さえ、その後、ナショナリズムの陥穽にはまってしまったという。
「夜明けの路地裏で
おまえの名を書く 民主主義よ
ぼくの頭はおまえを忘れて久しい
ぼくの頭がおまえを忘れて あまりに あまりに久しい
ただひと筋の
灼けつく胸の渇きの記憶が
おまえの名をそっと書かせる 民主主義よ」
(金芝河『灼けつく渇きで』より)
著者は、ベネディクト・アンダーソンを引用し、ナショナリズムに関してこう言う。「死者への弔い」が、たえず「他者」を想像し、それとの差異を強調し、それを排除しながら、「鬼気せまる国民的想像力」によって、近代のナショナリズムを強固にしているのだ、と。この、かけがえのない「死」とナショナリズムとの関係には動揺させられるものがある。
「自分はたまたま生まれ、たまたま死ぬのだ、ひとりで生き、ひとりで死ぬ、死んだあとは無だ―――そういう考えに立つことができるかどうかに、ナショナリズムへの眩暈から立ち直ることができるかどうかは、かかっている。」
レーヴィと同様にアウシュビッツに送られたジャン・アメリーは、ユダヤ人であるという運命を引き受け、同時にその運命に反抗を企てることを自分に課した。そのために必要なことは「殴り返す」ことだった。自らの尊厳を主張するために「殴り返す」。
ドゥルーズ/ガタリのいう分子状の生成変化、すなわち<他者になる>ことは、いかに可能だろうか。<私>は、<私>に押しつけられた不条理な運命を「殴り返す」ことができるだろうか、べきだろうか。<他者>に押しつけられた運命をいかに「殴り返す」ことができるだろうか、べきだろうか。そんなことを考える。
●参照
○T・K生『韓国からの通信』、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(光州事件の映像)
○四方田犬彦『ソウルの風景』(光州事件)
○ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』(中)
敵の言葉=ドイツ語で書くという紹介ですね。この点が(本書ではそのように書かれていませんが)在日コリアンの小説家にも共通するところでもあるのでしょうか。