増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社、2011年)を電子書籍で読む。
戦前の柔道は、いまのものとは比べ物にならないほど苛烈な武術であった。スポーツではなく、戦闘体系である。
その歴史のなかに屹立する木村政彦という柔道家は、文字通り最強であったという。あらゆる格闘技を貪欲に取り込み、敵う者は内外にひとりとしていなかった。しかし、その存在は、大日本帝国時代の社会と切っても切り離せぬものでもあり、そして、木村政彦は、無思想かつ無邪気であった。このふたつの相容れぬ歪みが、木村の人生をねじ曲げてゆく。
戦後、柔道家としてだけでは食っていけぬ木村は、プロ柔道とプロレスを開拓する。また、植民地時代の朝鮮に生まれ、日本人になりきろうとした力道山も、その流れに交錯する。そして、筋書きが決まっていたはずのプロレス勝負において、木村は、力道山の底知れぬ謀略の前に敗れてしまう。
プロ興業を是としない柔道界は、その後、弱体化を続けた。一方、木村がブラジルにおいてエリオ・グレイシーとの闘いによって撒いた種は、ブラジリアン柔術や、ヴァーリ・トゥードや、総合格闘技へと育つことになる。
もし、日本の柔道が格闘技の諸要素を切り捨てる道を選ばなかったなら、私たちはオリンピックで何を観ていただろうか、あるいは観なかっただろうか。木村にもう少し悪知恵があって、実力差通りに力道山を破っていたら、日本のショープロレスは別のかたちになっていたのだろうか。木村が海外巡業に出なかったとすれば、総合格闘技の世界地図も変わっていただろうか。歴史に「れば、たら」はないが、そんなことを思ってしまう。
執念というのだろうか、著者のしつこいほどの追求と思いが、本当に胸をつく。
本書は、まもなく新潮文庫から、写真を追加して出されるようだ。大推薦。
●映像記録
○木村政彦 vs. エリオ・グレイシー(1951年)
○木村政彦 vs. 力道山(1)(1954年)
○木村政彦 vs. 力道山(2)(1954年)