Sightsong

自縄自縛日記

『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』

2014-02-11 10:16:20 | 九州

NNNドキュメント'14」枠で放送された『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014/1/19放送、鹿児島読売テレビ放送)を観る。ナレーターは元ちとせ。

日本の敗戦から1953年末まで、奄美群島は米国統治下にあった。

黒糖などには関税が課せられたため生活が苦しく、飢えをソテツ(入念にアク取りをしないと死に至る)やサツマイモでしのぐ日々。「B円」という独自通貨の利用を強制され、また、なかなか「本土」への渡航が認められなかったため、交易もままならない。したがって、人びとが取った手段は密航であった。

番組には、当時、「陳情密航団」を組織した人が登場する。鹿児島に渡った後に乗った鉄道の中で逮捕され、十日間の拘留ののち、米国大使館に陳情に赴いたという。そのとき面会した米国大使館員は、「最低3年間、長くても10年間」のうちには、奄美群島が日本に戻されるだろうとの発言をしている。奄美では、復帰を求めてのハンガーストライキもなされた。

そして、「無血」での日本への施政権返還。

「陳情密航団」の人は、学校で体験談を語るとき、「日本人の誇りを忘れないよう」と言う。また別の人は、日本に戻ってよかったと言う。

一方、米国に軍事的機能を提供するため、施政権の返還が遅れ、現在さらにその機能が強化されている沖縄と比較すると、あまりの違いに驚いてしまう。勿論、良し悪しの問題でも倫理の問題でもない。

●参照
島尾ミホ『海辺の生と死』
島尾ミホさんの「アンマー」
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
里国隆のドキュメンタリー『白い大道』
1985年の里国隆の映像

●NNNドキュメント
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年、1963年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)