Sightsong

自縄自縛日記

ジョン・W・ダワー+ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』

2014-02-01 09:26:02 | 政治

大阪への行き帰りの新幹線で、ジョン・W・ダワー+ガバン・マコーマック『転換期の日本へ 「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』(NHK出版新書、原著2014年)を読了。

沖縄の米軍基地問題に抗するものとして、「押し付けられた常識を覆す」という言葉がある。本書においてふたりの論客が述べることは、まさに、戦後日本を何重にも覆ってきた「常識」の狡猾な姿そのものだ。本当に、中国は「領土拡張に燃える覇権国家」なのか? 北朝鮮は単なる「犯罪国家」「狂える国家」なのか? それらを当然視して思考停止に陥ってはならない。

サンフランシスコ講和会議には、建国間もない中国も、それまで政府の中心であった国民党も、戦争中の南北朝鮮も呼ばれていない。ソ連は参加したが署名はしていない。終戦時のパワーバランスと冷戦構造を反映した、あきらかに歪なかたちである。しかし、これを起源として、日米安保体制も加え、戦後の日本が形成されていくことになった。

最大の被害地のひとつ沖縄は、この歪な体制により、さらなる抑圧の対象であり続けた。(なお、日本側からの差し出しの働きかけもあったことを忘れてはならない。>> 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』

中国や韓国との間に横たわる領土問題も、この機を逃し、解決どころか、どけようにもどけられない石になってしまっている。もっともこれは、国境において絶えざる軋轢を生みつづけるため、米国が敢えて曖昧なままに残した種であった(オフショア・バランシング)。

本書では、それだけでなく、鹿児島の馬毛島や沖縄の八重山諸島といった「辺境」の地が、「帝国」によって、意図的に「辺境」のままに据え置かれ、内在的な発展を阻まれ、米国の軍備体制に差し出されつつある現状を示している。これは、著者のいうように、極めて歪んだ「米国の属国」が、過剰なほどに宗主国に仕え、過剰なほどに自国を抑圧する姿なのである。 

いまだけが「転換期」なのかわからないが、そうかもしれない。少なくとも危険な種が芽をふいていることは確かである。一読をすすめたい。

●参照
ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ
豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』
孫崎享・編『検証 尖閣問題』
孫崎享『日本の国境問題』