Sightsong

自縄自縛日記

『ルイズその絆は、』

2019-08-08 21:54:16 | 政治

駒込の東京琉球館で、テレビドキュメンタリー作品『ルイズその絆は、』(1982年)を観る。

伊藤ルイが60歳になるころの貴重な記録である。

このときには大杉栄、伊藤野枝、橘宗一の墓石は福岡の西光寺に移されたばかりだった(その後ふたたび移転)。これは藤原智子『ルイズその旅立ち』にも描かれているように、戦後までお上の目にとまらぬように隠しおおされていた。なぜならば栄と野枝とが反政府のアナキストであり、また、裏面には宗一少年について、その父・橘惣三郎が「犬共ニ虐殺サル」と刻んだからである。

映像では、その墓石の表面に「吾人は/須らく愛に生きるべし/愛は神なればなり」と刻まれていたと紹介する。のちに栄の妹・あやめと離婚するときにあやめを切りつける惣三郎にも、栄に共鳴し堺利彦の娘婿・近藤憲二と再婚したあやめにも、あまりにも激しい気性と愛を強くもとめる心とがあった。

5人の栄・野枝の遺児(魔子、最初のエマ、次のエマ、ルイズ、ネストル)が受けた迫害はかなりのものだった。事件後かれらは全員改名した(真子、幸子、笑子、留意子・ルイ、栄)。もちろん父母の累が及ばぬようにという配慮だった。しかしルイはある年齢から自分を隠さず生きた。「もういちど生まれかわるとしたらまた伊藤になりたい」と言ったという。やはりこの人の生き方には胸を衝かれる。

番組の最後は、ルイも関わった会の名前にも結び付けて、「戦争への道を許さない者たち、われわれ」という言葉で締めくくられる。これがいま伊藤ルイとその縁を思い出す大きな意味である。

●参照
伊藤ルイ『海の歌う日』
藤原智子『ルイズその旅立ち』
亀戸事件と伊勢元酒場
加藤直樹『九月、東京の路上で』
藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』
南喜一『ガマの闘争』
田原洋『関東大震災と中国人』
植民地文化学会・フォーラム「内なる植民地(再び)」
山之口貘のドキュメンタリー(沖縄人の被害)
平井玄『彗星的思考』(南貴一)
道岸勝一『ある日』(朝鮮人虐殺の慰霊の写真)
『弁護士 布施辰治』(関東大震災朝鮮人虐殺に弁護士として抵抗)
野村進『コリアン世界の旅』(阪神大震災のときに関東大震災朝鮮人虐殺の恐怖が蘇った)


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