ジャック・ラカン『アンコール』(講談社選書メチエ、原著1975年)を読む。1972-73年の講演録である。
あまりにも晦渋で困ってしまう(ラカン先生、3頁にまとめてください)。それでもイメージとして理解したのはこのようなことだ。
シニフィエとシニフィアンとの恣意的な関係は、シーニュは、享楽に、愛に、セックスにはない。その過程で対象が特定され自らを他者に投影することは無いし、あると考えるとすればそれは狂っている。すなわち、セックスとは「書かれないことをやめない」。
愛と性交と享楽に関して展開されているから特別のそれだけの話かと思ってしまいそうだが、これは極めて普遍的な他者論なのだろう。
●ジャック・ラカン
ジャック・ラカン『二人であることの病い』
斎藤環『生き延びるためのラカン』