清水克行『耳鼻削ぎの日本史』(文春学藝ライブラリー、原著2015年)を読む。
耳鼻削ぎと言えば豊臣秀吉の朝鮮出兵時になされたことが知られている。それは確かに秀吉の異常な命令によるものでもあったが、実のところ、さほど珍しい行為でもなかった。特に戦国時代に、相手軍の兵士を殺した証拠としてよく使われた手法であった(首は重い)。それに伴い、上唇を鼻と一緒に削いで男だという証明とするなどルール化も進んだようである。(書いていて気持ちが悪くなってくるね。)
しかし、耳鼻削ぎはそれに始まった行為ではなかった。中世において、死刑には重すぎ、追放だと軽すぎるような場合の刑として、わりと普通に使われていたという。刑罰のひとつの段階に過ぎなかったということである。しかし、その対象は女性の場合が多かった。
場所によって異なるが、この行為は江戸時代のはじめのころには廃れた。いちどは見せしめとして使われた権力行使手段が別の形に変化する様は、時期は同じようなものとはいえ、ミシェル・フーコー『監獄の誕生』に描き出されたヨーロッパのそれとは異なるように思える。