Sightsong

自縄自縛日記

加藤直樹『九月、東京の路上で』

2014-04-03 08:09:00 | 関東

加藤直樹『九月、東京の路上で』(ころから、2014年)を読む。

1923年9月1日、関東大震災。その直後に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れている」といったデマが流れ、多くの朝鮮人・中国人や、沖縄人、日本人もが殺されたことは、よく知られている。また、騒動に乗じて、大杉栄、伊藤野枝平澤計七といった、政治的に都合の悪い存在も、官憲に殺された。

本書によれば、それらの事件の全貌は明確でないという。立件された数に基づくなら、233人の朝鮮人が何の罪もなく殺された。しかし、政府当局は、明らかに、責任の所在を追求させず、また海外で事件が明るみに出ることを恐れ、事件の隠蔽と矮小化に努めた。推定では朝鮮人だけで1,000人以上、加えて中国人も200数十人~750人が殺されたと推定されるという。事件の初期段階では、率先してデマを広め、また収束段階においても、都合の悪い存在を密かに殺したにも関わらず、である。

しかしながら、これらの凶悪犯罪の中心を担ったのは、地域の一般市民であった。恐ろしいことは、普通の群衆が異常事態において凶悪な獣と化すことではない。むしろ、獣と化したあと、その原因を異常事態に帰すことを良しとして、正当化に努めたことである。

本書には、ショッキングな事実が書かれている。世田谷区の烏山神社には、事件後、13本の椎の木が植えられた。しかしそれは、犠牲者の鎮魂のためではなかった。犯罪に加担し起訴された12人の地域の人びとが、決して長くない刑期を終えて、地域に戻ってきた。地域では、彼らの苦労をねぎらうために、椎の木を植樹したのである。

当時の古老による発言がある。「日本刀が、竹槍が、どこの誰がどうしたなど絶対に問うてはならない、すべては未曽有の大震災と行政の不行届と情報の不十分さがおおきく作用したことは厳粛な事実だ」と。

わたしはこのくだりを読み、文字通り戦慄を覚えた。すべてを曖昧にし、誰も責任を負わず、個人の尊厳や知性を限りなく軽視し、群衆のみとして動く社会。当時も、もちろん戦争前後も、現在も、本質的にまったく変わっていない。

●参照
平井玄『彗星的思考』(関東大震災時に弟を虐殺された南喜一)
伊藤ルイ『海の歌う日』(大杉栄、伊藤野枝、橘宗一)
藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七』(亀戸事件)
山之口貘のドキュメンタリー(関東大震災時の虐殺の記憶)
道岸勝一『ある日』(関東大震災朝鮮人虐殺の慰霊の写真)
『弁護士 布施辰治』(関東大震災朝鮮人虐殺に弁護士として抵抗)
野村進『コリアン世界の旅』(阪神大震災のときに関東大震災朝鮮人虐殺の恐怖が蘇った)


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