Sightsong

自縄自縛日記

松丸契@東池袋KAKULULU

2020-08-31 07:46:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

東池袋のKAKULULU(2020/8/30)。

Kei Matsumaru 松丸契 (as)

松丸契のアルト独奏は何回目なのだろう。これまで下北沢のNo Room for Squaresでほぼ真っ暗にして行われてきたわけだけれど、この日は窓から陽が差し込む2階の木の部屋。それが演奏者の孤独な作業に影響しているかどうかはわからないが、聴く側の意識としては風景と一体で取り入れることができて、どちらもおもしろいのではないか。

何しろ90分間と長いため、聴く側が飽きたり音を意識しなくなったりすることがないよう、十分な変化が付けられなければならない。実際、表現は多彩だった。

はじめはやや音価を長めにして、一音ごとに部屋の反響を全員で確かめる感覚。部屋のつくりのためか、聴く側の意識のせいか、管の響きよりも息の響きのほうが後に残るように思えた。やがて演奏は「楽器の運動」へと移行する。イメージを乗せるというよりも、楽器操作のメカニズムが主体となったもの。それは感情とセットになったイメージが乗りやすい領域にシフトしてゆき、音色の艶もそれによって目立つようになった。

次第に重音が混ぜられてゆき、ゆっくりとそれが中心にも座るようになった。そして松丸さんはピアノのほうに向き、エキセントリックなものも含めさまざまな音を試行する。音のひとつひとつはピアノのペダルによって残響を付けられ、確かめられる。それは本人にでもあり、また場全体にでもあるだろう。なだらかなプロファイルの山を持つ音はそのような作業に乗りやすくもあるが、きれいな音を味わうという快感原則に堕することはない。音域は拡げられ、ふたたび「楽器の運動」にも戻った。ペダルから足を外した際の変化も印象的。

ここまで聴いていて、既存のなにかの引用がないことに驚かされた。

楽器の運動、楽器の響き、速度、部屋の響き。それに加えて、音の消滅が要素として出てきた(ペダルからの脱出とつながっていたのかなと後で思いついた)。ストッパーはマウスピースをくわえる口元にある。その結果キー操作に意識が集まる。そしてベンドなどにより周波数が変えられ、重音などにより音色が大きく変えられた。

もちろんサックスは単音の旋律楽器であるから、旋律の創出に向けた努力という過程自体もおもしろい。同じ音に執拗に戻ってはフレーズが発展させられる。聴く側はそこに小さな驚きを積み重ねる。

松丸さんはピアノに背を向けて、直接的な音を出すようになった。その結果なのか、旋律は明るく、音色は内向きにくぐもったものとせずメタリックな感覚にもなった。音の連なりは長くなってゆき、明の説明はできないながら、クライマックスの雰囲気がもたらされてきた(それが「運動」の器楽か)。

音を出す苦しみが見え、キー操作から息遣いや音色に場の意識が戻ってきた。はじめにあった、息が場に取り残されなかなか消えない感覚もまた戻ってきた。また音と音のつながりが連続的にもなってきた。

ふたたびピアノのペダルで残響を強調する。ここで不思議に思えたことは、残響があると聴く意識はぼんやりと過去に向かい、ないと現在に引き戻されることである。また残響はピアノだけでなく鍵盤の横に置かれたコップからも出そうとしていたようにみえたが、これは穿ちすぎかもしれない。

終盤は、運動へ、シンプルで力の強い音へ、繰り返しと発展へ。これらの絶えざる往還が、時間の流れを伸び縮みさせるようにも思えた。旋律の繰り返しの結果、何かの場所が見出されたような安心があったが、他の人はどうとらえていただろう。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●松丸契
瀬尾高志+松丸契+竹村一哲+高橋佑成@公園通りクラシックス(2020年)
松丸契+永武幹子+マーティ・ホロベック@なってるハウス(JazzTokyo)(2020年)
松丸契@下北沢No Room For Squares(2020年)
松丸契+片倉真由子@小岩コチ(2020年)
細井徳太郎+松丸契@東北沢OTOOTO(2019年)
松丸契『THINKKAISM』(2019年)
纐纈雅代+松丸契+落合康介+林頼我@荻窪ベルベットサン(2019年)
m°Fe-y@中野Sweet Rain(2019年)
SMTK@下北沢Apollo(2019年)