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ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

ハノイにうどん屋さん

2014-09-29 20:54:45 | Weblog

9月29日 はれ 34℃

いやー、まだまだ暑い、今日も体感温度40℃、といわれながら、テニスのレッスンをうける。

友達と一緒にレッスンに行く車の中で、今日のお昼は うどん屋さんに行こう、とどんぴしゃりの相性

この頃の話題は、ハノイにオープンした「日の丸うどん」のはなし、とりあえずみんないってみたい

店内はうどん屋さんのイメージどおり、素朴なテーブルと椅子が並んで、カレーうどんのやさしい香りがただよっている

メニューは、かけうどん、ほかいろいろだが、かけうどんにトッピングの組み合わせが嬉しい、ね、日本のうどんでしょう…

  これも相性が合い、たまご天とちくわ天 

かけうどん5万ドン(250円)は、近所のフォー屋さんと同じ値段、たまご天とちくわ天は、各1万5000ドン(75円)、ビールは、3万5000ドン(170円)

しめて今日のお昼は11万5000ドン(580円)、このお値段は嬉しい

衛生上の問題で、生たまごを食べられないハノイで、温たまとかがたべられるようになったのはこの頃、それにちくわなんて長い間食べたことがない

なつかしい、嬉しい、と素直に喜べ、幸せな気分になる

ハノイもかわってきて、いろいろ便利になったが、

日本料理屋さんがハノイにはたくさんあり、日本人はそんなに増えていないので、お客の取り合いが厳しくなるのでは

でも、日本料理屋さんにベトナム人のお客さんが増えてきて、うどんもフォーに変わってポピュラーになったら、面白い、観察してみる価値あり

そう、このおうどん屋さん、いま、ハノイのブームになっているのかも…

 

 

 


みのりの秋

2014-09-25 09:27:16 | Weblog

9月25日 はれ 32℃

ハノイは秋になったというのに、暑い、今週の天気予報は、お日様まっかか…

昨日は旧暦の9月1日、今年は暦の都合で、9月が2回あるが、はじめの9月である、とりあえず、秋になった…

そして、実りの秋でもある、郊外にいくと、黄金色の世界が広がる

火曜日の風景  刈り入れの真っ最中、すべて人の手によるものなので、たくさんの人でが必要

そしてお天気のよいときに急いでしないといけないのが、稲わら干し

脱穀したあとの稲わらの干場は道路  

道路に敷かれた稲わらの上を車が通る、バイクが通る、荷馬車も通る、牛も犬もニワトリも通る

この国の道路は、街中では、台所であり、食堂であり、駐車場であり、社交場でもある

農村になると、家は外壁で囲まれているので、そこまではないが、このように農作業場となる、

脱穀、袋づめの作業、もみ殻干し、稲わら干し、稲わらをやいたりするのも道路でやる。

黄金色の世界で、道路も黄金色、豊かさと、あたたかさとを感じさせてくれる景色がうれしい。

 

 

 

 


akaの日コンペ

2014-09-19 18:01:01 | Weblog

9月19日 くもり

とうとうこの日がきてしまった、でも本当の誕生日はもう少し先なのだけど…

明日は大型台風がハノイにやってくるというコンペの日は、なんとか夕方まではお天気がもったが、

午後早々に台風のため翌日は日本人学校は休校するという連絡があった

コンペ恒例のドレスコードは、サムシングaka,どこかにこの色を付けなければならない    

この日の私へのスペシャルプレゼントは、○○タン、

基本ショーテスト(一番飛距離が出なかった人)だが、○○短と命名し、私のボールを超えた人からは、罰金をいただくことができるというもの

いつも、払ってばかりなので、これは嬉しかったな、

ゲームの後の食事会では、ケーキを焼いてきてくれた友達、

わざわざ、私の名前を付けてケーキをオーダーしてくれた友達、みんなの気持ちがなにより嬉しい   

とうとうこの年齢がきてしまったという感が深くあるが、こころも体もまだそんなに変化はない、むしろこの先を考えるようになった

あと10年、元気で楽しく暮らしてゆくことにこころを砕いてゆきたいと思っている。

こんなお祝いをしてもらって、へこむかな、と思っていたけど、むしろ、こんなに嬉しく晴れ晴れしい気持ちにさせてくれた周りの友達の暖かい心に感謝し、

次の人のためにも、私が胸をはって、お祝いのお手伝いができたら嬉しいと心から思うようになった

 

 

 

 


ドンキーベーカリーでのバースデーパーティー

2014-09-13 08:21:50 | Weblog

9月13日 はれ

いやー、いいバースデーパーティーに参加させていただいた。

ベトナム人の女性と、イギリス人の男性がアメリカで知り合い、結婚し、お互い40を過ぎてひとり息子のロビンをさずかった。

家族で、ロビンが10歳頃にハノイにもどり、彼は高校を卒業して、いまはイギリスの大学で海洋学を学んでいる。

母親のルイエンはハノイをベースに障がい者支援の活動をし、父親はバンコクで仕事についている

ニャチャンで親子で休暇を過し、お誕生会をし、そしてそれぞれの場所にもどってゆく、

そんな家族だからこそ、この一瞬を大事にしたいと思う気持ちが伝わってきた。

ドンキーベーカリーでボランティアをやっている友達の紹介で、ルイエンとお会いしているので、パーティーに声をかけてくださったようだ。

こちらの活動はいまだ詳しくは知らないが、聾唖の子供たちにパンをつくることを教え、しゃべれる障がいのある子供たちでレストランを運営し、2階の工房で違ったしょう害をもっている子供たちで、ミシンを使った作品をつくって販売している。

ルイエンは、これらの子供たちに住むところと、仕事と、お給料を提供するという活動をしている

けれど、昨日は一人の母になって、朝から厨房にこもり、50人分くらいの料理を作り、

キュウリが好きな息子のために、キュウリのバースデーケーキを焼いて準備してくれた      

        私の友達が花を活けた会場は

   若い人たちで盛り上がる  もちろんその中には、障がいの子供たちも加わっている

国籍もいろいろ、健常者、障がい者、みいんな一緒、いつもと違うやさしい笑顔の母親のお顔のルイエンの様子も美しい

その輪の中で、あたたかなひと時をすごさせていただいた。

 

 

 

 


今年も中秋節 9月8日

2014-08-20 08:02:50 | Weblog

8月20日 雨 30℃

今年の中秋節は9月8日、街中に黄色と赤い色の月餅屋さんが目立つようになった。

はやばやと先週、友達が運転手さんからもらったと、ミーティングに月餅の箱を持ってきた。

月餅は買ったりいただいたりしたら、中秋節当日まで保管し、当日いただくものかと思っていたら、

賞味期限1週間、アレッ?…すぐにいただくものなの?…

友達の運転手さんは今日家族で食べるといっていたそう        

この箱は、去年もブログに載せた、交通渋滞を引き起こすほど人が並ぶ人気店のものらしい

ずーと気になっていたけど、並んでまで買いたくはないと、いつも横目でみて通り過ぎていた、あのお店

ハノイに来てほやほや1か月の友達が、月餅屋さんが並んでいるのをみて、嬉しい、買いたいとご主人にいったら止められたと興味深々

やっといただけると嬉しそうなお顔、頭は日本の月餅を想像しているはず、それとは全然別物だから…とはいったけど…

     定番の焼いたものと、伝統的な白い蓮のかたちのもの

一口食べたら涙が自然に流れてきた、びっくりしたみたい、きっと想像と違うお味だったはず

長年月餅のリサーチをしているわたしにとって、いくら有名店だからといって期待はしていなかったが案のじょう

どうしたらこんなにまずいものができるかと、みんなで中身をチェックする

焼いたものは、いろいろなものが混ざっているという高級品だがラードのあんに、豚肉や松の実、ライムの葉っぱ、オレンジピール、他たくさん

白いのは、わたしの苦手なザボンの花の香料、蓮の実、バーベキューポークの八角の香りのするもの(赤いもの)…

結論として、個々だとおいしいものが入っているの、どうしてこんなお味になってしまうのだろう…

でもこれはお祝い菓子、ベトナムの伝統のもの

毎年食いしん坊のわたしは、どこかでおいしいものに会えるのではないかと挑戦するが、あえなく敗退、今年もたぶん復活はないだろう

 

 


世界遺産でヤギ料理

2014-08-13 08:40:00 | Weblog

8月13日 雨 29℃

ニンビンはヤギ料理が有名…

今朝は夜中から降り始めた雨が珍しくやまず、こんな日は洪水がでるとか、バイクの出勤者は遅刻が多いだろうというのが、朝の会話

案のじょう、6時には洪水警報がでたそうだ、まだ家からでていないが、街中は水であふれているかもしれない。

水つながりで、先週のことになるが、ニンビンのチャンアンとホアルーにプライベートでいってきた

「ホアルー、チャンアン」は、昔の都があったホアルーと自然保護区にある石灰岩地形のあるチャンアンという地域のことで、

2014年6月、世界複合遺産に認定されたばかりの、世界遺産のほやほやの場所

ハノイの南110㌔にあり、ハノイに首都が移る前、10~11世紀にかけて首都がおかれていた歴史的に重要な場所であるとともに、

別名「陸のハロン」と称される、石灰岩の奇岩奇峰が連なっていて、そこのボート下り観光が有名な風光明媚なところである

川と石の山に囲まれたニンビンのタン白源は、川の魚とヤギ肉ということなのかなあ、通りにはヤギ肉料理の看板がずらりと並んでいる

たぶんここが一番有名なお店、と、以前も行ったからと友達が連れていってくれたのは、「HUONG MAI 」というお店

オットもニンビン出張の際、会社のスタッフが連れて行ってくれたお店といっていた

ベトナムでは、薄切りにして炒め物にしたり、焼き肉、鍋料理とバリエーション豊富なヤギ肉料理は元気が出ると、ハノイでは夏場の定番人気料理

たくさんいただく必要はないので、とりあえずヤギのロースト   と、

おこげにシーフードのあんをかけていただく料理と揚げとうもろこし    と、野菜のいためもの

とうもろこしの揚げたのはベトナム料理の定番で、はずれなくおいしい

ハノイではあまりみかけないおこげ料理は、軽いおせんべいのようなパリパリとした食感と、あんのうまみと塩味があとをひき、いくらでもいただける

ヤギ肉は想像したくさみはないものの、固いので、ジューシーさとかうまみとかはあんまり感じない

焼いたヤギ肉はライスペーパーに香味野菜と一緒に巻いていただくため、

 山盛りの香味野菜の中に    ハノイで見かけない、青バナナ、イチジクの実、スターフルーツ

以前テト前(季節は冬)に来たときは、実でなくイチジクの葉っぱだったと友達がいうので、実がないときは葉っぱで代用するほど、ヤギ肉にはイチジクをつけるのがマストなのかなあ、なんか効用があるのかなあ…

青バナナとスターフルーツ、イチジク、香味野菜にない、ほのかな甘さと酸っぱさと食感とで、ヤギ肉の臭みや固さを和らげる効果があるのかもしれない

ヤギ肉を頂いた後、川下りの船の上で、ヤギを見つけては歓声を上げる単純な私たちを、岩山の上のヤギはどう思っていたのか…ごめんなさいね…

 

 


VNSO TOYOTA 2014 コンサート

2014-08-10 08:03:37 | Weblog

8月10日 はれ 38℃

今年のトヨターコンサートにいってきた、というか、トヨタのコンサートに行くのははじめてのこと

今回はTOYOTAがほとんどの席をおさえているので席がないよ…とは聞いていたが…

オットは出張中だし一人だしと、迷いながら前日とったのが、残り一席、一番前のはしから2番目という、微妙な席、えー舞台がみえない…

一番前の席も面白いよといわれた結果、いつもの2階席と目線が変わって、これはこれで面白い

ちょっと残念だったのは、わたしにはひいきの演奏者が数人いて、彼らを眺めるのもひそかな楽しみとなっているのだが、この席ではだあれもみえない

目の前は、カブトムシばっかと思ったコントラバスのグループ、   

よおく見ると、絃をこする弓が微妙に違っている、音を違えるためなのかなあ、第1とか第2とかあるのかなあ、素人のわたしはわからないけど

第1バイオリンの人たちは背中ばっかり、   さすがTOYOTA、舞台のお花が素敵、いつもと違う

チェロのモーさんのチェロコンチェルト、いつも素敵なモーさんを、横顔と絃を裏側からみるアングルも面白い、そして額の汗がライトできらきら光っている

ハープのAYAさん、「くるみ割り人形」で素敵な音が流れてくるがみえない、AYAさん、今回も日本からこの公演のためにいらしているのね、

VNSOの演奏者はだいぶ育ってきて自前でいけるが、ハーピストはまだで、必要に応じてAYAさんが日本から飛んでくるときいている

2000年以前のVNSOを特集した番組と、2011年後の震災後の日本公演の前の様子を特集したフジテレビの番組のDVDを借りてみたことがある

ベトナム戦争の最中にホーチミンさんが、人には音楽が必要と音楽学院を設立し、

子供たちを戦火を避けて田舎の村に集め、楽器を弾くことを教えたのがはじまりだそう

その後の苦難の時代、満足な楽器もなく、それでも音楽が好きと、壊れたところを繕いながら、しかも安い給料で音楽を続けてきた人たち

2000年以降本名先生が育てている歴史を知り、現在の演奏者の努力をみていて、演奏が…とかそんな次元でなく、

ただただみんな頑張って…VNの人たちは不満足かもしれないけど… と応援している人たちがわたしの周りに大勢いる

子供たちを舞台に上がらせタクトを振らせるパフォーマンスでは、彼らののはじけるような笑顔が印象的で、あたたかいコンサートだったなあと思う

だけど、観客は相変わらずうるさい、しゃべるし、電話は鳴るし話すし…

私は最前列だったので感じなかったが、当日だと1階の一番後ろの席しかとれなかったという人がこぼしていた、わたしのお隣の人は途中で帰ったけど

こんなこともだんだん淘汰されて、演奏者が育ったこれからは観客の意識がかわってくるのではないかと、変わるかなあ…と思う

 

 

 


盲人協会

2014-08-06 07:53:59 | Weblog

8月6日 くもり 33℃

一日のうち数回、突然大雨が降るというのがこの頃で、なんだかうっとうしい。

先日、ボランティアで、ドンダー盲人協会にいってきた     これがマーク

目の不自由な人は驚くほど多いが街中でみかけることはない

私のかかわっているボランティアで9人の子供たちが寮生活するにあたって、寄宿舎の費用を一部負担する支援を続けている。

夏休み一年に1度、子供たちとその家族にあってお話を伺うことにしている

子供たちが寄宿しているグエンデンチューという学校はハノイで唯一盲人教育のシステムがあるが、その他の授業は健常者と同じクラスで受けているので、ハードルがものすごく高いと思うが…

子供たちに、夏休みに自宅に帰り、家族のみんなと過ごせてたのしいでしょう?

と聞くと、みんなが学校の方が楽しいと答えることに、嬉しいな、希望があるなと思う

  盲人協会の会長のハーさんと支援をしている女の子、この子は少しだけ目がみえる

ハーさんは全盲でありながらこの学校を卒業し、大学に行き、成績優秀で日本に留学までしている。

ひとりで新幹線に乗って京都まで旅行をしたことがあるという、賢くて、タフで、それでいて魅力的な女性で、一児の母でもある

この女の子は限りなくハーさんを尊敬していて、学業もAの成績をとっているし、ハーさんのようになりたいと思っている

     盲人協会の方たち、オレンジ色のボードになにやら点字でかきつけていらした。

ハノイの医療事情は最悪で、病院にかかれず手遅れになり、ここの子供たちのようなケースになることがおおいのだと思う。

こんな体験をしたあとは、健康を感謝し、普通に病院にいける国に生まれてよかったと感謝するとともに、

自分にできるちいさなことでもよいからお手伝いをさせていただこうとの思いがつのる。

来年度も子供たちは進学を希望しているので、お手伝いをつづけさせていただくことになった。

 

  

 

 


バチャン村ツアー

2014-08-03 12:41:34 | Weblog

8月3日 くもり 35℃

日本から遊びに来た息子夫婦と一緒にバチャン村へいってきた。

 バチャン村ツアーのマイブームは、「Lo Bau窯」(ここに残されているのぼり窯の天井がまあるい円が連なっているので、別名妊婦窯と呼ばれている)

のスタッフさんがやってくれるバチャン村ツアーを楽しんでもらうこと

1時間くらいの短いツアーで料金は15万ドン(750円)、英語かベトナム語のみ

観光地として有名な大通りや市場ではなく、数百年続いている家内工業的な家と工房がいっしょになった昔ながらの地域を歩く

バイクが1台やっと通れる狭い通路が迷路のようにつながっているところを部外者が歩くのは無理

この狭い通路を閉塞感に苦しみながら進んでゆくと、突然紅河に出くわす、その時、ものすごい解放感を味わえる

息がつまりそうだっ空間が突然ぱっと開き、目の前に紅河がゆったりと流れている、この落差とスリルが好きなので、私と同じ気持ちを感じてもらいたい

     こんな通りをずっと歩いてゆくと、 

壁にはられているのは窯の燃料、昨今はガスに転換されているようだが、乾かして、まだまだ使われている

この黒いかたまりは、石炭の粉にもみ殻を混ぜてこねたもの、まるくして壁にぺたんとはると手の型がつく、それが模様みたいで可愛い

       燃料をはる壁は、煉瓦に漆喰を塗らない

このでこぼこ感があるから、燃料が滑らずにはりつくらしい、いつもはるところは、壁が黒くなっている、もちろん手の届く範囲でしか黒くならない

    狭い通路からは家に切り取られた四角い空が見える、私はハノイの家の窓の様子が好き

クラシックでかわいいし、窓の中の生活を想像すると楽しくなってしまう、なので、いつも建物の窓を探している

そのほか、30㎝くらいの大振りな煉瓦がはられているのは、王朝の壁用で、フエの王朝の煉瓦もバチャン村から運ばれたらしい

紅河はよく氾濫して洪水の被害が絶えなかったようだが、

したたかな村民は、水をかぶった家の上に家や塀を付け足して住んでいったようで、塀に家の屋根の跡が残っていたりするのも面白い

通路より低い家に住んでいる住民は、いつも家が水をかぶるので、フィッシャーマンと呼ばれているとの話もしてくれる、そんな人の腰のところに屋根がある家にも人が住んでいる

紅河の氾濫と河のそばに住まないと生活ができなかった環境(材料の陶土を運んだり、焼きあがった製品を運ぶのに河が必要)で、したたかに生きていった人たちの生活感も伝わってきて、楽しいツアーとわたしは思っている

ツアーの後はお買いもの、このLo Bau窯の焼き物は、周りよりもお安い感じがするのも私のお気に入りの窯となっている


バックニン省 ザウ寺 

2014-07-30 08:19:49 | Weblog

7月30日 くもり 35℃

    ルンケー城からほんの少し離れたところにザウ寺がある。   

ザウ寺とは、桑畑が多い地方に建てられたのにちなみ、「桑寺」(Chua Dau)とよばれているが、紀元200年くらいに建てられた、ベトナム最古のお寺。

2000年近く前、海からインドの商人とともに仏教僧が入ってきて、この地域に定着したであろうと思われている。

写真奥が「和豊塔」と呼ばれる700年くらい前に建立されたもの

塔の入口付近にある羊の像、ほのぼのとして可愛いい    

中国の後漢のころ(200年ころ)のもので、1000年近く前からこの寺に残った、もっとも古い美術品 であるが、

         の落書きが消されずに残されている。

一緒に行った人が、ベトナム戦争の戦勝記念の年なので、特別の御目こぼしで残されているのだろうと仮説をたてた

寺の本尊は「法雲仏」と呼ばれる雨の女神像で、高さ2メートル、頭に冠を乗せ、体に今風の新しい衣服が着せられていて、体の様子はみることができないし、そのためかありがたさに欠けていまいち、感動するものがなかった

仏教が入ってきたとき、もともとあった民間信仰、特にベトナムは農業国のため稲を作るのに必要な雨にかかわる、雨、雲、雷、稲妻の4つの自然現象と仏教の象徴である仏像が合体してできたものがこの像といわれている

さらにベトナムは女性信仰が強いので、雲と仏像と女性を合体した女神のような仏像ができた、その中で一番古いものがここにある

両側に侍女の像があるが、これが素敵な表情とスタイルをしていて、衣装がきれいで豪華、優れた芸術品ということで、切手にも使われているらしい。

            目につくのはこの像で美しいく感動するが、造られた正式年代はわかっていないらしい

このお寺にある他の仏像も古いものであるとは思うけど、何度も修復されてはいるようだが、復元して修復するという考えはないようだ

以前も素敵な仏像にあいに、しかも写真集までもっていったのに、お顔がまるで変っていて、美容整形ではあるまいに、ここまでお顔のつくりを変えてゆるされるものかとあきれたことがある。

         

ここの仏像たちのお顔の眉とアイメイクとお髭、描き手は何人かいるらしく、筆の勢いでいろいろな表情があるが、わたしには落書きにしか思えない

いまでは、仏教国といわれているベトナムではあるが、ベトナムの生活は、冬が短いこともあって、創意工夫をしなくても生活できるので、 

      ……これが国民の幸福度が高い国、ということにつながるのかもしれないが、……

仏教が入ってきても、中国人、カンボジア人など外国人への振興にとどまり、ベトナム人には広がらず衰退していってしまう。

そんな衰退したときに、中国から難民として入ってきた中国の御坊さんが活躍し、衰退しなくなったというのが本当で、いまに至っているらしい

雨、雲、雷、稲妻の自然現象を大事にしたお国柄であるためか、

仏教は外国人が運んできたものとはいえ、国民の大多数が同じ仏教徒の国で、日本と違う文化財の扱い方は、なんとも納得がゆかない