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ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

バックニン省 ルンケー城跡

2014-07-24 07:41:46 | Weblog

7月24日 はれ 35℃

ベトナムの歴史は奥が深い

ルンケー城址は、ハノイから車で1時間位のバックニン省にある、川の自然堤防に囲まれた、2世紀半ばくらいから6世紀くらいまでの城郭遺跡である

ここが有名なのは、昨年交通事故で亡くなられた、西村昌也先生が、銅鼓の鋳型をベトナムではじめて発見した場所となっているから

ベトナム人の自慢の銅鼓とは、銅製の片面太鼓のことで、歴史博物館にはこれがたくさん並べられている

銅鼓の文様は壁飾りになったり、ギネスに登録された長い堤防のタイル画のなかにあったり、ベトナム航空のフライトアテンダントのエプロンの模様とか、観察すればいたるところで見つけることができる

銅鼓が造られていたのは、紀元前3世紀から紀元後数世紀にかけて北部ベトナムを中心とした文化時代のドンソン文化期で、

中国南部、東南アジア地域全体から発見されているが、誰がつくり、どうやって運ばれたか…

ベトナムの中国支配は10世紀まで続いていたのに、ベトナムのオリジナル文化である銅鼓がどこで造られていたのか…

それは、中国が支配するお城のなかで、造られていたという重要な発見となった場所である

   奥の少し高くなった木が茂っているところが土塁で、その内側が城跡   

城跡のなかには田んぼが広がり、1000年以上も前からひとびとの生活が営まれているのが不思議だったけど、

この空間は、本通りから続く細い道をくねくねとゆっくりたどってゆくとことで、じょじょに

現在からの時空間を通りぬけ、過去にもどったような気分にさせられる   

城跡のなかでは、田植えとともに、その横で細々と発掘も行われている  

発掘されたものは、池で洗われ、乾かされ、分類されるようだ  

広げられたもののなかには、無釉陶器片とか、施釉陶器片とか、煉瓦片とか、わたしにはただのがれきにしか見えないけど、

大事なものがたくさん詰まっているのだろう、これらが2000年もの過去につながっていると思うと、どきどきしてきた

発掘作業者のなかに西村先生と一緒に働いていた人がいて、発掘現場に案内していただけたことも幸いだった

いまではそこはただの草むらでしかなかったけど、ベトナムの人も大切に思ってくださっていることにあたたかいものを感じた

 

 城跡の田んぼは一枚が狭いので、機械は使えずすべて手作業、しかも男性はいない、昔の日本と同じ文化で、田植えは早乙女しかだめなのかなあ

ルンケー城跡は、現在から隔絶された時空間を漂わせてくれる、時間が切り取られた不思議なところだった

 


カットバ島 ちょっといい話

2014-07-20 06:49:55 | Weblog

7月20日 くもり 30℃

昨日は台風10号の到来でいろいろ心配したけど、予定どおり週末女子会ゴルフは、敢行

前半の予想もしなかった涼しい気候と後半降り出した雨も気にならず、気持ちよくゴルフができたとみんなの感想

男子の週末ゴルフコンペはキャンセルというはなしのなか、ニュースになるようなこともなく過ごせたことは嬉しい、そこまでしなくてもという話もあるが…

さて、カットバ島のはなしにもどって

   この旅行中、とても気になったカップル     

このお二人、ともに87歳、いつもお二人一緒で並んでいらっしゃる、旅行の目印に配られたキャップもお二人だと可愛く見える     

ベトナムのローカル会社は、同族経営が多く、経営者の近親者が名前を連ねているので、参加者の関係をきいてもややこしくてよくわからない

このお二人は、副社長の奥さんの現場の通訳として入社した弟の、おじいちゃんおとばあちゃんということ

別に副社長は自分の両親を連れてきていて、この方たちは70歳代、

副社長の両親と副社長の奥さんと弟のおじいちゃん、おばあちゃんは血が繋がっていなくても親戚筋になるわけで、と考えるとややこしい

そんな人たちがいても違和感なく、みんなが必要なところは手助けをするのだが、副社長の奥さんの弟(30代)がずっとお二人についている

会社仲間がお酒を飲んでも、飲まないで食事の世話をし、かにやしゃこや、エビの身をむいてお皿にのせてあげていた

いつもお二人のそばにひっそり寄り添っている、そんな姿を見て、オットはいいやつだ、と、会社では見られない別の姿に感心していた

カットバ島からさらに船で30分くらいのモンキーアイランドに行ったとき、お二人は水着になって、海に入っているのには驚いた

わたしは、泳ぐのがいやで、荷物番をしているというのに

モンキーアイランドへいく船の乗降は薄い板をかけ、砂に突き刺した竹の反対側は人がもっているだけの手すりをたよりに渡るのだけど、意外と怖い

             お二人の乗り降りの際は、みんなが両側に並び、手を差しだし、手助けをする、

そんな姿もあたたかく、ちょっと素敵と思える 

帰りの船の中で通訳を通してはなしかけると、旅行につれてきてくれてありがとう、とてもたのしいと言葉をつくしていってくれ、私も嬉しくなった

「地球の歩き方」にはカットバ島は数行しか掲載がなかったが、金色の毛をしたサルが生息していると書かれている

きっとモンキーアイランドにいるのかも…

金色のサルが見たーいとわくわくしながらいったが、普通のサルが数匹、木の上にいるのをみかけただけだった

      モンキーアイランド    

死んでしまっただ大小のサンゴでびっしり埋まっている海岸、それからできた白い砂、想像もしなかったきれいな水、美しい景色

そんな海で泳ぐ社員さんたちの笑顔がはじけていたのと、家族を大事にするベトナムの人の様子が印象的なr社員旅行だった

 

 


カットバ島社員旅行 びっくり編

2014-07-17 17:00:39 | Weblog

7月17日 くもり 雨 31℃

週末はカットバ島へ総勢140名、バス3台を使い、2泊3日の社員旅行の大イベントであった。

カットバ島は、国立公園ハロン湾の中で一番大きく、唯一人が住んでいる島であり、ハノイの人にとってあこがれのリゾート地でもある。

社員さんたちのわくわく感がこちらにまで伝わってくるが、バクニンの地元旅行社の添乗員の絶叫アナウンスと大音響のミュージックに少しげんなりする

カットバ島にはフェリーで1時間、ハロン湾の景色を楽しみながらのんびりと、期待に胸ふくらませての船旅になるはずがずっと雨

早朝5時15分集合、バスは30分遅れて到着、予約なしのフェリーは、乗れるまで2時間まち、、

客席には屋根がないので、雨を避けるのに右往左往するが、どこへ行っても結局は濡れる

車止めがないので、車は船が傾いたら、滑って一気に海に沈んでしまうかもしれないと思わず心配になる   

とはいっても到着すると嬉しい、いざホテルへ、海岸沿いのホテルは土地が少ないため岩山に隣接して建っている

   アレッ、このホテル壁がない、これ、岩だよ     ななめの岩盤の壁と くりぬいた窓穴の向こうも岩盤

午後2時到着、晴れた、さあ、海水浴だ、ビーチはどこ?…と探す必要はない、みんなが歩いてゆく方向に行けばいいから

     人、人、ひと、ちょっとびっくり、ハノイの人は泳げないので、海ではたっているだけ

      街歩きでみつけたもの      カブトガニ、これ日本では天然記念物だよね

海鮮レストランの前のたらいで、どんな風に料理されるのか、実は子供のころ食べていたのでおいしくないのは知っているけど

ベトナム人が大好きな滋養強壮のお酒だと思う    

ひとで、タツノオトシゴ、トカゲ、蛇、ナマコ、その他もろもろを並んでいる籠から選び、ビンに詰めてもらう、30万ドン(1500円)支払っているのをみた

          漁船の赤い旗は可愛い  

中国との海域問題に巻き込まれないためなのか、示威活動のためなのか、問題の海域までは少し遠いんじゃないの、とは、我が家の会話

紅河デルタに位置するハノイに海はない、車で4時間行くと、海に行けるけど、遠い、だから社員旅行でみんなでいく

日本にかつてあっていまはすたれたものが社員旅行、しかも家族も同伴で、社員さんの家庭での顔を見ることができる

いいお父さんであったり、おじいちゃん孝行の孫であったり、みんなの楽しそうな顔は、いろいろのびっくりを帳消しにしてくれる素敵な顔だった

 

 


小松さんのお母様の葬儀

2014-07-10 13:30:41 | Weblog

7月10日 はれ 35℃

ハノイでご縁のある人と、自分で勝手に思い込んでいる方がいる…それは、小松みゆきさん

2007年、福岡にいるとき、ハノイ転勤といわれてから、ハノイという活字をいつも拾っていた時目についたのが、

朝日新聞の一面を使って大きく掲載されていた小松さんの、「越後のBaちゃん ベトナムへ行く」という本の紹介だった

こんな人がハノイにいるんだというのが最初に感じたこと、

その後ハノイでこの本を手に入れることができ、しかも何度かお話しする機会にも恵まれたことに喜びを感じていた

そして、今回二度目のハノイ滞在になって、出先でお目にかかる機会が増たえたし、

オペラハウスでのベトナム交響楽団の演奏会の席がいつもお隣なので、お話しすることが多くなった。

毎年、お母様と一緒の挨拶状をいただいていて、今年お母様は94歳になられたと聞いていた

今年になって、この本原作、主演、松阪慶子、タイトル「ラストライフをベトナムで(仮)」、という映画が作られるらしい、

しかも今、松阪慶子が来越しているというニュースが流れた

この映画の話を持ち出すと、まだ確定ではないと、小松さんは途端に機嫌が悪くなるのでタブーなのだが…私は、とても嬉しく思っている

      そのお母様が昨日急になくなり、今日葬儀というので、お参りさせていただいた      

日本語で名前をいれてもらうことが小松さんのこだわりと、本人がはなしたように日本語の名前が入っている

葬儀の最中の青空と真っ白い雲はハノイにはないこと、めずらしいとみんなとささやき合った  

8時半の葬儀のため、ぞくぞくと花輪が運ばれてくるが、

  そのなかにひときわめだったのが、日本のベトナム駐在大使からの花輪だった    

一連の儀式としての葬儀が終わるころ、なぜか陽がさしているのに、急に強い雨が降り出し、 

みんなで、お母様にお別れをしているんだと、自然の不思議を感じてた

実はわたし、ベトナムで結婚式に出たことはあるが、葬儀に参列するのははじめてのことなので

棺を乗せた車が住んでいた家の前を通ると、生前のお母様を知っているアパートのガードマンとか、路上の床屋さんとか、カフェの店員さんとかが静かにバスを見送り、手を振ってお別れをしてくれている姿に、ベトナムの人のやさしさにふれたことに感動した

葬儀は土葬と思っていたが、最近のハノイは火葬になっているようで、    ここが火葬場

ここでは何組も火葬を待つ家族がいて、日本の常識では考えられないほど込み合っているので、セレモニーが終わるとみんなで失礼させていただいた。

私はお母様にはおめにかかったことがないが、小松さんの言葉からとか、彼女のライフワークの発表からとか、貸してくださる書物などからお母様の存在を強く意識していたので、ひとごとでなくお母様にたいする思いがあった。

そして今年11月撮影開始、来年3月完成予定の小松さん原作の映画の製作がうまくいくことを願い、

そして、もしこの映画が上映されることになったら、天国のお母様がどんなにお喜びになるのかと思うと、ひとしおの思いがする

 

 

 

 

 


先週の散歩特集

2014-07-07 16:55:52 | Weblog

7月7日 はれ 36℃

先週は早朝散歩、週末散歩とかなり精力的に街歩きがあった

                        

朝のホアンキエム湖、日中晴れても朝はいつもどんよりのハノイにしては珍しく、早朝から快晴、

こんな日は年に数度しかないので、とっても気持ちがわくわくし、なんかいいことありそうな…なんにもなかったけど…

週末ののんびりした散歩で自転車の花やさん、  季節の蓮の花とゆり組み合わせが美しい

        切り花ではなく、鉢植えをうって歩く植木屋さん      

鳥屋さん、かごから選び、重さをはかり、さていくらだろう、その後解体が始まるのだが…  

    パイナップル売り  皮をむいて食べるだけにして売ってくれる、2個入り2万ドン(100円)

パイナップルは結構値上がりが激しい、以前は1個5000ドン(25円)で買っていたので、倍になっている

          で、これがこの頃のローカルでのお買い物     

ライチは出張者へのお土産用に、ちょっと張り切ってホム市場で買ってきた、

ホム市場は品ものはよいけど値段は他より少し高めなので、1㌔3万(150円)、この束で2キロくらい…

ホム市場では、いつも買うお店はだいたい決まっているので、もう顔なじみになったと思っていたのに…

ライチ2束とお願いして計りにかけているあいだ、この果物、食べてごらんと味見を強いられ、それを食べたり、断ったりしている間、袋ができている

はいこれっと、ライチを渡されるがイメージしたよりずっと大きな包みになっているので、なんだか大きな束だなあと思って家に帰って袋を開くと

3束入っている、またやられた…、こっそりこんなことをするから信用できない、3束買ってと声をかけられたら、いいよ、といったと思うのに…

マンゴーは1㌔7万ドン(350円)、3個で9万ドン(450円)、ライチとマンゴーで28万ドン(1400円)のお買いもの

余分のライチ1束は家でたべることにするが、冷蔵庫にはライチがすでにいっぱいなんだけど…、最初からいってくれたら納得できるのになあ

右横のカップはスアチュアネップなんとか、以前ハーさんに連れて行ってもらって、ここのはおいしいよとおわれたもの、

黒米の上にヨーグルトがかかっていて、ほんのり甘く酸っぱくて、微妙においしい、一つ7000ドン(35円)

黄色は自転車のパイナップル売りからかったもの、ハノイのパイナップルは芯まで食べられて、おいしい、ハロン湾の近所が産地になっている

街を歩くといろいろなものに出会え、いろいろな色彩にあふれている、青空の日も曇った日もそれなりにみんないい顔している

 

 

 


ロンビエンゴルフコース

2014-07-03 18:12:15 | Weblog

7月3日 はれ 35℃

ハノイにもう一つゴルフ場が増えた。

とりあえず私が知っている8つのゴルフ場に、新しく参入した9つ目のゴルフコース

6月29日オープンのロンビエンゴルフコース?これは正式名称ではないかもしれないけど

わが家から車で20分もかからない紅河を超えてすぐのところ

しかも来年くらい完成のイオンモールの前という、めちゃくちゃ街中のパブリックのゴルフコースといわれているが、詳細はよくわからない

     このコース、思ったより広々していて、どこのホールからもハノイのビルや家が見える

パブリックのふれこみながら、プレーフィーは平日110ドル、週末130ドル、と少々お高い

しかも平坦なのにカートのみで、手引きカートはない、このことは、歩くのが苦手なベトナム人のためのコースとしかいいようがない

コースは少し窮屈だが、ファシリティー部分はやたら大きく広い 

      これは更衣室、女子のプレーヤーはまだまだ少ないのに、いったい何人の人を予定しているのか

 サウナとジャックジー  パウダールーム

  そして、広ーい食堂には、こんな生け簀まである  贅沢この上ない

意味なく長い廊下の先の、更衣室とシャワールームとパウダールームの行き来は広すぎて、すべての荷物を持ち歩いた方が時間のセーブになる

その通路沿いのジャックジーは、見たくなくても目に入るので、こんな人目につくところは使えなーいと、我が女子グループからはブーイング

キャディーさんは男子のみ、慣れていないし、英語は通じないし、ただ頑張りがこちらにも伝わってくるが、走り回るので一緒にいると疲れてしまう

ハノイで最初にできたゴルフコースは、湖の対岸につくられ、ボートに乗っていかなければならないところにある

それは、こんな楽しいことは現地の人にみせてはいけないという配慮からそうなったと聞いたことがあるが、それがほんの10年ちょっと前のことなのに…

今回、ハノイの街中にベトナム人が使いやすいゴルフコースができたということは、この国でどれだけゴルフが身近なものになってきたかということ

それはいい、だけど、ゴルフのレッスンコーチもいないし、先輩もいないなかでみんなが並んで始めたゴルフは、マナーもルールも存在しない

そのことは、危険だし、かけをしているのか、時間がかかって、後ろの人がとても迷惑するのことを考えていない

もう少し、社会性と世界ルールを学習して、みんなで楽しくプレーできるものになってくれたらいいのにと思う

そういいながら、自分のことも反省はしているが…

 


メトロポールの蓮の花

2014-07-02 04:46:28 | Weblog

7月2日 32℃ はれ くもり 雨

蓮の花のアレンジをみたさに、友達とのお茶をメトロポールでと、お願いした。

約束の時間に少し遅れたので、急ぎながらもチェックは忘れない、裏の入口から、進んでゆくと、あるある

    通路のテーブルのピンクと白の蓮の組み合わせ

      正面入り口ロビーのサイドテーブルの蓮たち   

           ホテルロビーのメインのテーブル  

去年のアレンジがどんなだったか、もしかしていっていないのかもしれないので、新鮮な気持ちで蓮の花にであうことができた。

花びらの折り方がいろいろ複雑になっているようだし、蓮の実、葉のアレンジ等、色の微妙な組み合わせが何とも言えずに好きそして、ゴージャス、上品

メトロポールは家から歩いて5分とはいえ、行くことはすくない

一歩中に入るとそこは、外の喧騒から隔絶された空間とホスピタリティーにあふれ、ハノイで味わえる非日常の最高のものと思っている。

今年もこの花たちに会えたことに感謝…嬉しい…

 


もう田植え…

2014-06-26 07:33:40 | Weblog

6月26日 晴れ 35℃

  これが6月10日の写真    少しわかりづらいけど、道路脇の薄茶色が、稲わら

稲刈りが終わると、稲わらを道路を大幅に占領して乾燥させる

それが道路いっぱいをおおってしまうところもあり、車はその上を平気で通ってゆく

同時にこのころ、牛の群れが道路を堂々と歩くので、車は牛が通り過ぎるまでまたなければならない、

夕刻近くになると、田んぼで燃やされるもみ殻の煙が一面あたりに漂い、ぼんやり、まったりした日本では見られなくなった風景がある

そうか、稲刈りの季節が始まったと…

それから2週間後、平日なのに田んぼに大勢の人がいる、苗床もある、耕運機で田んぼを耕している人もいる、隣では、田植えが始まっている

もう…?そうか、テト(2月)のころに植えた稲が刈り取られ、もう一度テト前に刈り取るのがハノイの米つくり

一年に2回米を作る地域はこんな感じ、そして、ベトナムの南は3回作る、こうなると田んぼは休みなしのフル可動、人もだけど…

話は変わって、

中国との国境の街、ラオカイ(380㌔と書いてあった)まで高速道路を作っていて、途中まで開通しているが通行料は4万ドン(200円)

通常1万ドン(50円)とか高くて1万5000ドン(75円)なので、これはべらぼうに高い

タムダオのゴルフ場に行くのに、高速道路を使えば1時間でいけるという話に、オットは料金の割には距離が短いので運転手は使わないだろう、といったが、私の運転手は使った

時速100㌔の高速道路に車は全く走っていない、犬が2匹道路上で遊んでいて、車をみると固まってしまって動けない、車はスピードをダウンする始末

この道路は農村地帯をまっすぐに走っているので、見渡す限り田んぼが広がっている

そこには大勢の人がでて農作業をしている、こんな上から見下ろす目線での風景は広大でいままで目にすることのなかった景色である

今は夏休み中、なので家族総出での農耕作業が必要な時期

手が足りないからと人を雇うと1日25万ドン(750円)、猫の手を借りてでも家族でやらないと大変な出費となる

しかし、いままで見なかった耕運機がたくさん使われている、2007年以来、一年に1台くらいしか見ることがなかったのに

オットは、田んぼの耕運機はだいぶ普及し始めた、じゃあ、あんなに牛がいるのはどうして? ときくと、畑の畝をつくるのは牛の仕事という

耕運機、と一言でいうけど、日本のものを頭に浮かべたらいけません、手作り感満載の、ん…十年前のシンプルなものでしかも中古っぽい様子

そうはいっても、機会化がはじまったと覚醒の感がある

ベトナムの農村風景は非常におだやかで美しい

それは機械化されていないから、自然が満載なのだけど、人の手による作業の辛さは想像以上のものだろう、

残してほしい風景と、いまの時代の生活をしてほしいという、反するものがあるが、美しい風景をみせてもらえたのは高速道路のおかげでもある

 


ライチ狩り

2014-06-22 16:17:39 | Weblog

6月22日 くもり 雨 29℃

ライチ、ライチ、ライチ、の村だった

早朝6時半にハノイを出発、途中、トイレ休憩をはさんで、2時間半で到着

いやー、このトイレが衝撃的だった、扉が胸の高さしかない、しかも鍵は壊れている、めちゃくちゃ居心地が悪い

ライチの村のトイレは確証がないからといわれ、しぶしぶ使うけど

これだったら、まだ扉なしの方があきらめがつく、とみんな口々にぼやく、さすが帰りは誰もつかわなかったけど…

ハイズオンのThuy Lam 村、どこもここもライチであふれている、想像していたよりすごい、ちょっと感激

   道路

    バイク   トラックの積み込み    ライチの束つくり   可憐なライチの実

ライチは150年ほど前に中国からもたらされたものらしい、

しかし、いま中国との国際問題でもめているので、中国人と間違えられてなにかあったら大変だからと、みんなパスポート持参を奨励された 

村の観光案内の人が、農家のライチ畑に連れていってくれるのだが、

最初、料金1人、35万ドン(1750円)といわれ、私たちのガイドさんが高いというと、15万ドン(750円)になったそうだ

この入場料には、ライチを採って食べ放題、しかし、お持ち帰りは、枝が付いたのは1㌔1万ドン(50円)、実だけは2万ドン(100円)

安いようだけど、ハノイの郊外でライチを買ったら、1万ドン、ベトナム語の先生もそういっていた

とすると、産地でも市場でも同じ価格になる、とはいえ、我が家はオットも含めて5㌔のお持ち帰り、冷蔵庫に入りきれない

さっきの入場料といい、ライチの買い取りといい、けっこうみんな頑張ってお金をとろうとしているというのが感じられ、少し残念

でも、この地域は旬の時期が2週間だけとか、非常に短い

しかもこれが1年分の現金収入と考えると、観光客はお金を気持ちよく落としていくのがベター、一年間丹精こめて育ててくれたお礼になる

ハノイにいて、毎年ライチは楽しみなものだけど、今年は栽培の村を訪ねることができて、ちょっと嬉しい日となった

 

 

 


星からきた少年

2014-06-20 06:58:51 | Weblog

6月20日 はれ 38℃

来週日本に帰る、大学の留学生がいる

彼とあったのはちょうど一年前、まだ19歳になったばかりの年齢だった

去年の今頃、月に一度の講演会が終わり後片付けをしていると、会場の人から、講演会の関係者の人にあいたいという人がいるというのでいってみた

講演会をききにきたけど、いま到着しました

残念ですね、もう終了しました

どうしてそんなに時間がかかったの?ときくと、自転車で道に迷ってしまいました、

きたばかりで、バスもよくわからないし、自転車を移動手段としているので…

そう、どこからきたの?きくと、指をさしてあっちからという

あっちではわからないけど、とりあえず講師の先生とのお食事があるので自転車はここに置いて、わたしと一緒にいきましょうと車にのせてレストランに行ったのがはじまり

車のなかで大学の留学制度を使って一年間ハノイの大学で勉強することになったこと、出身は佐賀県ということを聞いた

それだったら、お隣だから福岡県人会に参加すると知り合いもできていいよ、というと、よく月はフリーペーパーをみて参加希望をだし、出席するようになった、たぶん皆勤だと思う

県人会は若い人が多いので、いろんなひととお話しをしたようだ

たまに話をきくと、アパート代がほかの大学生より高いので、お母さんが送ってくれるお金を大事にしたいから、安アパートに移るとかはなしてくれる

あんまり近づかず、月に一度様子をみていたが、顔色もいいし、一度も日本に帰ることもなく元気に暮らしているようだったし、

県人会のお姉さんの作品展のお手伝いをしたり、まあ、うまくいっているなあと安心していた

そして昨日の講演会にも来てくれて、最後だねえ、ありがとう、そしてさようならをいった

こんな出会いもあるのだなあ、もともとおせっかいなわたしなので、つい余計なことを心配して、うるさがられる傾向があるが、

この子は素直にわたしのいうことをきいてくれた、そして、一年間を無事に過ごしてくれたことに感謝している

わたしにとっては、一人で異国で暮らしている子供以下の世代の少年にであえたことが嬉しくて

どこからきたの?あっちから…の会話から始まった出会いと別れが心に残っている