鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

歌川広重の歩いた甲斐道 その3

2009-11-20 06:35:52 | Weblog
 4月4日、野田尻宿から黒野田宿までの間で、広重は江戸品川の人3、4人とたびたび出会っており、少しばかり話をしています。「旅は道連れ」といいますが、江戸を出立して以来、広重はいろいろな人と道連れになっています。

 布田宿から府中宿の間では「堀之内辺の人男女三人」と道連れになっていますが、「面白からず」とあってあまり道連れとして楽しい相手ではなかったようだ。

 日野宿を過ぎたところでは「信州諏訪の侍」と道連れになっています。

 八王子八日町の「甲州武田のざんとう」である山上重郎左衛門方に泊まった際には、甲府城の勤番武士(?)の隠居である鈴木という人と出会い、いろいろな話に盛り上がりました。

 駒木野宿からは身延参りの3名と道連れになっています。また小梨宿柏屋の女房とも道連れになり、広重を入れて都合5名で小仏峠に差し掛かり、小仏宿で信州伊那の者も一行に加わり、小仏峠を越えています。小仏峠を越えたところで柏屋の女房とは別れています。

 野田尻宿で江戸者で身延詣でに向かう3人と別れているから、小原宿付近から野田尻宿まで、広重はこの3名ないし、伊那出身の者を加えて4名とともに歩いていることになる。桂川の渡し舟にも一緒に乗り、境川の茶屋でも一緒にお昼を摂っています。

 野田尻宿の小松屋で、妻子を連れた桑名藩の武士と知り合ったのは前回触れた通り。

 野田尻宿から犬目峠を越えて初狩宿の手前までは、道連れはおらず、広重は一人で歩いたようだ。

 初狩の手前で広重は江戸品川の4人連れと出会っています。道連れとなっているわけではなさそう。

 白野宿を過ぎたあたりで、百姓勝右衛門という者の家に立ち寄って、奥から出て来た老婆と話が弾んだことは、先に触れた通り。

 初狩の手前で出会った江戸品川の4人連れとは、この日、広重はたびたび出会って少しばかり話を交わしていますが、「きざある故、はずす」とあります。その話の内容を記すのはさしさわりがあるから書かない、という意味でしょうか。

 このように江戸を出発した2日から4日までの間でも、広重は、道中、いろいろな人と道連れになり、また宿でも出会って話をし、また茶屋の人や立ち寄った家の人とも話をしています。

 話をしたくないと思えばしなくてもすむわけで、やはり、広重は旅で出会った人たちに積極的に声を掛け、いろいろな話を聞くのが好きな人であったのでしょう。相手からすれば、いたって気安く、肩肘をはらなくてもよいような人物であったということでしょう。

 さて、5日は晴天。

 広重は黒野田宿の若松屋の門前を出て、笹子峠に差し掛かります。

 笹子峠を登る峠道では、広重は「江戸男女姉弟連」、「遠州掛川の人男女三人連」、「甲州市川禅坊主と俗一人」に出会い、話を交わしています。

 「矢立の杉」を左手に見て、思いの外、楽に笹子峠を越え、鶴瀬宿を過ぎて鶴瀬の番所を通過。「横吹といふ原」付近からは「江戸講中」の一団と道連れになりました。

 次第に甲府盆地を取り巻く山々が見えて来ます。白根山・地蔵岳・八ヶ岳などなど。

 柏尾山大善寺の門前あたりから勝沼宿のあたりまでは、「名物葡萄」の棚(葡萄棚)がたくさん掛かっていました。

 勝沼宿では「常磐屋」という茶屋に、道連れになった江戸講中の者とともに入り、玉子とじで昼飯を摂っています。

 この勝沼宿より「江戸講中」の一団は「横道」に入ったとある。この「横道」とはどこかといえば、私の推測では、おそらく御坂峠へ向かう「脇往還」であったと思われます(取材旅行で私が歩いた道)。

 つまり「江戸講中」とは、富士山の登山ないし参拝を目指す集団であったのでしょう。「富士講」の集団であれば大月宿から富士道を通って上吉田へ向かうはずですが、彼らはそのルートを取らず、甲府盆地に入り、勝沼宿から脇往還を利用して御坂峠を越え、河口湖に出て、そこから富士参拝ないし登山を目指す集団でした。

 しかし4月という時期から考えると、富士山はまだ山開きをしてはおらず、この集団は登山を目指したものではなく、浅間神社の参拝や、富士山の遥拝を目指した集団なのかも知れません。

 「江戸講中」とあるからには、江戸の庶民たち。

 時期は4月の初旬。

 興味ある一団です。

 勝沼宿の茶屋「常磐屋」で玉子とじを食べた広重は、茶屋を出たところで、またまた笹子峠で出会った「江戸姉弟」と「市川の人」に出会い、道連れになっています。

 この道連れとの会話はよほど面白いものであったらしく、広重は、「此道連甚面白し」と記しています。


 続く


○参考文献
・『歌川広重の甲州日記と甲府道祖神祭』(山梨県立博物館)


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