鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

笛吹川流域の道祖神祭り その19

2018-02-28 08:04:17 | Weblog

 

 午後6時頃に合図の花火が一発打ち上げられました。

 先ほどうかがった話によれば、この花火の合図とともに当番の西組の者が各地区(西藤木・上藤木・下藤木)の大太鼓を迎えに行くことになります。

 広場中央の「どんど焼き」に付近の果樹園の切株や間引きした枝の束などが放り込まれてその炎とそこから舞い上がる火の粉はさらに高くなります。

 また正月用の飾りなどが参集者によって持ち込まれ、それも炎の中に放り込まれます。

 広場の一角には紅白の幕がある小さな舞台が設えられ、その横に椅子を並べたテントが設けられていますが、それらは地区の役員や来賓者のためのもの。

 参集者の数はどんどん増えて来ました。

 若い時に東京から引っ越してきて道祖神祭りに驚いたという地元消防団のおじさんが、「塩山の千野(ちの)が道祖神祭りの発祥の地だといわれている」と教えてくれました。

 道祖神祭りは千野から周囲に広がったらしいというのです。

 どういう伝承に基づくものかはわかりませんが、地元ではそう伝えられているのでしょう。

 その「千野」とはどういうところなのか、俄然興味が湧きました。

 しばらくすると(6時半ごろ)駐車場の東側から大太鼓や鉦の音が賑やかに響いてきました。

 行列の中心は「道祖神様」であるとのこと。

 「道祖神様は誰がやるんですか」とお聞きすると

 「小学校6年生の男の子」であるという。

 やがて駐車場の入口から裃(かみしも)を着た大人の先導役に率いられて、飾りの付いた行灯を持った子どもたちが会場へと入ってきました。

 先導役の後ろの二人は手に竹棒のようなものを持ち、その後ろの二人も錫杖のようなものを持っています。

 その後ろに続くのが「道祖神様」で裃姿。

 その後に続く子どもたちはハート型の飾りの付いた箱行灯を掲げており、それらの箱提灯には「道祖大神」「交通安全」「無病息災」「家内安全」などと墨書されています

 子どもたちの中には女の子も加わっています。

 地元の「子供会」(育成会)の子どもたちであるように思われました。

 その子どもたちによる「道祖神様」を中心とした行列の後ろから、大太鼓を真ん中にくくり付けた大きな梯子状のものを背負った大人の集団が入ってきました。

 これが「太鼓乗り」の大太鼓で直径は1mはありそうです。

 その大太鼓を吊るす梯子状のものは長さ6mほど。

 担ぎ手は8人。

 その脇には小太鼓を吊るした棒を背負う二人の大人もいます。

 それぞれが祭り用の法被を着用しています。

 大太鼓を鳴らす男は両頬のところに刺青状の模様を描いていました。

 会場に入ったその行列は「どんど焼き」の広場を、「どんど焼き」の炎に照らされながら時計回りにぐるりと回っていき、その隊列の後ろから2台目、3台目の大太鼓の行列が加わって来ました。

 行列が「どんど焼き」の回りを一周すると「道祖神様」を中心とした子どもたちの行列は広場の東側で解散。

 地区の役員や来賓の挨拶が終わった後、大太鼓がひとしきり打ち鳴らされるといよいよ「太鼓乗り」の演目が始まりました。

 

 続く

 



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