鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.3月取材旅行 「宮原~上尾~桶川~鴻巣」 その最終回

2012-03-28 19:38:21 | Weblog
 鴻神社前を少し過ぎたところで道を戻り(15:09)、鴻神社の石鳥居や参道を左手に見て、「鴻巣駅入口」交差点を右折しました。

 ちょうど加須(かぞ)駅行のバスが通過するところでした。加須というと福島県双葉町の人たちが避難して集団居住している旧騎西高校があるところです。

 駅前への通りをしばらく進むと、「鴻巣市立鴻巣中央図書館→」という案内標示があり、ここで右折すれば図書館があることを知りました。しかし時間の関係で今回は立ち寄らず、また別の機会とすることに。

 駅前には「KONOSU SHOPPING MALL」という巨大な複合施設などがあって、かつて私が大学時代に、鴻巣在の友人宅を訪れた時の駅前の面影は全く残っていません。

 駅前ロータリーには、「ひな人形と花のまち こうのす」という「ひな人形」と花をあしらった大きな看板(モニュメント?)がありました。

 駅の「周辺案内図」を見てみると、鴻巣駅から中山道に出て、法要寺や旧本陣跡があるあたりが「本町」で、鴻神社があるあたりが「本宮町」、その先(熊谷方向)が「雷電」となっています。

 崋山が宿泊した「穀屋次郎兵衛かた」という「いとゆたかなる逆旅」(旅籠)が、鴻巣宿のどのあたりにあったのかは、今のところ私には分かっていませんが、おそらく本町の街道筋にあったものと思われます。

 崋山が記すところによれば、商人が多く泊まる旅籠であり、奥の方には大きな蔵があり、その蔵の中を三つに仕切って旅人を泊まらせていたのだという。

 実は崋山も、その蔵の中に寝ています。

 この旅籠は、旅人に貸す座敷は、全部で15、6間(ま)もあり、一間一間に、一、二、三…という番号札を掛け、履物や杖などは、出口の方に番号札で記し置かれていて、「其十何番之旅人」の部屋やものだとわかるようになっていました。

 崋山が宿泊した際にも、およそ20人ほどの宿泊者がいたようです。

 わざわざ崋山がこのように記したということは、番号札を掛けて、それで旅人の泊まる部屋や持ち物がわかるようになっているシステムが、当時においてはまだ珍しいものであったことをうかがわせます。

 「何番さ~ん、ご出立~」などという女中の呼び声や、「へ~い」といった番頭などの大きな応答が飛び交う、大きな蔵の中がいくつもの部屋に仕切られている「穀屋次郎兵衛」という旅籠が、崋山が鴻巣宿で泊まったところであったのです。

 JR高崎線から大宮方面行きの電車に乗り、帰途に就きました。


 終わり


○参考文献
・『渡辺崋山集 第2巻』(日本図書センター)


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