鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2007.10月の「大磯宿・二宮・国府津」取材旅行 その6

2007-10-28 07:21:15 | Weblog
 『国府津町誌』(国府津町)によると、国府津~湯本間に小田原馬車鉄道が開業したのは明治21年(1888年)。横浜~国府津間が開業した翌年のこと。その後、明治34年(1901年)には、国府津~湯本間を小型路面電車が走るようになりました。しかし大正9年(1920年)に国府津~小田原間に鉄道が開通して、東京~小田原間が直通することとなり、国府津~小田原間の路面電車は廃止されることになりました。大正11年(1922年)に小田原~真鶴間に鉄道が開通。大正14年(1925年)には真鶴~熱海間が開通(熱海線)して、東京から熱海まで鉄道で直接行くことが出来るようになったのです。

 『青年』の小泉純一が国府津駅で「鉄道馬車」に乗ったのは、明治34年よりも前ということになります。

 国府津駅舎が写る最も古い写真は、『一枚の古い写真 小田原近代史の光と影』(小田原市立図書館)に載っています。195の写真。明治40年頃のもので、駅前の線路は「小田原電気鉄道」の軌道。197は明治末年の写真で、国府津駅前の右手に、待合茶屋(まちあいちゃや)の「相仙」、左手に同じく「あさひ屋」が写っています。電気鉄道の軌道は、右方へループ式に回っていますが、これは方向転換をするためのもの。

 この待合茶屋「相仙」の主人神戸仙次郎の妻「あい」の兄である義雄は、幕末の剣客斎藤弥九郎門下の師範格の剣士で、伊藤博文の用心棒を務めたらしい。その縁もあってか、国府津駅で下りた伊藤は、この「相仙」で待合の時間を過ごしたという。

 この「相仙」には、明治40年頃に「TEA HAUSE」なるものが設けられ、ウィスキー・ワイン・コーヒー・紅茶をお客に出していたというから、よほど当時においては「ハイカラ」な待合茶屋であったことになります。

 ちなみに、国府津~小田原間の「小田原馬車鉄道」と連絡する形で、明治27年(1894年)~明治33(1900年)にかけて漸次開通されたのが「豆相(ずそう)人車鉄道」。鉄道上の客車を人が押すというもので、定員6名あるいは8名の客車を3名の人夫が押しました。しかしこの人車鉄道は、明治40年(1907年)に小型蒸気機関車牽引の軽便鉄道に切り替えられました。

 この軽便鉄道の敷設工事を見物に行った少年「良平」を主人公にした短編小説が、芥川龍之介の『トロッコ』。「良平」少年がトロッコに乗ったのは、明治40年(1907年)の2月中旬のことでした。

 この「熱海軽便鉄道」を走っていた小型蒸気機関車(「7機関車」)は、JR熱海駅前の足湯のそばに展示してあります。明治40年(1907年)から大正12年(1923年)まで、小田原~熱海間を2時間40分かけて走っていたもの。

 馬車鉄道時代の箱根湯本の全景は、『一枚の古い写真 小田原近代史の光と影』の75の写真で知ることが出来ます。その写真の右手に写る平屋の建物が馬車鉄道の駅舎で、その奥の白い橋が、明治17年(1885年)に架けられた旭日橋。その左手に福住(ふくずみ)旅館が写っています。

 同書262の写真は、熱海軽便鉄道駅前の早川口小田原電気鉄道(「小田電」)停車場(早川口が軽便鉄道の始発駅でした)。

 266の写真は、早川海岸を走る人車鉄道(「豆相人車鉄道」)の写真で、明治末年(ただし明治40年以前)のもの。1車両の定員は6名(あるいは8名)。4、5両がグループになって走行しています。車を押す人夫(車丁)は、股引(ももひき)・腹掛け姿。

 明治中期から大正時代にかけて、国府津~小田原~湯本、小田原~熱海間には、いろいろ面白い鉄道・車両が走っていたことになります。乗客の多くは、湯本など箱根の温泉や熱海など伊豆の温泉に赴く(または帰りの)湯治客であったことでしょう。

 さて、国府津駅に戻ります。「国府津レトロ写真展」を見た後、14:55に、東京行きの普通電車に乗車。進行方向左手に大山や吾妻山が見える。二宮駅を過ぎ大磯駅で下車。駅から国道へ下り、出口書店を訪れるものの、残念ながら日曜日はお休みでした。

 国道を駐車場方面へ進み、途中で右折して地福寺に。真言宗のお寺で、島崎藤村のお墓があるところ。前回訪れた時は、右手の墓域を探したものの見つけることが出来なかったのですが、実はお墓は門を入ってすぐ左手にあったのです。

 細長い四角の石柱で、「島崎藤村墓」と刻まれている極めて簡素な墓で、大きな梅の木の枝が張り出ている。梅の花が咲く時ばかりは華やかに違いない。その左隣に「島崎静子墓」。藤村のそれと同じように細長い石柱です。

 15:40に地福寺を出て、道を戻り大磯町立図書館へ。

 17:00過ぎ、大磯港第二駐車場へ戻り、帰途につきました。駐車料金は670円でした。


○参考文献
・『国府津町誌』(国府津町)
・『森鴎外全集2』「青年」(筑摩書房)
・『一枚の古い写真 小田原近代史の光と影』(小田原市立図書館)
・『箱根彩景 古写真に見る近代箱根のあけぼの』(箱根町立郷土資料館)


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