鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

富士吉田市向原(むかいばら)の道祖神祭-その11

2019-01-29 07:41:07 | Weblog

 教えられた道を進んで行くと、途中から屋根の間の向こうに御神木先端の青竹の繁りが見えました。

 それを目指して集落の道を進んで行くと、向原の集落を流れる川に沿った道とその左側の道へと分岐する地点に「上組」の御神木が立ち上がっていました。

 二つの道は向原の東側にある山の麓の方へと続いています。

 「上組」の道祖神はその御神木の手前左側にありました。

 「道祖神」と刻まれた石碑型道祖神。

 「下組」(したぐみ)のそれと同様、立派な石垣と石壇の上に鎮座しています。

 2枚の白い四手(しで)が付けられた注連縄(しめなわ)がその上部に掛けられています。

 道祖神の周囲には4本の青竹に注連縄が張り渡されており、それに色とりどりの四手が付けられています。

 提灯立てにはまだ提灯が吊り下げられていませんが、おそらく下組と同様の、「道祖神」と墨書された提灯が吊るされるのでしょう。

 この道祖神の前が、道が二股に分かれるところでやや幅が広くなっており、御神木の立っているところと合わせて「道祖神場」になっているところであると思われました。

 御神木を見上げてみると基本的な姿(構造)は下組のそれと共通しています。

 先端には青竹の繁りがあり、その繁りの中に「ボンテン」が取り付けられています。

 その「ボンテン」の下にビニール袋に入れられた「ほうこう」が5体ほど縄で結わえ付けられています。

 「ボンテン」の下から「テンダナ」(天棚)の竹柱の先端に向かって、七色の四手(しで)がびっしりと取り付けられた4本の縄が伸びており、また「テンダナ」の竹柱の先端にはビニール袋に入れられた「大房」(おおぶさ)が垂れています。

 また「テンダナ」の竹柱の先端に縄が張り巡らされ、その縄には七色の四手のほかにビニール袋に入った「ヒイチ」やバケツなどが掛けられています。

 御神木を支える枠木などの構造や部材もほぼ同様。

 御神木の左側の通りに面して立て看板があり、それには「金一封」や「献酒」をした人たちの名前などを記した紙片がびっしりと貼られていました。

 その中央部には「祝大願成就」と朱筆で記された半紙が5枚貼られていました。

 おそらくこれは昨年に出産のあった(子宝に恵まれた)家を祝うものであると思われました。

 またその立て看板の左に次のように記された貼り紙がありました。

 「上組の皆様へ

 縄代集めから始まり道祖神行事に支援協力ありがとうございました。

 本年もこれらの資金にて祭りを行います。よろしく申し上げます。

 尚神木たおしは十六日朝行いますのでお願い申し上げます。」

 「縄代集め」というのはよくわかりませんが、下組の方が言われていたことを思い出しました。

 それは「ホームセンターで買った縄では丈夫ではないため切れてしまうことがある。縄は専門の業者が作ったものでないとだめだ」という言葉でした。

 御神木に「テンダナ」や「ボンテン」などさまざまなものをしっかりと結わえ付けるには丈夫な縄が必要であり、その縄は専門の業者が作ったものでなければだめだということです。

 「縄代」(なわだい)とはその丈夫な縄(一巻)を多数購入するための費用であると思われました。

 「本年もこれらの資金にて祭りを行います」という文章も興味深いものでした。

 かつては道祖神祭礼で村人から集めた(奉納された)金銭でもって、その年一年間の村のさまざまなお祭りや娯楽的行事(芝居など)が、「若者組」(若衆)が中心になって企画運営されたからです。

 その名残りをこの文章からうかがい知ることができました。

 そしてこの「御神木」を倒す作業は16日の朝に行われるということも、この貼り紙から知ることができました。

                              続く



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