鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

富士吉田市向原(むかいばら)の道祖神祭-その12

2019-01-30 07:40:13 | Weblog

 「上組」の御神木を眺めてからふたたび「下組」の広場に戻りました。

 「テンダナ」の真下に綱が3本結わえ付けられており、そのうち2本は御神木を支える枠木に通されて北方向へと延び、1本は逆方向(南西方向)に延びています。

 御神木を立ち上げるには、その3本の綱を男衆が力を合わせて引っ張り、立ち上がっていく御神木に合わせて梯子(1脚)と「ハ」の字状の丸太を移動させて支えるとともに、御神木を乗せている大きな臼を内側に向かって転がしていく作業が必要になります。

 男衆みんなが息を合わせての作業となります。

 梯子を動かす男衆の中には中学生と思われる少年数人も混じっています。

 しかし男衆の中に少年は少なく、圧倒的多数は中高年。

 少し離れたところから広場の風景を撮ろうと、道祖神の向こう側の畑への細道を入って行くと、人家の塀際の陽だまりに数人の女性がいて、まだ立ち上がっていない御神木や男衆が立ち働く広場の方を見遣っていました。

 その中の年輩の女性に「そろそろ立ち上げが始まりますね」と言葉を掛けました。

 話を交わしていくと、そのおばあちゃんの家が御神木である杉木を奉納した家であることがわかりました。

 御神木には奉納者である「F・G」という男性の名前が記されていました。

 そのF・Gさんは、おばあちゃんの息子であるという。

 その家で奉納した杉木で作られた御神木の立ち上げを、F・Gさんの母親であるおばあちゃんが見物に来ていたのです。

 4年ほど前に自分の持ち山にある杉の大木を道祖神祭関係の方が見つけて、御神木に使いたいとの話があり、家族で話し合って奉納することに決めたのだという。

 山の中にも杉の大木(御神木の候補となる木)は多数あるけれども、それを切り出して運搬するには村になるべく近いところにあるのがよく、Fさんの持ち山にあった杉の大木がその条件に適うものであったようです。

 その杉木は地元の建築会社である「K建築」の手で製材加工されて、その翌年(おそらく2016年)小正月の道祖神祭に初めて御神木として立ち上げられたものと推測されました。

 であるならば今年の道祖神祭で4回目の利用であるということになります。

 使用された杉材はふたたび軽トラと男衆の手で万年寺の本堂床下に運ばれ、そこで1年間保管されて、次の道祖神祭礼に合わせてふたたび運び出されるということを繰り返すわけです。

 息子さんであるF・Gさんは仕事の関係で今日の御神木立ち上げには参加していませんが、母親であるおばあちゃんが、自分の家で奉納した杉木を使った御神木の立ち上げを見に来ていたのです。

 全ての準備を終え、いよいよ広場では御神木の立ち上げが始まりました。

 私も地元の男衆の中に混じって綱を引っ張らせてもらいました。

                             続く



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