
「佐賀一丁目南」交差点を永代橋東詰の方向へ進んでいくと、左手に「大和永代ビルディング」という大きな建物がありますが、このあたり一帯が真田藩(松代藩)下屋敷があったあたりであると思われます。
「ウチダエスコ株式会社」のビルの前に、「赤穂義士休息の地」碑を見て、永代橋東詰にふたたび出たのが9:40。
そこで左折し、「佐賀一丁目」バス停を過ぎ、大島川西支川に架かる「福島橋」を渡りました。福島橋を渡った左手に「渋沢栄一宅跡」の案内板。それによると渋沢栄一は、明治9年(1876年)に深川福住町の屋敷を購入して修繕を加え、そこを本邸としました。同21年(1888年)に兜町(かぶとちょう)に本邸を移設したため、この深川の屋敷は別邸として利用されることになったのだという。
栄一は早くから倉庫業の重要性に着目。明治30年(1897年)に、当地に渋沢倉庫部を創業。本区に関係する栄一が設立した会社は、浅野セメント株式会社・東京人造肥料会社・汽車製造会社・旭焼陶器組合などが挙げられる、とのこと。
渋沢栄一の倉庫業の重要性の着目は、この深川の堀川沿い、あるいは日本橋川に沿って甍(いらか)や白壁をずらりと並べていた河岸蔵の存在と無縁ではないでしょう。
その近くには「澁澤倉庫発祥の地」を示す碑も立っていました。
左手にある巨大ビルは、「澁澤シティプレイス永代」というものであり、そのビルの右手奥に「澁澤倉庫」と名前のある建物が見えました。
歩道橋を渡って「葛西橋通り」を渡って「門前仲町一丁目」に入りました(9:56)。
「清澄通り」を越えると、そこは「門前仲町」の商店街であり、いきなり人通りが多くなって賑やかになりました。「深川仲町通商店街掲示板」というのがあるから、この商店街は「深川仲町通商店街」というらしい。
やがて左へと折れる道が現れ、その奥に「深川不動尊」の屋根らしきものが見えたので、その道を進みました。その通り両側にも、門前町を思わせる商店が並んでいます。
「深川不動尊」の案内板によれば、深川不動堂は、成田山不動堂新勝寺の出張所として明治11年(1878年)にここに遷座したもので、堂宇が建立されたのは明治14年(1881年)のこと。
ということで、この「深川不動尊」は、幕末・明治初期にはここにはなかったことになる。
その門前から「富岡八幡宮」の方へ。
朱塗りの鳥居を潜った左手奥が、富岡八幡宮の社殿でした。
永代通りに面した大鳥居の方へ石畳の参道を歩いていくと、「伊能忠敬銅像」や「世界測地系の採用を記念して」のモニュメント、「大関力士碑」などがありました。興味深かったのは、「巨人力士身長碑」。釈迦ヶ嶽雲右エ門は、身長が七尺四寸八分(二米二六)もあったのです。
永代通りを左へと進んで、「汐見橋」を渡ったのが10:26。下を流れるのは「平久川(へいきゅうがわ)」。
そこから戻って右折し、「八幡堀遊歩道」へと向かいました。
この八幡堀遊歩道には「八幡橋」というのがあって、それは「旧弾正橋」であるという。
この「弾正橋」には、私は記憶がありました。それは『百年前の東京絵図』に収録されている1枚の絵。山本松谷の描く「三つ橋(みつばし)の現況」というもの。P84~85に掲載されています。
その絵の左端中央に描かれている鉄橋が「弾正橋」でした。
この絵はとても印象的な絵で、東京の市街の真ん中に堀川が十字に交差するところがあったことがわかる絵です。場所は本八丁堀町あたり。左下から右上へ流れる堀川が「八丁堀」で、左奥に入っていく堀川(弾正橋が架かる堀川)が「楓川(かえでがわ)」。この楓川に沿って奥へと進んでいけば、「日本橋川」に架かる「江戸橋」へと至ります。
左手前の「八丁堀」に架かる木橋は「白魚橋」。右手の堀川に架かる木橋が「真福寺橋」。
縦横十文字に堀川が流れているところに三つの橋が集中しているので、「三つ橋」の名称がついた、とあります。
交差する堀川の水面には、荷船や屋根船を初めとした「茶船」が多数行き交い、弾正橋を渡った右手の河岸には荷船が繋留され、広場には多数の諸物資が積み上げられています。重い荷物を肩に乗せて運ぶ人足たちの姿たちも描かれています。その河岸地の奥には白壁の蔵が並び、河岸通りに面して黒漆喰塗りの重厚な土蔵造りの商店が軒を並べています。
手前の通りには、荷物を満載した大八車や、荷物を載せた車を引っ張る馬や馬引きの姿が描かれています。
小雨の降るあいにくの天気ながら、堀川の河岸沿いを中心とした、ありし日の東京の風景が描かれていて、鉄橋や人力車が描かれているように明治東京の風景でありながらも、江戸の風景(堀川沿いの)を髣髴(ほうふつ)とさせる貴重な風俗画です。
この「楓川」が「八丁堀」と交わる手前、本材木町と本八丁堀町とを結んでいた鉄橋、山本松谷が描いたところの「弾正橋」が、この「八幡橋遊歩道」に移設保存されているというのです。
続く
○参考文献
・『東京 隅田川の歴史』「隅田川の船」塚田芳雄(かのう書房)
・『百年前の東京絵図』山本松谷画/山本駿次朗編(小学館文庫/小学館)
「ウチダエスコ株式会社」のビルの前に、「赤穂義士休息の地」碑を見て、永代橋東詰にふたたび出たのが9:40。
そこで左折し、「佐賀一丁目」バス停を過ぎ、大島川西支川に架かる「福島橋」を渡りました。福島橋を渡った左手に「渋沢栄一宅跡」の案内板。それによると渋沢栄一は、明治9年(1876年)に深川福住町の屋敷を購入して修繕を加え、そこを本邸としました。同21年(1888年)に兜町(かぶとちょう)に本邸を移設したため、この深川の屋敷は別邸として利用されることになったのだという。
栄一は早くから倉庫業の重要性に着目。明治30年(1897年)に、当地に渋沢倉庫部を創業。本区に関係する栄一が設立した会社は、浅野セメント株式会社・東京人造肥料会社・汽車製造会社・旭焼陶器組合などが挙げられる、とのこと。
渋沢栄一の倉庫業の重要性の着目は、この深川の堀川沿い、あるいは日本橋川に沿って甍(いらか)や白壁をずらりと並べていた河岸蔵の存在と無縁ではないでしょう。
その近くには「澁澤倉庫発祥の地」を示す碑も立っていました。
左手にある巨大ビルは、「澁澤シティプレイス永代」というものであり、そのビルの右手奥に「澁澤倉庫」と名前のある建物が見えました。
歩道橋を渡って「葛西橋通り」を渡って「門前仲町一丁目」に入りました(9:56)。
「清澄通り」を越えると、そこは「門前仲町」の商店街であり、いきなり人通りが多くなって賑やかになりました。「深川仲町通商店街掲示板」というのがあるから、この商店街は「深川仲町通商店街」というらしい。
やがて左へと折れる道が現れ、その奥に「深川不動尊」の屋根らしきものが見えたので、その道を進みました。その通り両側にも、門前町を思わせる商店が並んでいます。
「深川不動尊」の案内板によれば、深川不動堂は、成田山不動堂新勝寺の出張所として明治11年(1878年)にここに遷座したもので、堂宇が建立されたのは明治14年(1881年)のこと。
ということで、この「深川不動尊」は、幕末・明治初期にはここにはなかったことになる。
その門前から「富岡八幡宮」の方へ。
朱塗りの鳥居を潜った左手奥が、富岡八幡宮の社殿でした。
永代通りに面した大鳥居の方へ石畳の参道を歩いていくと、「伊能忠敬銅像」や「世界測地系の採用を記念して」のモニュメント、「大関力士碑」などがありました。興味深かったのは、「巨人力士身長碑」。釈迦ヶ嶽雲右エ門は、身長が七尺四寸八分(二米二六)もあったのです。
永代通りを左へと進んで、「汐見橋」を渡ったのが10:26。下を流れるのは「平久川(へいきゅうがわ)」。
そこから戻って右折し、「八幡堀遊歩道」へと向かいました。
この八幡堀遊歩道には「八幡橋」というのがあって、それは「旧弾正橋」であるという。
この「弾正橋」には、私は記憶がありました。それは『百年前の東京絵図』に収録されている1枚の絵。山本松谷の描く「三つ橋(みつばし)の現況」というもの。P84~85に掲載されています。
その絵の左端中央に描かれている鉄橋が「弾正橋」でした。
この絵はとても印象的な絵で、東京の市街の真ん中に堀川が十字に交差するところがあったことがわかる絵です。場所は本八丁堀町あたり。左下から右上へ流れる堀川が「八丁堀」で、左奥に入っていく堀川(弾正橋が架かる堀川)が「楓川(かえでがわ)」。この楓川に沿って奥へと進んでいけば、「日本橋川」に架かる「江戸橋」へと至ります。
左手前の「八丁堀」に架かる木橋は「白魚橋」。右手の堀川に架かる木橋が「真福寺橋」。
縦横十文字に堀川が流れているところに三つの橋が集中しているので、「三つ橋」の名称がついた、とあります。
交差する堀川の水面には、荷船や屋根船を初めとした「茶船」が多数行き交い、弾正橋を渡った右手の河岸には荷船が繋留され、広場には多数の諸物資が積み上げられています。重い荷物を肩に乗せて運ぶ人足たちの姿たちも描かれています。その河岸地の奥には白壁の蔵が並び、河岸通りに面して黒漆喰塗りの重厚な土蔵造りの商店が軒を並べています。
手前の通りには、荷物を満載した大八車や、荷物を載せた車を引っ張る馬や馬引きの姿が描かれています。
小雨の降るあいにくの天気ながら、堀川の河岸沿いを中心とした、ありし日の東京の風景が描かれていて、鉄橋や人力車が描かれているように明治東京の風景でありながらも、江戸の風景(堀川沿いの)を髣髴(ほうふつ)とさせる貴重な風俗画です。
この「楓川」が「八丁堀」と交わる手前、本材木町と本八丁堀町とを結んでいた鉄橋、山本松谷が描いたところの「弾正橋」が、この「八幡橋遊歩道」に移設保存されているというのです。
続く
○参考文献
・『東京 隅田川の歴史』「隅田川の船」塚田芳雄(かのう書房)
・『百年前の東京絵図』山本松谷画/山本駿次朗編(小学館文庫/小学館)
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