鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2014.4月取材旅行「鷺沼~荏田~下鶴間~さがみ野」 その14

2014-05-14 06:07:12 | Weblog
崋山が「蚕ノ本」と記しているのは、蚕卵紙(蚕紙)のことであると思われる。この蚕卵紙は「奥州ヨリ到(いたる)ヲ佳(よし)ト為ス」と崋山は記す。「蚕卵紙は奥州産のものがよいとされている」ということを、崋山はおそらく河原松五郎(琴松)あたりから聞いたのだろう。その蚕卵紙を崋山は見せてもらい、素描しています。縦一尺ばかり(30cmほど)、横五、六寸ばかり(15cmほど)の長方形をなし、それに卵が幾数万かわからないほど重なり合いびっしりと産み付けられている。その色は赤黒く、まるで鮫皮のようだと崋山は記しています。「起蚕ノ法、常ニ殊ナル無シ、不記(しるさず)」と書いているということは、崋山は養蚕の知識についてはある程度もっていて、聞いたことはその養蚕の一般的なやり方と異なってはいないから、あえて記すまでもないとしているということであり、崋山はすでに養蚕に関心を持っており、それなりの知識を持っていたということを示しています。聞いたことで崋山が特筆に値すると思ったことは、まず蚕は潮風を嫌うから、沿海地方は養蚕には適しないということと、養蚕と織物(絹織物)を同じ場所で行うのは不利であるということ。実際、長津田や鶴間あたりでは養蚕がもっばら行われ、八王子では絹織物の生産が盛んであるといったことを、崋山は詳しく聞いたのです。 . . . 本文を読む