鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2014.4月取材旅行「鷺沼~荏田~下鶴間~さがみ野」 その8

2014-05-05 06:10:10 | Weblog
荏田宿(下宿)の旅籠「升屋」の主人喜兵衛に、崋山は、「このあたりで名の知れた風流人としては、たとえばどういう人がいるか」と聞いています。すると喜兵衛は、「歯牙にかゝるものなし」と答えます。「歯牙にかゝるような風流人は、この近辺にはいません」とは、喜兵衛自身の言葉をおそらくそのまま崋山が日記に記したものであり、喜兵衛はよほどの自信家であったと思われる。そして喜兵衛は、やや離れた街道筋の三人のすぐれた風流人を挙げました。一人は愛甲郡飯山村に滞在しているという藤原道雄(権介)。京都からやって来た歌詠みで、教えを乞う者も多いと聞いている、と喜兵衛は言う。一人は高座郡当麻村にある時宗のお寺、当麻山無量光寺の寺主の陀阿(正しくは「他阿」)で俳諧を好み名声がある。あと一人は愛甲郡上荻野村というところに住む洞々という俳句の師匠。この三人だけだ、と喜兵衛は崋山に語ったのでしょう。「洞々」については、頭注に「高橋伊兵衛(1767~1835)。句集『的申集』がある」とあります。上荻野村は、厚木町から半原村へと向かう道筋にある村。半原村からは歩いて2時間ほどの距離。半原村に住む鍛冶屋兼猟師の孫兵衛も俳句を嗜み、「秋の蝶 入日をあとに 後の月」「秋の暮 色もかはらぬ 辻地蔵」の2句を崋山は日記に記録していますが、孫兵衛はこの上荻野村の俳句の師匠高橋伊兵衛(洞々)を知っていたかも知れない。 . . . 本文を読む