鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2012.2月取材旅行「戸田~大宮~上尾」 その最終回

2012-02-29 06:21:37 | Weblog
大宮宿を出た嘉陵は、吉野原村、天神橋を過ぎて加茂宮の木立のある「大宮の原」へと出ました。ここからは西方に富士山、秩父連山、八王子の山々、武甲山などを見晴るかすことができましたが、一目見ようと思っている浅間山(それが、その日、中山道上尾宿を目指した一番の理由でした)らしき山は見えませんでした。上大宮に東光寺という曹洞宗のお寺があるものの、道を急ぐために立ち寄ることはしませんでした。大宮と上尾の間の、幅二間ばかりの用水に架かる橋を渡って中山道を進み、嘉陵が上尾宿に至ったのは巳の刻(午前10時頃)。上尾宿を過ぎたあたりから北方の山々が見え、浅間山も見えてくると聞いていたから、さらに北へと進んだものの、木々の梢が視界を遮って進めば進むほど山は見えなくなる。「これは、たぶらされたか」と心迷いつつ、まだ「午(うま)の初」(午前11時過ぎ)ということもあって心を励まして進んで行ったところ、道の西側に「富士浅間」を祀った丘があったので、嘉陵は、そこからなら浅間山が見えるかも知れないと思って登ってみましたが、木立が鬱蒼としていて全く視界は開けない。疲れてしまったので街道の傍らの茶店に入って休憩をとりながら、その茶店の主人にたずねてみると、「桶川宿の入口の右手、不動堂のある畑からなら北の山々がわずかながら見えますよ」ということだったので、嘉陵は疲労を覚えつつも次の桶川宿まで足を延ばすことにしました。 . . . 本文を読む