鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2009.12月取材旅行「富士吉田~籠坂峠~須走」 その最終回

2009-12-23 08:19:45 | Weblog
『定本静岡県の街道』(郷土出版社)によれば、足柄峠を越える「足柄街道」は、須走方面を起点とすると、須走→水土野(みどの)→上小林→古沢→大胡田→足柄峠というルートであり、須走から旧鎌倉往還を進み、水土野で足柄峠の方へ向かうことになります。足柄峠(標高759m)は、古代から近代に至るまでの交通の要地でしたが、明治22年(1889年)に東海道線が開通すると、その峠道の利用者は激減し、急速に廃れていってしまいました。このルートは富士講の人々も利用した道であり、上小林の東岳院というお寺は、富士山の湧水が出るところでもあって、そこで休憩をする富士講の人々で賑わったという。しかし水土野村を通るルートは、古来のものではなく、近世初頭にひらかれた新ルートであるとのこと。このように見てくると、幕末に、須走から足柄峠を越えて東海道へと向かっていった樋口大吉と古屋あやめ(樋口一葉の両親)は、須走から水土野→上小林→竹之下を経て、足柄峠を越えていった可能性が高い。甲州の中萩原村から、御坂峠・籠坂峠・足柄峠という三つの大きな峠を越えていったわけで、身重のあやめ(妊娠9ヶ月ほど)にとっては、大吉と一緒とは言え、やはりきつい道程ではなかったかと思われます。 . . . 本文を読む