四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
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-空白の短歌史- 「綜合詩歌」誌鑑賞(3)

2021年10月16日 12時12分22秒 | 短歌

「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その3」
    「忘れな草への序章」


 かのナポレオンの最終決戦、ワーテルローの戦で倒れた兵士の胸に咲いた花。 忘れな草は偽りのない誠と、率直な友愛のシンボルとも言われる野の花でもある。 そして「ソ連の水爆の父」と仰がれながら、ソ連軍の1979年12月アフガニスタン侵攻に反対し「流刑の沈黙に」耐えたアンドレイ・サハロフ博士の、追悼の夕べの祭壇を飾った花でもある。

  「酔芙蓉」(八重)

 人が己の信念を行動に移そうとする時、そこに少なからぬ逆流が生ずる。 その信念が時の権力者や権威に逆らうものであるとき、逆流はより大きく激しさを増す。 それは本人は言うに及ばず、家族もさらには友人、隣人をも巻き込み、時にはその生命まで 奪ってしまうことは、多くの歴史的事実が教えている。かのガリレイは言うまでもなく、 わが国においても大坂町奉行所の不正、役人の汚職などを告発し、乱を起こし自死を余儀なくされた大塩平八郎、治安維持法改正に反対し暗殺された山本宣治等々、数多の事例を見ることが出来る。

  「忘れな草」ネットから借用しました。

 それらの逆流にあえて身を晒したペレストロイカ前のサハロフ博士の言動を改めて 思い起こすとき、自国の民衆への限りない愛情と、信頼に裏打ちされた「人間への希望」、「人類共生」への深い思いを看る事ができる。そして死への恐怖をも含む葛藤を乗り越えた者のみが持つ、静かな微笑を湛えたその姿は、今もなお鮮明に私達の脳裏に焼きついている。
 この「人間への希望」は、先見性と人類愛に溢れた科学者の思想の根幹を成すものであったが、 人間と人間が殺しあわなければならなかった戦争と言う極限の中で、文学を志しその陣地を守ろうとする者にとっても、その糧ともすべき思いではなかったかと考える。

  「秋薔薇」

 太平洋戦争の戦局が苛烈さを極めつつあった昭和十八年十月、なお、投稿者の数を 増やし発刊され続けた「綜合詩歌」十月号に前号に引き続き、「人間の希望」を尋ねてみたい。 前号と同様に短歌作品の抄出、鑑賞を中心に歌論を合わせて紹介しそれらの文の行間に 溢れる思いも汲み取って行きたいと考える。

 当月号に短歌を寄せている代表的歌人は、後に芸術院会員となった前川左美雄氏を初め、穂積忠、下村海南、松田常憲、原真弓、野村泰三の各氏を含む十一名の方々である。平成二年三月一日発行の「短歌四季春」号で、おりしも前川佐美雄氏の特集を組んでおり、合わせて年譜も掲載され昭和十八年当時の氏の歩みが確認できる。この年は氏の長男佐重郎氏が誕生し、「春の日」「日本し美し」の第五、第六の歌集が出版されている。 先ずは「綜合詩歌」十月号に掲載された前川氏の作品から五首抄出したい。
 金剛           前川 佐美雄
○ 金剛の青嶺大きくはだかりて麓をよろふ山ををらせず
○ 一言の神の社の銀杏樹にひよどりの鳴く秋に来たりぬ
○ 鳴りかぶら引きしぼらせてこの山の大猪たしし帝しぬばゆ
○ 戦いに勝たせたまへといただきの午前五時ごろ杉の木下に
○ 末の世のわれは如何なるいのちぞも萍(うきくさ)はしきり野川ながるる


 これら五首と、昭和五年七月刊行の前川氏第一歌集「植物祭」の次の三首とを比べてみたい。
○ 戦争の真似をしてゐるきのどくな兵隊のむれを草から見てゐる
○ われわれの帝都はたのしごうたうの諸君よ万とわき出でてくれ
○ われわれの周囲になんのかかわりもない遠方に今日も人が死んでる


 これら歌柄の変化は、十三年の歳月によるものか、また、時局の流れへの深い洞察によるものかは定かではない。しかし、氏の第二歌集「大和」(昭和十五年出版)に 掲載された、次の三首は氏のこの間の心の軌跡を示す象徴的な歌として私たちも心に 刻んでいきたい。
○ あかあかと硝子戸照らす夕べなり鋭きものはいのちあぶなし
○ 万緑のなかに独りのおのれゐてうらがなし鳥のゆくみちを思へ
○ 無為にして今日をあわれと思へども麦稈焚けば音立ちにける

 むせかえるような万緑の中で味わう孤独感。己自身をも含む「人間への希望」を人一倍いだきながら、なお揺れるその想いは物に挑もうとする時、誰しもが襲われる葛藤かもしれない。ましてや、表現すること、詠うことに命をもかけざるを得なかった時代。これらの作品群を世に問うた歌人の志に、サハロフ博士とは時代も、状況は異なっても底流をなす心意気と勇気とに相通ずるものを感ずる。時代の濁流の中で真摯に守り深められた 詩精神と、歌へ真向かう志を学んでいきたい。

  「むくげ」(八重)

 なお、当月号には前述の通り歌友諸兄もご存知の穂積忠氏も作品を寄せている。僭越ながら氏を始めとした代表歌人の歌を抄出したい。
 日記抄         穂積 忠
 ○ 時鳥ききつと告げて胸あまるものにか耐えめ梅雨入りひそけし
 ○ 時鳥季節にあひつつ寂しさは去年より深し憶ふものかも
 ○ さぶしさをひとに告げねど時鳥啼く弱昼は籠居りかねつ

 餘燼          山本 初枝
 ○ のこされし生に乞ふ幸やいくばくとまたよりゆかむ身が切なしも
 ○ 生命の果てやいづこと朝勤行終へての後に掌をくみてゐつ
 ○ 暁じろむ霧に髪ぬれ佇てらくはきざすひとつの想ひ冷ゆべき

 その母         渡辺 曾乃
 ○ その母の悲しみをすら知りて居つ娘のいとしさや髪結ひてやる
 ○ 我が経来しかなしき道を踏ませじと娘に思ふなり夜を覚めつつ
 ○ 翅そらし舞ひすむあきつ雨あとの陽射の中に光とも見ゆ

 汝が父         野村 泰三
 ○ わがいのち遠く承けきて無邪気ならずいさぎよきもの清くあるべし
 ○ その父にその母に似ずひたすらに生きよわが子ようるはしくも
 ○ 寂寞たり青葉の光に爪を剪り棄て思うこともなし


 父の子に対する思い。そして、母の子に対する思いは、時代を越えて響き会うものがある。時代が厳しければ厳しいほど、また経て来た道のりが苦渋に満ちたものであればあるほど、わが子にはそれを味合わせたくないと思う親心は想像に難くない。未来そのものであるわが子。そのよりよき明日を願う思いは、死と隣り合わせであった戦時下の父母たちの切実な 祈りでもあった。

  「酔芙蓉」(八重)

 当月号には新企画として投稿作品に対して、複数の批評者が重層的な批評を行う形式をとった、言わば「誌上歌会」の欄が設けられている。これらの形式は今の結社誌でも参考にしたい画期的な試みと考える。この作品評欄から一部抜粋したい。

○ とぎれつつ目路の果てまで海凍り空の青さをふふむひとところ
 加藤 「青さをふふむ」は、含むとの意ならんも、果たしてこういう言葉を用いることが適切なりや。といつても単に「うつる」というので良いと言うのではない。 初句のおきどころ、これまた問題であろう。

 館山 もっと腹の底から声を出して歌い上げればよかった。何かいい歌になりそうでいながらそういかなかったのは、作者の心の深部からものを言わず、結局咽喉元でものを言っているからだと、私にはそんな気がするのである。

 このような遠慮会釈の無い指摘、鋭い批評が続くが、歌をあらゆる角度から掘り下げ研究し、学んでいくには適切な試みと考える。なお、加藤は加藤将之、館山は館山一子の各氏である。

  「宗旦むくげ」

 当月号へ掲載された投稿者は156名を数え、戦時下においてなお、詩歌誌の裾野の広がりを見せている。
 戦局の進展に伴い、空を覆う暗雲への予感が濃密になる中で、歌に託した人々の思い。 それは心からの叫びであり、魂の吐露でもあった。投稿歌の中から心に刻み、深く受け止めていきたい歌を中心に抄出したい。

○ 別れきてひびくをとめのこととひにさめやすくわがあかときををり
                            榛名   貢
○ 水引草しごきし指の紅を別るる今は君に示さじ    南    梓
○ 明るく生きむと君に誓いひて別れたり足裏のほてり漸く激し
                           北村    伸子  
○ 抱きあぐればことこととなる小箱にてみなみに散りし弟やこれ
                           土井   博子  
○ ひそやかにも想ひ心に炎ゆるとき人は我身に生き給ふなり
                           菅野   貞子 
○ なにごとも思ひつくしてあり経つつ尽きぬ涙の流れてやまず
                           桐井   緑 
○ ふるさとへ子等をかへして独り居の夜はある限りの燈火ともしぬ
                           小笠原  一二三 
○ まみえざる人をし思う幼子の 寝顔は生きし面影なるか
                          鈴木   恒子


 南海で戦死し、白木の箱と化して帰ってきた弟。抱き上げてもカラカラと鳴る のみで、重さの実感も無い弟に寄せる姉の思い。抑えてもなお湧き上がる魂の叫びを、そして、時空を越えてなお響いてくる慟哭の思いを、心に刻み引き継いでいきたい。 人知れず無念の涙を流さねばならなかった、あの時代を再び招かないためにも・・・。
 サハロフ博士が自らの全存在を賭して示した「人間への希望」の探求は、文学の世界において、否、思いが直裁に表出される短歌の世界においてこそ、より強く受け継ぐべき想いであり、課題でもあると考える。

  「薄紅に染まり始めた酔芙蓉」(八重)

 表現することに自らの生命をも賭けざるを得なかった時代を経て、人間として表現すべき志さえ曖昧にしつつある現代において、この課題は厳然としていまだ私達の前に存在している。
 忘れな草の花に託された祈りにも似た思いを「人間への希望」の序章として、受け止め追求していきたい。その中で短歌に込められ託された、千数百年にわたる人々の深い思いを継承し、人間の生きる志と触れ合える短歌一条の道を探求できたらと考える。
          了
                                        初稿 平成18年10月25日

  「芙蓉」一重


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12 コメント

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Unknown (行雲流水の如くに)
2021-10-16 21:47:21
こんばんは。
とにかく画像が良いですね。
酔芙蓉、むくげ、忘れな草など。
どれも私の好きな花です。
忘れな草はこぼれ種で毎年目を楽しませてくれます。

昭和18年になると、敗戦の色が濃厚になり、しかも言論統制が厳しくなっていたと思います。
その意味では日露戦争当時に与謝野晶子が「君、死に給うことなかれ」を詠んだ、あるいは詠めたということは「カラっとした時代」だったんですね。

昭和初期から20年にかけてのような時代を再び呼び起こすことのないように、危険な兆候には厳しい声を上げるべきだと思っています。

「四季の彩」さんの文章は哲学的ですね。一字、一字考えながら読んでいます。
返信する
Unknown (risukurumi48)
2021-10-17 09:37:00
リコです、お尋ねします。
前川佐美雄師の歌で植物祭の
戦争の真似をしてゐ 「る」きのどくな

この歌は意味が解らなく調べたら「る」抜けではありませんかこのままでは字足らずです。
返信する
浅間山明鏡止水です (knsw0805)
2021-10-17 10:03:29
おはようございます。
浅間山明鏡止水です。
前回もそうですが、この「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす」 の新着を見ると背筋がシャッキと伸びるような気がします。そしてそうして読まないと先達に申し訳ない気持ちになります。

さて短歌は別にして末尾の文章「表現することに自らの生命を~短歌一条の道を探求できたらと考える」に注目してみました。
昭和18年(1943年)10月と言えば、10月21日、東京の明治神宮外苑競技場で文部省学校報国団本部の主催による出陣学徒壮行会が開かれました。その当時はすでに山本五十六は戦死、太平洋戦争の戦局は敗戦が濃厚となっていた時代と推察されます。
前川 佐美雄氏の「末の世のわれは如何なるいのちぞも萍はしきり野川ながるる」
この短歌に万感の思いが読み取れます。

そういった意味では「短歌の力」は大きいですね。人間の喜怒哀楽、自然の情景、歴史への誘い等々「人の想い」を繋いでいくことが出来ます。まさにShouさんの言われる「千数百年にわたる人々の深い思いを継承」していくことは、現代人にとっても必要、必至であると考えます。私は普通短歌は詠めませんが「口語短歌」をこうしたブログ上において発表することで後世の日本人並びに世界の人に日本人の素晴らしい文化を継承出来たら素敵なことだと思います。
返信する
厳しい声を (ポエット・M)
2021-10-17 14:09:54
行雲流水さん こんにちは。
私の載せた画像に過分なお言葉を頂き恐縮しています。
行雲流水さんは「酔芙蓉、むくげ、忘れな草」など、いずれも好きな
花とのこと。夏咲く花の艶やかさをまといながらも、一抹の寂しさを
秘める花の姿に私も、惹かれ結構撮っています。ただ、忘れな草は
夏の暑さに弱いようで、既に姿形もなくネットから画像をお借りしました。
行雲流水さんのところでは、毎年楽しまれているようですね。気象と
土と丹精のたまものですね。

おっしゃる通り、再び暗黒とも言える敗戦に至る、あの時代を招かないためにも
「危険な兆候には厳しい声を上げるべき」と、私も思います。

文章も未だ成長の無い「若書き」ですが、励ましの言葉に力を頂いています。
これからも宜しくお願い致します。
返信する
ご指摘いただきありがとうございました (ポエット・M)
2021-10-17 14:12:30
リコさん こんにちは。
「忘れな草への序章」に、丁寧に目を通して頂いてありがとうございました。

前川佐美雄氏の歌で植物祭の歌は、リコさんがおっしゃる通り「る」抜けでした。
ご指摘いただきありがとうございました。謹んで以下の通り、訂正させて頂きます。
 ○ 戦争の真似をしてゐるきのどくな兵隊のむれを草から見てゐる

なお、「水曜サロン」への短歌の投稿をお待ちしております。
皆さんの学びにもなりますので・・・。
返信する
短詩型文学の一翼を (ポエット・M)
2021-10-17 14:14:40
Kenさん こんにちは。

「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす」に励ましの言葉を頂き、ありがとうございます。
特にあの時代、治安維持法が改定された以降、短歌一首の発表にも、場合によっては
命さえ掛けざるを得なかった時代背景がありました。

なお、ご指摘の「昭和18年10月21日、出陣学徒壮行会」については、次の次、
「綜合詩歌」誌鑑賞(5)で少し触れたいと思います。

また、前川佐美雄氏の以下の歌は、詩人の感性を抑えぎりぎりの表現で、
詠ったものであったとも思っています。
○ あかあかと硝子戸照らす夕べなり鋭きものはいのちあぶなし

また、「口語短歌」も現代の状況を映した、短詩型文学の一翼を立派に
担っているものと感じます。大いに詠んで参りましょう。
返信する
信条、信念、の大切さが・・・ (fumiel-shima)
2021-10-17 16:05:03
ポエットMさん、こんにちは。

サハロフについては詳しくは知りませんが、「ソ連水爆の父」と呼ばれた一方で、後に自分の良心と向き合い、良心に基づく反体制運動をしたり、市民の人権を守るべく活動し、市民の自由やソ連の改革を唱えた人ですよね。
いろんな困難を乗り越え、「ペレストロイカの父」と呼ばれるにいたる活動信念には敬服するばかりです。
「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす」についても当時の背景、そしてその経緯を考えると強い意思がないとその短歌は生まれなかったのでしょうね。
返信する
詩精神を貫き (ポエット・M)
2021-10-17 19:35:07
fumiel-shimaさん こんばんは。
アンドレイ・サハロフ博士について評価頂き、ありがとうございました。
彼は、1975年、ノーベル平和賞を受賞していますが、おっしゃるように
その後のペレストロイカへの大きなうねりを作る起点になった方でもありますね。
迫害と流刑にくじけない、科学者としての良心と勇気に基づく発言と、
行動には、多くの学ぶものがあります。

なお、戦時下、改定された治安維持法がすべての言論を封殺していった時代。
それでも、それに抗い詩精神を貫き、ささやかな表現に自身の存在意義を
かけた少なからぬ人々。その足跡を掘り起こせればと、埋もれた資料を漁って
記してみました。深く読み説いて頂き嬉しいです。

三十一文字というささやかな表現空間ではありますが、その表現に自らの
命をもかけざるを得なかった時代が、そう遠くない時代にあったことを
改めて思い起こしています。

いつも励ましのコメントを頂きありがとうございます。
返信する
リコの文芸サロン (リコ)
2021-10-21 08:36:11
PCから投稿しょうとしましたが何度トライしても
タイトルとURLが間違っていますと投稿できませんので、今迄、仕方なくスマホで投稿してます。
名前 リコ
タイトル 水曜サロン
URL 貴方のpcのブログのURLをコピーしてまうが。
何処が間違っているのでしょうか。
やはりだめだったので、
再度トライ、
URLをリコの文芸サロンに変えたら行くかな
返信する
リコの文芸サロン (リコ)
2021-10-21 08:50:56
PCから投稿出来ましたので、
投稿します。
干し物をする手の染みと皺を見る
敬老の日や老人デビュー

自家自注;手の染みと皺を敬老の日とどう結びつけるか、「や」は照れくささを表現しました。老人の仲間入りをした日す。

Rの備忘録
〈自身の感性で見る〉
写真、知識:青空に映える朱の柿の実
その時の自身の眼:青空を染めるがごとくたわわに実つている柿、を表現したい。
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