四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「綜合詩歌」誌鑑賞(7)  「野水仙の香」

2022年01月03日 11時24分08秒 | 短歌

-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす -その7-
     「野水仙の香」


    本稿は、2008年2月に、ある短歌誌に掲載した稿ですので、
    背景の情勢等は若干古いですが、戦時下の短歌史の空白を埋める
    一齣として、ご覧頂ければ幸いです。


 如月の陽光が岬と、その背後に広がる群青の海原にふり注いでいる。伊豆下田の爪木崎。未だ雪が消え残る、その岬の斜面を白と黄の水仙の花が埋め、葉の緑が柔らかな縁取りを添えている。白雪が覆う末枯れた伊豆の山なみをよそに、野水仙の群生は春の光を受けとめ溢れるばかりに輝いている。
梅の蕾さえ開かぬ寒風の中で、春の予兆をいち早く察知し花開く野水仙。その花言葉とはうらはらに、清楚な中にも気品ある輝きを放ち、芯の強さを滲ませている。



 美少年ナルキッソスの伝説をもって語られる白水仙。その花言葉は「自己愛」。泉に映った己の姿に恋をし、寝食を忘れ、やつれ果て息絶える。その自己陶酔はナルシシズムという言葉を生んだ。 この悲しいまでに自己陶酔に浸った姿に三島由起夫が、アドルフ・ヒットラー、中東に戦火を運んだサダム・フセインが、さらにトランプが重なる。

 愛するものの為、自己の全存在を賭して闘うという、本来崇高なイズムであったヒロイズムは、ナルシシズムに結びつき、愛してやまない人々をも含めて自ら虐殺するに等しい愚を、今なお繰り返しつつある。自らの身体と心に傷を刻み、血を吐く思いで「聖戦」の愚を実感してきた父母達の世代。「大義ある戦争」の愚劣さと、痛ましさ、さらには悲しさをベトナムへのアメリカの侵攻を通して知ってきた私達の世代。そして私達に続く世代の為に、この歴史的愚行を、これ以上繰り返させてはならない。AIを用い遠隔操作された無人戦闘機による空中戦の下で、実際に血を流し死んでいくのは、私達と同じ熱い血をもった人間なのだ。


    「伊豆下田の爪木崎」

 そんな思いを込めて、数十年前にさかのぼり、私達につながる歴史を大戦終結前夜の昭和十九年、文学の世界から静かに学んで見たい。
 「綜合詩歌」昭和十九年二月号。この詩歌誌について、前号に引き続き短歌、歌論等を中心に紹介し、鑑賞を行いつつ学んでいきたい。当月号に作品を寄せた代表的な歌人は、半田良平、角谷佳根子、長谷川銀作、松田常憲、野村泰三の各氏を含む十七名である。

 雑誌用紙の減配、出版企業整備、さらに短歌雑誌の統廃合等、戦局の苛烈さは短歌結社の運営にも重い影を落としつつあった。各結社の中核を担う、これら歌人の作品にもこの影が、そして、その状況への抑えたうめきが滲んでいるかに見える。これら歌人の作品の中から、歴史的証言として学び取っていきたいものを中心に抄出させて頂いた。




捷 相                    角谷 佳根子
 糸切り歯をさなく笑みて征く汝れにうつつを超ゆるたのみもかけつ
 私心すでにしずけく踏みて征く汝れを送ると霧の門こゆるな

冬 情                    山本 初江
 身の翳をあまねく曝し冬空の浄きが下に今日ぞ息づく
 命迫り言ひける夫が言ひとつ蘇るとき 義兄に目つわ据う

少 女                    富倉 良子
 短日の落葉の中に胎動のせつなさを告げてわが少女に
 南溟の島に玉砕したまひしとふ 聞けば飯炊くこの夕べまぶたは熱し

空の花                    松原 旭
 さきはひを祝ふといふも言足らず面影に添えり今日の一日を
 まどかなる便りを読めば魂かけてかなしみゆかむ心は足らふ

歌史資料調査                 松田 常憲
 結論はなりゐて理論づけむとし古書あさる指ひゆる夜を
 浅香社のこと書き抜くと散らばれる古書の中に一日あぐらす

九十九里                   野村 泰三
 九十九里朝凪ぐ波にとぶちどり千鳥を見つつうつつやわれぞ
 ラバウルへたましひとびて生くるわれにふかき嘆きや戦果を見つつ


 糸切り歯を見せ幼さの残る笑みを浮かべ出征していく汝れ。それを見送る角谷佳根子氏の
「捷相」一連。「私心すでに静けく」に至る葛藤と、深い哀しみが歌の行間から滲み、立ち昇ってくる。人が人を殺す戦を、いかなる理由があろうとも「大義」などとは呼ばせてはならないし、「栄光」の言葉と引き換えに愛する人を死なせてはならない。そんな想いを深くする歌群れでもある。



 当月号にも、前号に引き続き古典抄として賀茂真淵の「邇飛麻那微」を始めとした優れた歌論、あるいは詩論が多数掲載され、戦時下にあってなお初学者への意欲的な啓発、育成が図られている。今回は、これら歌論の中から入門的な文章を抜粋し、歌友諸兄と共に学んでいきたい。


歌評など               泉 四郎 
 ・・・目的とする素材の限度、あるいは感動の限界において連作を試みることも修練のよき道であるのであるが、この場合、一首一首の独立性を失ってはならない。独立性の無い、あるいは独立性の乏しい歌がいくら数多く 並べられたからとて、それでは本物の連作ではないのである。
 いうまでもなく、歌は一首一首として完成されていなければならない。だから、連作一聯が全体として目的とするところと、一首一首の作意との間には関連はなくてはならぬが、また自ら異なるものが構えられていてはじめて歌であるべきである。かつて北原白秋氏は連作する場合を詩のねらいと比較して次のようにいましめたが、味わうべきである。

 「連作七首なら七首の場合に、第一首から第二首への、あるいは第二首から第三首への、その移り方の間隔、調子というものを、全く同じ尺度をもって当てる、それがいけない。人体にたとえていうならば、最初は頭、それから胸、腹、足というように、局部局部、それをまとめて人間の姿を表す。これは作詩の行き方であって、歌の連作の方式にはあてはまらない。歌の一首一首が詩の一節一節と同じ調子に考えられたのでは本物の歌の連作ではない。
 これはやはり、一首一首独立しながら、六つなり七つなりの歌が相聯関し、構成上の意義にも通じていなければならない。詩の一節のような一首は連作構成上の完全な一首とはなり得ない」。多作の態度、連作の態度、これは常に反省されねばならぬことである・・・。


 連作における一首の独立性の問題。これは古くて新しい今日的な問題であり、未だなお方々の歌会、歌壇でも度々論及される課題でもある。北原白秋の作詩との対比での示唆を十分に味わっていきたい。

 当月号には、これら歌論、詩論と共に前号に引き続き、金井章次氏の「続行政鎖談」を初め、多田等観、金子彦二郎、大野勇二、山形義雄及び、野村泰三の各氏が論文、随筆、評論等多彩な作品を寄せている。

 また、前号にも掲載し紹介した、誌上歌会とも言える「作品評」欄は、さらに充実し批評者も長谷川富士雄氏を初め八氏と増員され、本誌の「顔」となりつつある。編集後記にも「批評の角度は、その人の作歌精神の現れであって、これを吟味することは己を磨くに最もよき態度の一つである」旨を記し、この欄への期待を強調している。
今回は紙面の関係から割愛するが、今日の結社誌にも取り入れたい優れた企画と考える。



 戦局の苛烈さは日毎に増し、肉親からも痛ましい犠牲者が出るに及び、大戦の行く末への不安は実感として人々を重々しく包むに至った。つのる不安と愛する人を失った喪失感と悲しみ。その想いを祈りに、またどこへもぶつけようも無い怒りを飲み込み鎮め、耐えざるを得なかった人々の叫びが、そしてうめきが投稿歌より漏れ聴こえてくる。
 新会員二十余名を加え、四七七首にのぼる一般会員の方の作品。この中から深い祈りとともに紡ぎ出され、句間に呻吟の想いが滲む歌を中心に抄出させて頂いた。


 顕ちきたる思念はわれを苛めど堪へつつ居れば徹るものあり      熊倉 鶏一
 自爆とはなにかと問へば戦死さと平然と言ふ児等にたじろぐ      小菅 嘉之
 英霊の還り来ますにしみじみと花コスモスや国つちの秋        菅沼 禝彦
 いまは言ふ言の葉もなし軍装の夫が瞳は澄みてきびしき        土井 博子
 哨兵線に吹き来たる風小夜ふけて人の腐れゆく匂ひを送る       島  實
 ゆく雲にひとを想へばはろけさよ離れ住みてはや秋も三還り      斉藤 美代子
 えぐられし埴輪の瞳の深処には限りのあらぬ悲哀ひそむか       門脇 顕正

 泣きもあへぬこれが嘆きかややしばし灯もつけずして部屋に立ちつつ  神谷 ツネ子
 父の運 ひたぶる祈る母の傍に幼児あはれ掌を合わせ伏す       小笠原一二三
 征きし子が残せし詩文のけなげさににその母人は今ぞ泣きたまふ    原  恵子
 夜もすがら苦しむ傷兵に侍りつつ迎ふる朝の祈りは熱し        佐野 鈴子
 凄惨のきはみに哭かゆ此の頃は読むにいとほし報道員の手記を     伊藤 景王
 大戦果に高鳴る血潮はさりながら還らぬ人の名にし泣かゆも      府川 とし枝
 白菜を好みたまひし夫なりき今朝陰膳にそなへまいらす        西  靖江
 今日もまた自爆未帰還機ありと聞く我のいたみは空おし渡る      久住 史哉


 どんな時代にも、いくさ場で大義をかかげ、兵に「名誉の死」を強いる将は後方にあって
自らは死なず、その将の一片の栄光の為に、多くの兵は名さえも記されず戦場の土と化してきた。
 愛する人の、またかけがえのない人の死に直面し、自らの悲しみと慟哭の思いを、その将の「栄光」に重ねて鎮めざるを得なかった多くの銃後の女性たち。そして、子も親も…。そんな喪失感と深い悲しみを押しつつんだ言の葉の重みが、これらの歌群に滲んでいる。



 「大義」と死の虚構は、戦国の時代から近現代のベトナム、中東、アフガン、イラクの戦場まで連綿と続いてきた。これら歌群から、その作者の全存在をかけた訴えと、哀しみを突き抜けた静かな怒りの想いが響いてくる。切実な、そして祈りに満ちた言の葉は、未だ続くイラク、アフガン、カザ等々の戦火への確かな視点を私達に指し示してくれる。この戦火の下にも悲しみに打ちひしがれる子供たちが、そして多くの人々が、未だ厳然と存在する事実と共に・・・。

 水鏡に映った己の姿を愛するナルキッソスの思いは、少なからぬ人々の深奥にある。そして愛するもののために、自らの命をも賭して闘おうというヒロイズムも同様に宿っている。しかし、生命をかけた闘いに打って出るのは、他のいかなる強制をも許さない自ら自覚的にそれを選んだ場合のみである。
 自らの内にある人間としての尊厳は、他者の仲にも厳然として存在する。この両者にある尊厳を問答無用に否定する戦争と言う殺人は、いかなる理由の下でも正当化され得ない。

 未だ消え残る雪に埋もれ、霜枯れる周辺の草原の中で、いち早く春の訪れを感じ花開く野水仙。自己を深く見つめ、そこに愛しさを読み取る感性。それは、他者の中にも息づいているであろう同じ思いを見出せる、しなやかさをもっていなければ・・・。そんな言葉をつぶやくように野水仙は海に向かってうつむきながら揺れていた。そのかぐわしい香りは、さきがけの清々しさをも含んでいた。
       了              初稿掲載 2008年2月11日


コメント (14)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年もよろしくお願い致します | トップ | 感染爆発の予兆 »
最新の画像もっと見る

14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (びこ)
2022-01-03 12:06:00
あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

ご紹介の歌群、戦争はあってはならないものですが、戦時の極限に詠われた歌は人の心を打ちますね。

連作についての考察も勉強になりました。

短歌は一首一首が屹立している必要があることは基本ですが、しかし連作されたときは一部省略もしないとしつこい感じはいたしますね。これが、連作の難しいところではないかと私は思っております。

生意気なことを申し上げました。びこ拝
返信する
浅間山明鏡止水です (knsw0805)
2022-01-03 13:34:26
Shouさん、こんにちは。
文中「どんな時代にも、いくさ場で大義をかかげ、兵に「名誉の死」を強いる将は後方にあって
自らは死なず、その将の一片の栄光の為に、多くの兵は名さえも記されず戦場の土と化してきた」の文章は胸に突き刺さりました。

私が戦争について考える時いつも思うのは上記の言葉、考えです。つまり戦争というもの、兵というものは権力者の代理戦争でしかないという事実です。第二次世界大戦(太平洋戦争)は一部陸軍の暴走によるものですし、もっと言えば傀儡であった昭和天皇の責任とも言えます。私は学生時代一部セクトの幹部によって起こされた闘争で被害を蒙った苦い体験を持っていまして上記の文章・考えを、身を持って体験しています。その時しみじみと「戦争とはこういうものなんだ」と感じました。以来戦争に対して強い嫌悪感、反対の立場を取るようになりました。
マッカーサーGHQによって作られた憲法とはいえ「第9条戦争の放棄」は絶対に守るべきだと信じています。
まだまだ書きたいことは山のようにありますが今日はこの辺で。しかしShouさんと同じ考え、価値観が嬉しく思いました。
返信する
極限に詠われた歌 (ポエット・M)
2022-01-03 14:53:27
びこさん
こちらこそ、本年もよろしくお願い申し上げます。

おっしゃる通り、「戦時の極限に詠われた歌は人の心を打ちます」よね。
極限には、「検閲」という、もう一つの絶対的な力も働いていたことも事実です。
それらを超えて、自らの想いを限られたぎりぎりの表現空間の中に結実させる短歌には、
魂が揺さぶられます。

連作における「一首独立」の在り方は、私の知る限り与謝野鉄幹らの「明星」の
時代から議論、研究されてきましたが、未だその妥当性と必要性は説かれるものの、
結社、歌人による解釈の揺れは少なからず存在していると感じます。
びこさんのおっしゃるように「一部省略もしないとしつこい感じ」となることも事実ですので…。

私も、連作における省略や、暗喩等の微妙なつながりは作品構成上良いと考えています。
これらも、歌を詠む方々で短詩系の限界と、表現の広がり等を含めて、もっと
議論されてもいいものと考えています。

今年も改めてよろしくお願いします
返信する
共通する価値観を (ポエット・M)
2022-01-03 15:24:04
Kenさん
こちらこそ、「胸に突き刺ささる」コメントを頂きありがとうございます。

学生時代の苦い経験は、あの「熱狂の時代」を送った多くの方々の胸に
事の大小、深浅はあるものの強く刻まれているものと思います。
その経験をKenさんは自らの滋養に変え、その後の人生を立派に築いて
来られたと思っています。
ただ、そこで培われた価値観は、その後の歩みの中で磨かれ、人としての
基盤を確固として構築してこられたとも思っています。

私も、少なからぬ友人たちの厳しい経験と、現状を目の当たりにし、
また尊敬する方々の歴史に触れ、自らの価値観を鍛えてきたと思っています。
Kenさんと共通する価値観を持ちえたことは、私にとっても嬉しいことです。

これからも、ささやかな表現空間ではありますが、協力しながら想いを発信
し合っていければと思っています。
返信する
Unknown (行雲流水の如くに)
2022-01-03 19:27:31
こんばんは。
渾身の文章ですね。感銘を受けました。
私のように戦中、戦後の悲惨な時代を体感として持ちながら生きている身として、同じ気持ちをお持ちいただいていることに感謝いたします。

角谷佳根子さんの捷相の短歌は心打たれるものがありますね。おさえた表現から悲しみが伝わってきます。

最近危機感を感じているのは、首相を辞めた後でも台湾海峡の危機などをいたずらに煽る人間とそれに同調するグループが勢力を増していることです。
今や情報戦の様相を呈しています。

日本は「戦わずして勝つ事」に血道を上げなければなりません。
殴り合いを始めたらもう始末に負えません。
そうならないように知恵を絞ることが求められます。

そうですね、「しなやかさをもっていなければ」です。同感です。
返信する
「潮流」として (ポエット・M)
2022-01-03 20:42:09
行雲流水さん こんばんは。
相変わらず筆が滑る未熟な「若書き」ですが、「渾身の文章」と行雲流水さんに
おっしゃって頂けると、恐縮しつつホッとします。

戦後に生を受けた私たちですが、ひもじさの中で育ち、価値観の変転の中で
自己破壊していく大人たちを身近に見ながら、少年時代を過ごしてきた思いが
あります。そんな中で幼いながら「自分というもの」を見つめざるを得なかった
日々を思い出しています。
「熱狂の時代」も、どこか冷めた目で状況と、自らを見つめ研究室に籠る日々を
過ごして参りましたが、喫緊のテーマでもありましたコンピュータサイエンスの
魅力が上回っていたのも事実です・・・。

ただ、昭和10年代、特に戦時下の文学や、史実にふれ「口を噤む」ことの「罪」を
痛いほど知らされました。そしてこの時代「命を賭して文学に取り組んだ」少なからぬ
人々の存在と、悲しい結末も知ることが出来ました。また、状況と切り結びつつ、
限られた表現空間の中で、精一杯の抵抗を試みた少なくない表現者たちがいたことも。
そんな事実の一端を少しでも、掘り起こすことが出来ればと、ささやかな文章作成に
取組んでみたいと思っています。

ただ動き出した歴史の歯車は、これらの抵抗を情け容赦なく押しつぶしていったことも
一方では学んできました。
歯車が動き出す兆候をいち早く見切り、動きを押し止める抵抗を「潮流」として組織する、
そこにこそ政治の役割があると感じます。
おっしゃるように「殴り合いを始めたらもう始末に負えません」し、「そうならないように
知恵を絞ることが求められます」ね。
これからも、諸々ご教示頂ければ嬉しいです。
返信する
Unknown (びこ)
2022-01-05 07:26:50
おはようございます。

さきほどKenchanさんに出詠のお誘いをされまして、今日の拙記事の次の作品を推薦されました。

★来月は七十四になるわれの今の気持ちは二十三歳

★気持ちだけまだ青年の老人と老女は青春真つ盛りなり

★考へてみれば今年は結婚後五十年目で金婚式なり

ということで、よろしくお願いいたします。
返信する
未知への探求心 (ポエット・M)
2022-01-05 09:45:55
びこさん おはようございます。
早速に出詠頂きありがとうございます。

サムエル・ウルマンの「青春」は、私たちの世代にとっても励ましの言葉に
満ちていますね。じっくり味わい、座右の銘にしたいと思っています。
「頭を高く上げ希望の波をとらえる限り」青春は続くと、私も思っています。

その詩を踏まえた短歌はこれからの日々への、道しるべとなります。
新年に当たって清新な思いにさせてくれる短歌で、私たちの励ましにもなりますね。

今年も「驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心」をもって
雄々しく歩んで参りましょう。
返信する
Unknown (びこ)
2022-01-05 10:15:44
ポエット・Mさん、ご丁寧にありがとうございます。

推敲もろくにしていませんが、よろしくお願いいたします。
返信する
はじめまして (さざんか)
2022-01-07 09:56:21
ポエット・Mさん、はじめまして。
私の拙いブログにリアクション頂き、有難うございます。
お訪ねして拝見しましたら、濃い内容の名文が胸に沁みました。
全く同じ気持ちです。
フォローさせて頂きますので、宜しくお願い致します。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

短歌」カテゴリの最新記事