うてん通の可笑白草紙

江戸時代。日本語にはこんな素敵な表現が合った。知らなかった言葉や切ない思いが満載の時代小説です。

高瀬川女船歌

2012年11月19日 | 澤田ふじ子
 1997年11月発行

 荷船や客船で賑わう、高瀬川沿いに集う人々の哀歓を描いたシリーズ第一弾。

中秋の月
冬の螢
鴉桜(からすざくら)
いまのなさけ
うなぎ放生(ほうじょう)
かどわかし
長夜(ちょうや)の末日(まつじつ) 計7編の連作長編

 実父の消息は知れず、実母と死に別れたお鶴は、柏屋の養女となり不自由のない生活を送り、心優しい娘に育った。
 ある日、高瀬川で鯉を捕まえた少年・平太が、会所の船衆に酷く勇められているのを目にし間に入るが、その少年の酷くあわれな様子に胸を痛めるのだった。
 お鶴を取り巻く柏屋、角倉会所の人々。そして近隣で起きた諍いや事件を通し、市井の人々の悲喜こもごもな日常が流れる。
 
 第一印象は、(澤田ふじ子さん)らしくないといった思いである。一連の澤田氏作品同様、各章が読者の想像力をかき立てる終わり方で括ってはあるのだが、持って行き方が安易と言うか、稚拙と言うか…。もちろん、ストーリー的におかしな部分がある訳ではなく、こういった物語を書く作家さんも居られるのだが、澤田氏にしてはといった感想である。
 特に、最後の2編に関しては、結末までを急ぎ過ぎ、安易に筆を置いた感が否めず、「あれっ。これで終か」と、何度か頭を捻ったものだ。内容も、よくある話であった。例えば、「かどわかし」に於いては、殺し屋の意味が掴めず、また必要性があったにしても、その後の依頼人の動きなどには触れていない。
 「長夜の末日」では、序盤から引き摺ってきた、宗因、お鶴父娘の過去が、都合の良過ぎる呆気ない結末。
 同時に、高瀬川の説明文が多すぎて、物語に入り込むにも難義したのも事実。これ一重にほかの作家さんも同様なのだが、作家の思い入れの強い作品、ライフワークとして書いておられる作品は、当方の嗜好には合わないのだろう。
 もちろん、作品として否ではなく、こういった話としては可なのだが、澤田氏ならではの奥行きの深さが感じられなかった。本文中でも触れておられるが、人は善と悪がごちゃ混ぜになっている。根っからの悪人はいないとのメッセージ小説なのだろう。
 
主要登場人物
 お鶴...柏屋養女
 平太...四条鍋屋町 ・遊女屋菱屋の追い使い
 宗因(奈倉宗十郎)...四条小橋・庚申堂の半僧半俗、元尾張藩京詰勘定役、お鶴の実父
 柏屋惣左衛門...二条高瀬川上樵木町 ・旅籠の主 
 伊勢...惣左衛門の内儀
 惣十郎...惣左衛門の嫡男
 佐兵衛...柏屋の番頭
 お里...柏屋の女中
 市助...柏屋の下男
 志津...お鶴の実母、元角倉会所の女船頭
 お時...二条高瀬川上樵木町・角倉会所の女船頭
 児玉吉右衛門...角倉会所の頭取
 弥助...角倉会所の船衆


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