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朝昼晩、時間を問わず飲んで喰って面白おかしく過ごす人生を歩みたいです。※旧名「日が沈む前に飲む酒はウマい」

鶴龍決戦の最高峰 -1989年6月5日 日本武道館-

2024年06月05日 | プロレス
記念日などの知識が乏しい私は、「○月○日は何の日?」と聞かれても、回答できないケースが多いが、
本日6月5日については、「天龍が鶴田に初めてシングルで勝った日!」と即答できる。 ※ピンフォール勝ちは初
プロレスを真剣に見なくなってから何年もたち、当該試合が行われたのは1989(平成元)年と、もう35年もたっているし、
当日、私が観戦していたのは、武道館の二階席(実質三階席)後方という、決して良好ではないポジションであったが、 
それでも、あのときの感動と興奮は、今でも脳裏に焼きついている。
私は以前、「プロレスの東京ドーム・ベスト興行は、90年2月10日の新日本」と断言したが、
日本武道館ならば、「89年6月5日の全日本プロレス」こそ、史上最高興行であり、
7年前のREBECCAを体験するまでは、ベスト・オブ・武道館ライブでもあった。

さきほど、「あのときの感動と興奮は、いまでも脳裏に焼きついている」と記したのだが、
改めて振り返ってみたところ、いろいろと忘れていたことや記憶違いがあったことが判明(苦笑)。時の流れを痛感させられるね。
たとえば、「入場者数が15200人」だったこと。私はてっきり、その後の全日・武道館では恒例となった、超満員16500人だと思い込んでいた。
ただし、客席の埋まり具合は、自身が経験したりTV中継で観た過去の武道館とは違い、二階席まできっちり客が入り、
メインのジャンボ鶴田-天龍源一郎の試合では、両者のファンの大声援が重なり合う、史上最高レベルの盛り上がり。
週刊ゴングの連載企画「河口仁のワンポイントパフォーマンス」でも、“こんなの初めて!”と記していたように、
長年、プロレス会場に通っている河口先生ですら、驚くほどの大歓声だったのだ。

この日の武道館大会は、「スーパーパワーシリーズ」の第18戦に該当。ちなみにシリーズは全20戦で、最終戦ではなかった。
当時の全日本プロレスの流れを、ごく簡単に説明すると、前シリーズの「チャンピオンカーニバル」で、
鶴田がスタン・ハンセンを破り、インターナショナル、PWF、UNの全日本シングル3大ヘビー級ベルトを統一。
三冠王者として天龍の挑戦を受けるも、試合途中、鶴田が天龍にパワーボムを仕掛けたところ、汗で滑り急角度で落としてしまい、
首を負傷した天龍がピンフォール負け。鶴田にとっても、不本意な防衛戦となった。
このアクシデント、天龍の攻めにイラついた鶴田が、あえて危険な落とし方をしたという説もあるが、定かではない。

スーパーパワーシリーズ最大の見どころは当然、鶴田と天龍の決着戦であった。
他にも、未知の強豪スティングの初来日、ブリティッシュ・ブルドックスvsカンナム・エキスプレスの五番勝負なども注目された。
リベンジを狙う天龍は、負傷の影響で前半戦を欠場。一方の鶴田は、谷津嘉章との五輪コンビで世界タッグ選手権も保持しており、
ダニー・スパイビー&ディック・スレーター組と、ブルドックス相手に防衛戦をこなし、好調を維持して武道館決戦に臨んだ。
なお、負傷中のタイガーマスク(三沢光晴)と、海外遠征中のジョン・テンタと北原辰巳は、シリーズを全休した。

当時、プロレスファン歴約1年半だった私は、鶴田を応援すべく一番安い二階席のチケットを前売りで確保。
武道館入口でパンフレットを購入し、その日の対戦試合を確認すると、未発表の好カードが2試合組まれており、喜んだものだった。
ジャイアント馬場社長の挨拶文の見出しも、「今考えられる最高のカードを用意しました」だったと記憶している。

以下で、当日観戦した全11試合の結果を転記し、感想を簡単につづっていくが、その前に、
ここまで画像がなかったので、武道館大会を報じた、当時の週刊プロレス増刊号の表紙スクショ画像を掲載。
 (C)BBM

無断転記は禁止だろうが、私だって、とある興行の後楽園ホール大会で観客席にいたときの様子を、
週プロに無断掲載されたことがあったので相殺である(?)。怒られたらすぐに謝罪・削除するけど。

スーパーパワーシリーズ第18戦 1989年6月5日 日本武道館

第一試合 15分1本勝負
○小川良成 10分59秒 体固め 菊池毅× ※菊池がショルダースルーを交わそうとしたところを押し潰す

それまで、第一試合を担当していた百田光雄が、突如ファンの支持を集め、前シリーズでジュニア王者になったため、
新日本プロレスではよくあるが、全日本では希少な若手同士のシングルマッチを実施。キャリアで上回る小川が順当に勝利した。

第二試合 20分1本勝負
○小橋健太 11分15秒 フィッシャーマンズスープレックスホールド ジョニー・スミス×

デビュー後は百田らに連戦連敗だった小橋だが、このシリーズでミッチ・スノー相手にシングル初勝利を挙げ、武道館ではスミスにも快勝。
なお、週プロではフィッシャーマン~(後略)と、技名をカタカナで表記するが、週刊ゴングは網打ち式原爆固めと、昔ながらの日本式表記。
私もそちらの方が好きなのだが、現在では問題になりそうな名称なので、以下も週プロ風の表記にしておく。

第三試合 20分1本勝負
○マイティ井上 7分35秒 エビ固め 鶴見五郎× ※鶴見に担がれた井上が、後方に回転し丸め込む

元国際同士の対決。長年共闘していたラッシャー木村が、馬場とタッグを組んで以降、鶴見は連日シングルマッチを強いられるハメに。
特にテーマのない戦い(失礼)だが、井上のテクニックと鶴見のラフファイトが噛み合い、内容自体は悪くなかった。

第四試合 6人タッグマッチ30分1本勝負
○仲野信市 高木功 田上明 13分13秒 ジャーマンスープレックスホールド
ディック・スレーター ドン・ムラコ ×ミッチ・スノー

決起軍と外国勢の対戦。スレーターとムラコはかつてのメインイベンターだが、格下スノーが狙われ敗退。
当時の高木と田上は、試合中は常にブーイングを浴びる嫌われぶり。まあ確かに、かったるい試合をしていたけどね。
なお、決起軍はこの直後、「全然決起しとらん」という明白な理由で、馬場社長により強制解散させられた。

第五試合 世界ジュニア・ヘビー級選手権 60分1本勝負
○百田光雄 14分27秒 首固め 寺西勇×
 ※トーホールドを丸め込んだ寺西を、さらに百田が切り返す
第8代王者百田が2度目の防衛

普段は15分や20分の試合に出ている、ベテラン同士による60分マッチ。当時百田が40歳、寺西が43歳と、年齢的に仕方ないとはいえ、
獣神ライガーや佐野直喜らで盛り上がっていた、新日本ジュニアと比較すると、スピードに欠ける試合であった。
寺西は入場直後、珍しくコーナーに上って観客席に吠えており、ベルト奪取への意欲を感じさせた…ような。
寺西はこれが全日本最後のタイトルマッチとなり、百田も次のシリーズで王座転落した後は、ノア移籍までタイトルに縁がなかった。

第六試合 6人タッグマッチ30分1本勝負
○ジャイアント馬場 ラッシャー木村 ザ・グレート・カブキ 14分14秒 体固め ※ランニングネックブリーカードロップ
×渕正信 大熊元司 永源遥

このシリーズから突如組まれるようなった6人タッグマッチ。個人的な印象は、カブキの無駄遣いである。
その後、渕らは「悪役商会」を名乗り、ピンクタイツ着用やツバ攻撃を武器(?)に、馬場+木村+αと休憩前に戦うようになった。
木村のマイクは、「独身・渕の嫁さん募集」ネタだったと思うが、次シリーズの後楽園大会だったかも?

第六試合終了後、休憩に入ったので、拙ブログも休憩代わりに、以前読んだプロレス書籍の画像を掲載しておく。


奥様である嶋田まき代さんの遺稿を、娘の紋奈さんが引き継いだ、天龍ファン必読の書籍である。
休憩からの再開後は、この日2度目の選手権試合。

第七試合 アジアタッグ選手権試合
ダグ・ファーナス ○ダニー・クロファット 19分35秒 片エビ固め ×川田利明 サムソン冬木

※タイガードライバー 第46代王者フットルースが4度目の防衛に失敗し、カンナム・エキスプレスが新王者となる

川田のピンチをカットすべく、コーナーの冬木が飛び出そうとした途端、観客から大きなブーイングが飛ぶ。
当時は理不尽キャラではない冬木は戸惑い、カットをためらう中、川田のダメージが蓄積され、最後はクロファットに仕留められてしまった。
そもそもフットルースは、米国のロックンロール・エキスプレスあたりを意識したらしいけど、冬木と川田じゃ荷が重いよな。

第八試合 45分1本勝負
○谷津嘉章 9分35秒 片エビ固め ×高野俊二 ※バックドロップ

先述した、パンフレットで判明した好カードのひとつで、実質、全日正規軍ナンバー2と決起軍ナンバー2の対決。
ただ、谷津が攻撃するたびに、大勢の客が「オリャー」と叫びゲラゲラ笑う、選手が戦いづらい空気となり、案の定凡戦に。
さっきの高木・田上への「ブー」もだけど、このような掛け声ではしゃぐ全日ファンの幼稚さを、私は心底軽蔑していた。
なお、敗れた高野は試合後、週プロ記者に不満を述べていたところ、通りかかった谷津に「(お前ごときが)バカヤロー」と一喝された模様。

第九試合 スペシャルマッチ60分1本勝負
○ダニー・スパイビー 7分39秒 首固め ×スティング ※サソリ固めを丸め込む

初来日の強豪スティングの対戦相手として、ファン投票で選出されたのは、全日外国人の次期エース候補だったスパイビー。
無論、スティングにとっても、米国時代ライバルだった(らしい)スパイビーは、相手として不足はなく、
試合開始から、ダイナミックな動きでリングを躍動。特に、リング中央からのノータッチブランチャは凄かった。
最初で最後の全日登場となったスティングだが、このあとも継続参戦していれば、三沢や小橋のライバルになったのだろうか。

第十試合 スペシャルタッグマッチ60分1本勝負
○スタン・ハンセン テリー・ゴディ 14分36秒 体固め ダイナマイト・キッド ×デイビーボーイ・スミス ※ウエスタン・ラリアット

第八試合と同様、前発表されていなかった好カードのひとつ。ひと昔前の全日ならば、ブルドッグスの価値を下げないよう、
こんな試合は組まないし、組んでも両者リングアウトなどの不透明決着にしたはず。やや大げさだが、新時代の到来(笑)を感じたよ。
容赦なくスミスをKOしたハンセンの力量は当然ながら、キッドの高速ブレーンバスターを受けきった、ゴディの巧さも光った。
勝ったニューミラクルパワーズはもちろん、惜敗したブルドッグスの評価も、下がることはなかったと記憶している。
なお、週プロのウェブサイトでは、この試合のフィニッシュを「ラリアット」と記載してある。
ハンセンの大ファンとしては、他者と区別すべく、「ウエスタン・ラリアット」と正式名で書いてほしい。

外国人同士のスピーディーかつダイナミックな試合に、場内の雰囲気が最高潮になったところで、いよいよメインイベントを迎える。
まずは、控室での直前インタビューで、「まあ見ててください」とだけ告げた、挑戦者の天龍源一郎が、「サンダーストーム」とともに入場。


続いて、何かアピールしたいけれど言葉が出てこないため(のように見えた)、「…頑張ります」とだけつぶやきリングに向かう、
三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田が、テーマ曲「J」で入場してくる。


上記2枚とも、とある動画のスクショ画像である。無断掲載だが、元々は日本テレビの映像の無断投稿だろうしね。

冒頭で記したように、鶴田と天龍がリングに上がった途端、互いのファンの声援が、いつまでも収まらない。
試合内容の詳細は、私が語るよりも実際に見るべし! 「鶴田 天龍 1989年 6月5日」で検索すれば、動画がヒットするはず。
最近プロレスファンになった若い世代の方も、この試合は絶対に見た方がいい

試合中の私は、二階席からリングに向かって、「つるたー」と叫び続けていた。こんなすごい試合を生で観ていて、よく泣かなかったな。
結果も知っていて、何度も見たはずなのに、いまだに動画を目にすると泣いちゃう、涙腺の弱い35年後の私。
負傷している天龍の首を、情け容赦なく攻める鶴田、そんな鶴田の猛攻を避けることなく受け、すかさず反撃に出る天龍…
と、文字に綴っているだけでもう…(泣)。あの時代にプロレスファンで本当に良かった!

一進一退の攻防の中、天龍がついに得意技のパワーボムを決めるが、カウントツー。
場内の声援が絶叫になり、リングサイド最前席、天龍ファンらしきメガネのねーちゃんが半狂乱になった(動画で確認できる)直後、
天龍が立ち上がり鶴田を起こし、再度パワーボムを仕掛けるが、当然鶴田も踏ん張る。


信じてもらえないだろうが、場内が騒然としている最中にもかかわらず、二階席にいた私の耳に、
「いいいやあああっ!!」という、魂のこもった天龍の咆哮が、確かに届いた。
次の瞬間、鶴田の巨体が宙に舞うと同時に急降下し、和田京平レフェリーが、左手で3度マットを叩く。
天龍が三冠王座奪取、そして対鶴田シングル戦、初のピンフォール勝ちである。

第十一試合 メインイベント 三冠ヘビー級選手権 60分1本勝負
○天龍源一郎 24分5秒 エビ固め ×ジャンボ鶴田

※パワーボム 初代王者鶴田が2度目の防衛に失敗、天龍が新王者となる

和田レフェリーと、セコンドについていたハンセンらが支え、なんとか立ち上がり勝ち名乗りを挙げた天龍だったが、


その後再びコーナーにしゃがみ込む。翌日から、天龍は再び欠場に見舞われたように、満身創痍の勝利だったようだ。

一方、負けたはずの鶴田だったが、しばらくすると立ち上がり、コーナーの天龍に歩を進める。
乱闘を警戒するハンセンを横目に、鶴田は天龍に向かって右手を伸ばし、握手を求めた。


これは、互いの健闘を称える握手…ではなく、「こういうのって、お客さんも喜ぶでしょ」といわんばかりの、
師匠テリー・ファンク譲りの余計なパフォーマンスだと思われる。鶴田ファンの私も、名勝負に水を差す行為に呆然。
天龍が握手に応じないと判断した鶴田は、手を引きとっととリングを降り、「オー」のポーズを見せたのちに退場していく。
雑誌で読んだ天龍インタビューでは、「ジャンボとはまだ、(今後も戦っていくので)握手するわけにはいかない」のようなコメントを残していたが、
このとき天龍は内心、「鶴田の野郎、負けたくせにすぐ立ち上がって、さらに握手だと…?」とムッとしていたに違いない。
最後のやり取りはともかく、この鶴田-天龍戦は、1989年の年間最高試合に選ばれた。
彼らは、若手時代も合わせると計9度対戦したが、この試合こそが鶴龍決戦の最高峰だったと思う。

この日、私の印象に残ったのが、初めて見た武道館の大観衆と、初めて聞いた大歓声、そして、天龍の「いいいやあああっ!!」だ。
蛇足だが、私はその後、体育の授業で懸垂をやる際、腕を上げるたびに「いいやああ!」と叫び、体育教師に「うるせえ」と叱られたものである。
最後は本当に蛇足だったが、1989年6月5日に、全日本プロレスの日本武道館大会があり、
鶴田と天龍が素晴らしい激闘を繰り広げたことを、記憶していただければ幸いである。

※追記 私のブログらしく、ダラダラと冗長になってしまったが、
これでも「ミッチ・スノーは、ダイナマイト・キッドに日本とカナダの両国でイジメられていた」、
「全日のファン投票は、元から結果が決まっている出来レース疑惑も何度かあり、信用してはいけない」、
「カンナムの入場曲“Welcome To The Jungle”はよかった」などなど、削った文も多かったんだけどねえ。
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