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朝昼晩、時間を問わず飲んで喰って面白おかしく過ごす人生を歩みたいです。※旧名「日が沈む前に飲む酒はウマい」

アントニオ猪木、初めての「1、2、3、ダー!」 -1990 2.10 東京ドーム-

2022年10月10日 | プロレス
数年前のハンセン・ディナーショーのときに記したように、若い頃は、プロレスファンだった私。
当時のレスラーは、日本勢も外国勢も、常人離れした肉体と、パワー、スタミナ、テクニックを合わせ持っていた。
ネットもブログもなかったため、私生活も謎に満ちていて、自己主張は滅多にしない。
己の肉体のみで語る、いい意味で近寄りがたい、尊敬すべき方たちであった。

最近は生観戦の機会がなく、土曜深夜に地上波で放映している、新日本プロレスをたまに観る程度。
時代の流れとはいえ、試合後にレスラーがマイクを握り、観客に長々と語りかけ、
最後は観客も一緒になって、「愛してま~す!」などと叫ぶのは、どうにも違和感がある。
ファンに歩み寄り、親しみを感じてもらうことも、興行面では大切だろうが、さっきも書いたがレスラーはやはり、
一般人に敬われ、時には畏怖されるような存在であってほしい…というのは時代遅れの暴論だろうか。
少なくとも、私が試合会場に足を運んでいた頃は、多少の好き嫌いはあったものの、
すべてのプロレスラーを尊敬していた。 ※のちに健介は除外
その中でも、特に心惹かれたレスラーが、先日天国へと旅立ったアントニオ猪木である。

※画像については後述

へそ曲がりな性格ゆえ、他人と同じ行動は、するのもさせられるのも苦手な私。
先述した、【会場全体で声を揃え、決めゼリフを叫ぶ】という一連の儀式(?)は、どうにもゴメンである。
WWEの影響なのだろうけど、文化が違う日本には、あまり似合わないと思うのだが。
そんな私が、プロレス会場で唯一参加したのが、今回のタイトルである「1、2、3、ダー!」である。
8日深夜のプロレス中継、猪木追悼特集で最後に使用された映像も、そのシーンであった。

1990(平成2)年の2月10日に行われた、新日本プロレスの「スーパーファイトin闘強導夢」は、
個人的には、プロレスの東京ドーム大会では、史上最高の興行だったと思っている。
ジャンボ鶴田ら全日本プロレス勢の電撃参戦に、スタン・ハンセンvsビッグバン・ベイダーのド迫力ケンカ試合、
さらには、元横綱・北尾光司の抱腹絶倒デビュー戦(笑)や、ゲスト解説者が田代まさし(苦笑)など、


とにかく見どころ満載の大会なので、いつか拙ブログでくわしく紹介したい。需要があるのかは怪しいが。

そんな興行のメインを担ったのが、スペシャルタッグマッチ・60分1本勝負、
アントニオ猪木・坂口征二vs橋本真也・蝶野正洋であった。


今回は、アントニオ猪木を追悼するべく、この試合を解説していくが、その前にお断りを。
当日、私はドームで生観戦していたが、後日放映されたTV中継も、当然録画した。
最近、その動画をVHSからDVDに焼き直したが、それをパソコンやこのブログに取り込む技術は、私にはない。
なので、再生した動画を、私がデジカメで撮影するという、超アナログ方法で取り込んだ画像を、以下で掲載していく。
今までの猪木や田代まさしの画像も、その作業を経たものである。
古いVHSテープで保存状態も悪く、撮影もヘタなので見苦しい画像が続くけど、カンベンしてほしい。

まずは入場シーン。白装束姿の橋本・蝶野組が、両者の合体テーマで先に入場。


続いて、「炎のファイター」が流れる中、ガウン着用の猪木と坂口が入場。


彼らが入場する前、控室でインタビューを受けていたことは、我々観客は知らなかった。
まずは猪木側控室。放映料を払ってくれる、スポンサーのテレビ朝日によるインタビューとはいえ、
試合前の集中を妨げられた猪木は不快感を隠さず、質問されても「オレに聞くな」と言わんばかりに、隣の坂口を指差す。
仕方なくマイクを向けられた坂口は、「精一杯やります」などと、無難に返答。


その後、リポーターはよせばいいのに、再び猪木にマイクを向け、
「もし負けたら…これは勝負の時の運では済まされないと思いますが…」という内容の無礼な質問をぶつける。
当時、猪木は参議院選挙に当選し、以降はほぼリングに上がっていなかった。引退も噂されていたとはいえ、
「負けたら潔く身を引け」と言わんばかりのリポーターに、無言を貫いてきた猪木も、さすがに黙ってはおられず、
「(試合に)出る前に負けること考えるバカいるかよ!」の反論と同時にビンタを放つ!


「出てけコラぁ!」と猪木が叫び、インタビューは終了。TVの前の私が、興奮で身震いしたのは書くまでもない。


強く叩いたようには見えなかったが、被害者の佐々木正洋アナは、病院に行くハメになったらしい。
シロウトへの暴力沙汰なんて、現在なら大問題だが、当時のプロレスファンは「猪木よくやった!」と絶賛。
このシーンはぜひ、ドームの場内ビジョンでも流してほしかった

カメラは切り替わり、若手コンビの控室へ。当時は「闘魂二銃士」と名乗っていた記憶も…。
まずは蝶野がカメラに向かい、「(猪木たちを)潰すよ今日は、よく見とけオラ!」と凄んだ。これはまだいい。
続いてカメラが向けられた橋本は、「時は来た!」とだけ叫び、「…それだけだ」と小声でつぶやく。


「ついにオレたちが天下を獲る時が来た!」という意味自体はわからなくもないが、タイミングが唐突だったし、
その後の「…それだけだ」も、照れ隠しのように感じてしまうのが、どうにもいただけない。
それより問題なのは、隣で聞いていた蝶野。橋本のキテレツ発言に吹き出してしまい、


カメラに撮られていることに気付くと、あわてて口元に握り拳を置き、平静を装うことに…失敗(笑)。


隣の橋本の「ゴメン、失敗しちゃった」と言いたげな表情といい、大一番の直前なのに、緊張感のない奴らだ。
彼らのシーンは当然、ドームの場内ビジョンで流さなくて正解
とりあえず、控室での応対は、猪木&坂口=黄金コンビの完勝である。

両チームがリング上で対峙し、蝶野、橋本、坂口の順で名前をコールされ、猪木が名前を呼ばれた瞬間、
蝶野目掛け、奇襲の飛び蹴りを放ったところで、試合開始のゴングが鳴る。
ちなみにキックは当たっておらず、この日の猪木は技のミスが目立ち、調整不足を感じさせた。
ひとつ前の北尾の試合が酷すぎたため(苦笑)、悪印象こそなかったが、実はこの試合も、内容的には凡戦である。
ただし、猪木はその後、約8年間にわたり、東京ドームなど大会場限定の参戦を続けたが、
以降は年齢を重ねたにもかかわらず、試合のクオリティが下がらなかったのはさすがであった。

先発の坂口から交代した猪木が、蝶野と向かい合う。この試合には特別レフェリーとして、鉄人ルー・テーズが招かれた。


当日は第一試合開始直前、場内ビジョンにて、猪木&坂口組の過去の試合映像を流していたのだが、
対戦相手は、テーズ&カール・ゴッチの最強コンビ(1973年10月14日、蔵前国技館)。
当時57歳のテーズが、坂口に鮮やかなバックドロップを決めたシーンに、ドーム内がどよめいたものだった。

猪木の見せ場のひとつ、観客にアピールしてから倒れ込む、インディアンデスロック。


見せ場その2、個人的に、猪木の技では一番好きかもしれない、「鉄拳制裁」ことナックルアロー。


見せ場その3、晩年のフィニッシュホールドだった延髄斬り。猪木以上の使い手を、私は知らない。


見せ場その4、卍固めは…しっかりとは決まらず、蝶野に跳ね返され、


逆に綺麗に決められてしまう屈辱。なお、写真の蝶野は「どうだエー」などと叫んでいるだけで、笑っているのではない。


当時の私は、「猪木より蝶野の方が卍固めがうまいのか…」と悲しくなったものだが、
これは掛ける側ではなく、受ける側の問題であり、猪木より蝶野の身体が、柔軟ではなかっただけである。
後年になってから判明することも多々ある、「プロレス道」の奥は果てしなく深い。

坂口の見せ場も紹介。得意技のひとつである、ジャンピングニーアタックが決まる…寸前の画像。


決まった瞬間は、ロープが邪魔で撮影できず。これは、テレ朝のカメラ位置が悪い…はず。
橋本は好き放題に蹴りまくり、ほとんど相手の技を受けず、受けるのは蝶野ばかり。
気の毒なので、蝶野の見せ場となるSTF…ではなく、あえてバックドロップを放つ瞬間を掲載。


蝶野のSTFやバックドロップは、この試合でレフェリーを務めたテーズに教わったもの。
あまり話題になった記憶はないが、蝶野のバックドロップは形も美しく、もっと評価されていいはずだ。
再度のバックドロップを、空中で切り返した猪木は直後に、この日2度目の延髄斬り!


すかさずカバーに入ると、控えの坂口が飛び出し橋本をカット、テーズが3カウントを叩き逆転勝利。


結果に納得できない橋本の抗議を受け流したのち、両手を上げて、ファンからの声援に応える黄金コンビ。


それにしても、右端にいるマサ斉藤(当時のリングネーム、以下同)は、当時47歳とは思えぬ、ごっつい肉体をしている。

このとき私は、全試合終了後のドサクサに紛れ、1階アリーナ席の前の方に潜り込んでいた。
もう少しでリングサイドに行けたのだが、場内警備をしていたジョージ高野が立ちふさがり、
「すみません、一般の方は、ここから先はご遠慮ください…」と、丁寧にお願いされたため、
「ああっ、ジョージさん、ゴメンなさい!」と謝りつつ、退散せざるを得なかった。
のちに、酒癖の悪さや練習不足などを批判されたが、私にとって、ジョージ高野はいい人である。

その後、マイクを握らされた坂口が、「猪木さぁん、またタッグ組むよお(組もうよ、の意?)」と呼びかけたが、
この1ヶ月後に坂口が引退したため、猪木&坂口の黄金コンビは、この日が見納めとなった。
続いてマイクを握った猪木は、プロレスとスポーツを通じての世界平和を訴え(当時の猪木は「スポーツ平和党」党首)、
観客の苦笑いを誘ったのち、橋本と蝶野の成長と、自身の不甲斐なさを認めながらも、
「我々は戦い続けます!」と最後に力強く宣言し、大会を締めくくった。…はずだったのだが、
田中秀和リングアナから「社長、ダーをお願いします」との要望を受け、再びマイクを握る。
猪木は以前から、ビッグマッチで勝利した瞬間、「ダー!」と雄たけびを上げていたが、
自分の意志ではなく、他人からの要請で叫ぶのは、おそらく初めてである。
しかも、「1、2、3でダーです」と猪木自らが指を折り、観客に指示まで出してくれるではないか。


以後、プロレス会場以外でも何度となく披露された、「1、2、3、ダー」は、この日が初公開である。

「イーチ!」「ニー!」という猪木のカウントが始まり、「サン、ハイ」の直後、
猪木とレスラー、私を含む6万人超の客が、「ダー!」と叫んだ。


猪木が叫んだ瞬間は、ロープと重なっていたため、上記はダー直後の画像である。

勝利の咆哮も終わり、場内には再度、「炎のファイター」が流れ始め、我らの英雄・猪木が退場していく。


このとき、あまり知られていないが、猪木に忍び寄る黒コートの男がいたのである。
猪木の大きな背中の左側、丸囲みの中にいる男の正体こそ…若い頃の私である(笑)。


この後、私は「猪木さ~ん」と叫びながら接触を試みたが、すぐ近くにいた飯塚孝之にヒジで突き飛ばされてしまった。
孝之だか高史だか知らないが、私にとって、飯塚はイヤなヤツである。 ※無論、冗談です

あの日の動画を久々に視聴したことで、今さらながら、猪木の眼と声が素晴らしいことに気付いた。
【プロレスとは闘いである】という信念に基づく、リング上の相手を殺しかねないあの眼力は、猪木ならではのもので、
ライバルのジャイアント馬場はもちろん、藤波辰巳、長州力、前田日明ら、弟子たちにも受け継がれてはいない。
特に弟子の3名は、声というかマイクアピールでは、ナニ言ってるのか全然わからないのが残念(苦笑)。
武藤敬司もしゃべりはざっくばらん(というか雑)だし、同期の橋本・蝶野は、この日の失態で大幅減点。

猪木の眼と声、言い換えれば、殺気をも携えた色気と、他人の心を掴む言葉。双方から生じたカリスマ性こそが、
卍固めや延髄斬りを凌駕する、彼の最大の必殺技だったといえよう。
世界中のレスラーや格闘家、世間のプロレスに対する蔑視、そして最後は病魔と、
リングの内外で戦いを繰り広げた、猪木の闘魂は永遠に、我々ファンの中で燃え続ける。

※アントニオ猪木こと、猪木寛至さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます
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2 コメント

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日が沈む前に飲む酒はウマい様へ。 (りくすけ)
2022-10-10 19:28:29
お邪魔します。

1990・2・10「スーパーファイトin闘強導夢」の
詳細レポート、需要あります。
あの現場にいたなんて、羨ましい。
よろしくお願いします。

さて、猪木さんの他界から1週間が経過。
未だ心に隙間風が抜けるような感じです。
女々しいですが、正直な気持ちです。

では、また。
返信する
Unknown (日が沈む~(略))
2022-10-10 21:01:07
りくすけさん、
コメントありがとうございます。

実は全日派の私ですが、第2期UWFも含め、
当時のドーム大会は、積極的に足を運んでおりました。
30年以上経過し、だいぶ記憶も薄れてきていますが、
猪木さん、馬場さんら偉人たちの功績を広めるためにも、
プロレスについては、今後もつづっていきたいと考えております。
どうか、よろしくお願いします。
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