児玉真の徒然

峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい
(真壁仁 峠)

3つの声~呑気布袋

2006年10月28日 | 徒然
27日に司会をさせられた呑気布袋(ドンキホーテ)の記者発表で感じたこと。
狂言、演劇(宝塚)、オペラの3人の主役(当然呑気布袋、華の精、山椒半左)の3人の話しは非常に面白かったのだが(一人一人の持ち時間が少なくドキドキでしたが、みんな見事なものです)特になるほどなと思ったのが声の出し方。狂言善竹さんの張った声(彼だけはマイクを使わなかった)、声楽家が押さえて話すときの話し方の森さんは歌うときはベルカントなのだろうなあ。上原まりさんの話し方は多分そのまま声量を上げると舞台の声になるのではないか・・と思えるような話しっぷりで内容とともに3人3様だった。
こういう芸達者を集めたコラボレーション的な演しものの場合、それぞれの人がその舞台のために自分の背後にあるものを全部出すことはあり得ないし、だから、こういうときの話しは本当に氷山の一角のその先っぽを数分にして話してくれている訳だから、ちょっと禅問答風になってしまうところもあるのだけれど。
所謂演奏家(器楽奏者)ももっと話す力をつけないとね。
舞台の書き割りを見てもらえたのがなかなか面白い趣向だったかも。

その後、とんぼ返りで戻った雲仙ではリハーサルの終わりころ。昨日行った保育園の園長(住職)がずっとつきあってくれていて感激だった。何か感じるところがあったのだろうか。こういうつきあい方をして下さる方はおおむね楽器をやっていた方とかが多いので、そのあと一緒に食事をしたときに「何か楽器でもやっていたのですか」と聞いたら「いやそういうわけではないが。コンサートにどうしても来られないので」とおっしゃっていた。アウトリーチで関わる人との間に出来る愛情と尊敬と仲間意識。そういう出会いは音活ならではである。










最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。