柴犬多頭飼い コクマチャどん

コロクロ日記で07年に開設したブログ。15年から『コクマチャ日記』、さらに24年から『コクマチャどん』になりました。

逢妻女川の彼岸花

2013-09-27 08:48:12 | ワンコとお出かけできる場所

彼岸花の季節がやってきた。愛知では、半田市の矢勝川堤2㎞に200万本といわれる彼岸花が有名だ。しかし、我が家からはちょっと遠い。もう少し近くで見れるところはないかと検索したら、【豊田の逢妻女川】でも90万本の彼岸花があることがわかり、昨日、行ってきた。咲いているのは天王橋~男橋の間。橋のたもとの無料臨時駐車場に止め、車を降りて見渡すと、いきなりこの風景。

さぁ、歩きに行くよ~。 (いつもは黒のハーネスも、彼岸花の色にあわせてみましたっ)

赤の絨毯。 

ほんの少し白もあったけど、少しすぎるから、全部真っ赤の方が綺麗かも。

場所によって、まだ蕾が多いところ、色が少しあせてきているところなどあったけど、ほぼ見頃だったと思う。

「あたしは花より団子。 オヤツないの?」 

「ないなら早く行こ~」

最後に、橋を通り過ぎた彼岸花の一番端っこでパチリ。 ここにいたのが9時台だったからか、人も少なく、コロも一緒に綺麗なお花を見ることができて良かった~。(29日は10時から13時まで天王橋付近で野点があるようなので混むかもです)

このあと、車で10分もかからないくらいの所に、ドッグカフェがあるのを思い出し、珈琲でも飲んで帰ろうかなと行ってみることにした。その様子は【花まる日記】にて。

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コロクロ+◯◯日記になる日が来るかも…

2013-09-24 10:38:00 | おでかけ

2週間続けての連休、皆さん、楽しまれましたか? (そんなの関係なくお仕事だった皆様、ご苦労様です) 今月はおとなしくしていようと思ってましたが、お天気も良かったし、昨日はちょっとお出かけしてきました。  実は、ずっと前からだったんですが、もう一頭迎えたいと思ってました。で、パパと、私の誕生日の頃にと話していたんですが、義父のことがあり、いったん中止としました。 四十九日前の今、子犬を迎えることはありませんが、クロが生まれた静岡のブリーダーさんに連絡して、見学させていただくことにしました。

写真は、ブリーダーさんのところで撮ってきたものです。 そして記事は、ここ数年のうちにもう一頭迎えたいと思った理由です。

                            

私は子供の頃から犬のいる生活をしていた。 犬が大好きで大好きで、『大人になったらたくさんの犬に囲まれた生活をしたい』『年をとっておばあさんになって最期を迎えるときは、縁側に座って犬を抱っこしながら…』なんてことを考えていた子供だった。 結婚後は、義母が犬が苦手だったため飼うことはできなかったが、義母が亡くなったあとコロを迎えた。

 

独身の頃の犬たちは私の親が育てていたたわけで、自分で育てたのはコロが初めて。 なので、ワンコにかかる費用も昔は親が出していたのでわからなかったが、フード、そして狂犬病予防注射・ワクチン・病気・ケガなどの獣医さん代がけっこうかかることを、自分で飼ってよくわかった。 また、どうでもいいものだけど、ワンコに関するいろんなものがほしくなってお金がかかる。 

今年は下の子が社会人となったことで、学費を払うことが終了した。 そして今年はパパとの銀婚式の記念の年でもある。 パパの定年を考えると、しばらくは少し余裕があるし、子犬を迎えるのにチャンスの年かもしれない、そんなことを思っていた。

 

コロたちには1日でも長く生きてほしいと願っているが、ふたりは年が近く、仲良し過ぎるほど仲良しなので、どちらかが亡くなったら、すぐに後を追って逝ってしまいそうな気がしている。 一頭が亡くなっても胸が張り裂けそうになるになると思うのに、もし続けて亡くなったら…。まだまだ先のこととと思いつつ、怖くてしかたがない。そして、無理かもしれないけど、あと10年生きてくれるとしたら、そのとき私は60過ぎ。ふたりがいなくなって淋しすぎて次の子を迎えるとしたら、そのあと、ちゃんと最期まで育てられるのか…。そう思うと自分が人生最後の子(犬)育てするには、今しかない気がするのだ。 70過ぎで元気な方は、すごくたさくんいらっしゃるわけだが、実母が60代でアルツハイマーになっているので、自分自身の老後に対して自信がないから、そう思うのだろうが。

 

長寿大国日本。平均寿命は長くても、実際の健康寿命(心身ともに自立し健康的に生活できる期間)は70くらいと聞く。 先日誕生日を迎えた私は52。パパは54。 もう一頭これから飼うとしても、休みも少なく寝るだけに帰ってきているような息子や、結婚相手が転勤族になるかもしれない娘(現在、そういうお相手がいるわけではありません)をあてにすることはできない。自分たちの飼うワンコは自分たちが最期を見届ける義務があるとなると、一般的な健康寿命から、長生きできたとしたワンコ年齢を引いて逆算してみると、ここ数年のうちに迎えたいと思うのだ。 50代前半で人生最後の犬を考えるなんて早すぎる気がするが、やはり私の中では、母の煩っている病気の現実が大きく影響しているのかもしれない。

ただ心配なのがクロ。 ものすごいヤキモチ焼きで、ソンさんが来た時でさえ、一ヶ月近くソンさんを出すと歯ぎしりしたり、相当なストレスを抱えていた。子犬を連れて来たとき、どうなるのか。 コロとクロのいい関係が壊れてしまわないのかなどの心配もあるけれど、この1年以内に、いや、もっと近いうちに、コロクロ日記はコロクロ+◯◯日記になるかもです。

                        

さて、ブリーダーさんを出たあと、車を少し走らせて【うなぎパイファクトリー】に行った。無料で浜松銘菓のうなぎパイの製造工程が見学できるところ。ほとんど機械が製造しているので働いている方は人は少なめ。

ここのうなぎパイカフェで、季節限定のスイーツをいただく。以前来た時は、春だったので苺だったが今回は栗。そして、うなぎパイは2枚のってる

工場をでたあと、今度は【ジオラマファクトリー】に行ってから帰ることにした。昭和の日本の家庭の風景や、ガンダムやウルトラマンの世界をリアルに再現したものが展示してある。撮影OKのものとNGのものがあったが、ほんとにリアルでびっくりだった。

  

最近のコロクロ日記には、ちっともコロたちは登場しませんが【花まる日記】で毎日の元気な姿、アップしてま~す

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いろいろ (誕生日など)

2013-09-17 10:47:13 | 記念日

今回の台風で各地に大きな被害がでました。皆さんのお住まいの場所はご無事だったでしょうか。今年は次から次へと、記録的○○と名のつくような、豪雪・猛暑・豪雨・竜巻・台風などの被害が起きています。突然大きな災害が起こり、大切なものを失ってしまったり壊されてしまう…。こんな悲しいことが、どうしてこうも続くのでしょう。被害に遭われた方が一日も早く元の生活に戻れますように。

我が家の被害はキバナコスモスが倒れてしまったくらいで、雨は前回の台風の時の方がひどかったです。

お昼前にはすっかり晴れたので、敬老の日と言うこともあり、母のところに出かけました。横になっていたけれど元気そうでした。家族のことがわからなくなって何年もたちますが、元気でいてくれることがありがたいです。それにしても、80過ぎているのに私よりも皺がないような綺麗な手をしてるな~

台風が去って、今朝は肌寒いくらいでした。ペットショップで、冬用のリス&ハムの少し大きめベッドをみつけたので入れてみることに。前回入れた木のおうちは不評で第二のトイレとして使用されていたので。 「ソンさん、これならどうだっ」 

 

いったん様子を見に行ったのに、やっぱりキーキーないて暴れて裏向けてしまい、ボロボロハウスに戻っていきました。でも、あったかそうなので、寒くなってきたら入ってくれるかな

 

           (お ま け)

私の誕生日は6日だったのですが、義父の忌明け前だし、おめでと~みたいなことはしなくていいと思っていたのですが、当日遅番だった娘が夜遅く、コロクロカード付きワインを持ってきてくれました。

 

翌日は仕事が休みだったので、ちょっと早めの敬老祝と誕生祝いを兼ね【ベーカリーレストランサンマルク】に、父と私を招待してもらいました。ここは、いろんなプチ焼きたてパンを次々に持ってきていただけるお気に入りのお店。美味しかった~。

 

息子からは、今年も大好きなイチジク狩りをさせてもらい(家でできるイチジク狩りとは→【こちら】。今年は一気に6個食べました~)、あとは居酒屋【夢の蔵】に連れて行ってもらいました。 子供たちに感謝。

                                          

クロですが、昨日の午後になり、また調子が悪くなりました。今日は完治できたかなという感じなのですが、あとでまたその様子を【花まる】にアップします。

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復活

2013-09-12 08:26:17 | ハムスター・鳥・リチャードソンジリス

またまたお久しぶりになってしまいました。 いろいろな手続きなども一段落し、今週になって、やっと気分的にも日常に戻った感じがしています。なので、コロクロ日記&皆様の所への訪問も少しずつ再開しようかなと思っています

さてさて、猛暑・酷暑と言われていた今年の夏だったが、朝晩は涼しくなり、そろそろ秋の気配も感じられるようになった今日この頃。ソンさんのケージにあったクールボードも撤去し、ボロボロになったハウスも新しいものにかえることにした。これは、2年半前に京都で、【くるみだらけ】のくるみこちゃんと【豆柴小太郎と黒柴ハルの兄妹計画】のコタッペちゃんにお会いしたときにいただいたもの。ソンさんはこのハウスが大のお気に入り。

ボロボロになっているので、藁の家とか今まで新しく新調したのだが気に入らず、元の家かえせ~と暴れる(?)ので、ずっとこれを使っていた。しかし、あちこち破れてきているし、だんだん涼しくなってくるとしっかりした家があった方がいいかなと、こんな家を買ってみた。(いろんなお店を回ったのだが、今まで使っていたような布製のものは、ハムスター用のしかなく、ソンさんには小さすぎるのだ

ケージの掃除をしている間、テーブルの上で待ってるソンさん。「新しいおうちは階段がついてて、お2階にご飯置き場もあるよ」

ところが、ケージに戻してみると新しいおうちに入れたティッシュを引っ張り出して頬袋に詰め込み、あたしのおうちどこ?と探し始める。そのあとはケージにつかまり、スゴイ勢いでガタガタ暴れ出すソンさん。あまりにも暴れたため、2階のエサ入れは転落

 

ガタガタが全くおさまらないため、ゴミ箱に捨てたおうちを拾ってきてケージに入れると、いちもくさんにティッシュをくわえたまま中に入る。そして安心したように眠る。いくらボロボロになっても、愛着があるんだなぁ

 

今月は2度の連休があるけれど、四十九日がすむまでは遠くにお出かけすることもないと思うので、こちらの更新はのんびりになりそうですが、これからもよろしくお願いします。

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いろんなことがありました

2013-09-02 10:17:41 | Weblog

皆様、一足早く花まる日記は再開しましたが、こちらの日記ではお久しぶりです。 前回の日記で、「ちょっとバタバタしていて」ということを書きましたが、それは義父とは関係ないことでした。 が、そのあと、突然義父が亡くなり、その直後から数日は悲しむ間もないほど忙しくしてました。

万歩計をつけながら午前中、毎日歩きに行っていた義父。 高齢で足も弱くなって杖をつきながらでしたが、歩かないとますます足が弱くなると言って出かけていました。 歩いている途中に体調が悪くなって何度も迎えに行ったこともあり、家族が無理しないようにと言ていったのですが、毎日バスと電車を乗り継ぎ、町に出てデパートの中を歩いたり、大好きな本屋さんに立ち寄ることが義父の楽しみでもあり、それが日課となっていました。

去年の10月初め、いつものように散歩から帰った後、ソファーに座り込んで動けなくなり、かかりつけのお医者さんに連れて行くとそのまま入院。 そしてその後、少し遠かったのですが大きい病院に転院。 毎日様子を見に行っていましたが、比較的元気そうでした。 が、高齢者が長く入院していると、あれだけ毎日歩いていたのに、あっという間に足の機能は衰えました。 その後、頭はしっかりしていましたが足以外の体の機能も低下していきました。そしてまた転院。 年末には、一時、年賀状は出せなくなるかもという状態にもなりましたが、本人の気力でなのかまた元気になっていました。

その後、一進一退。 元気そうな日もあれば、そろそろ親戚に連絡した方がいいと言われる日があったり。 先生からは、いつ何があってもおかしくはないけれど、ずっと大丈夫かもしれないという診断だったので、コロたちを連れて遊びに行ったりもしていましたが、あまり遠くには出かけないようにしていました。

最近よく耳にする『延命治療』。 皆様はどうお感じになられるでしょうか。高齢化社会が進むと同時に、医療も進歩しています。親が高齢になり、入院し、口からものが食べられなくなってきた…、こうなった場合、家族がどうするのか決めるというのは、簡単なことではありません。 私の父からは、「最終的に入院することになった場合はこうしてほしい」ということを聞いています。が、義父は『長く生きる』ことを目標に無理をしてでも歩いていた人。そういう人に、元気なうちにこちらから「万が一の時はどうする?」なんてことはなかなか聞けないし、入院してしまったあとだと、それはそれで、また命に関わることなので聞きづらくなります。なので私は、家族には自分自身がそうなった時どうしたいかという希望を話してあります。いや、話すだけでなく、その場に直面したとき、家族の気持ちが揺らいだり迷ったりしないよう、ちゃんと書いておきたいとも思います。

入院中のことは詳しく書きません。 が、10ヶ月半の入院生活うちの後半は、正直かわいそうでした。 自由は奪われ、楽しみもなかったわけだし、退院見込みがないのに毎日のように点滴などの治療があって、なんのために痛い思いをさせるんだろうと…。寝てることが多かったけれど、起きてるときは手を握りかえしてきたり、声かけすれば頷いたり何か言おうとしたり、亡くなる当日もそんな感じだったので、そういうことができるからこその治療だったのでしょうか。治療をされている先生自身は、自分が同じ立場になったとき、そうしてほしいと望まれるのでしょうか。

自分の最期をどうしたいか、それには正解というものはなく、本人の考えそれぞれでいいと思います。が、その意志は元気なうちに家族に伝えておくことは大切なことだとつくづく感じました。 義父は長く、辛かったであろう入院生活を終え、先に待っていた義母の所にこれでやっと行けると思ったんじゃないかと思えます。

一昨年義父が短期間入院したとき、死ぬまでにやっておきたいことが3つあると言っていました。その中の2つは簡単なことだったので、退院後すぐに願いを叶えることができました。 残りの1つの旅行というのは体力のこともあり、なかなか実現させてあげられなかったのですが、去年の7月の終わりに、義父の行きたがっていた能登に行きました。 暑い時期でもあったし迷いましたが、思い切ってこのときに行っておいて良かったなぁと今になってつくづく思います。この約2か月後には入院してしまった訳なので。

今はまだ、いろんな手続きなどやることがいっぱいです。 何度も役所に通ったり、決めなければならないことがあったり、七日ごとのお参りがあったり、お客様がおみえになったりなので、なかなか落ち着かず、皆様の所にもコメントを残せません。 そして、もうしばらくコロクロ日記はお休みし、簡単【花まる日記】だけの更新となります。 私は元気なのでご心配なく

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