拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

おいでよ、「シュロッターベッツ学院」に

2008-09-17 00:33:23 | 漫画
男性が本屋の少女漫画コーナーに立ち入るということは、かなりの抵抗感が伴うらしい。少年・青年漫画コーナーに女の子が居るというのはよく見る光景だが、逆は殆ど見掛けない。あの華やか過ぎる領域に立ち入るのは尻込みするもんなんだろう。というか少女漫画を楽しめる男性自体が少数派なのだろう。線の細い画風、キラキラの瞳、読む順番すら曖昧な流れるようなコマ運び。男性読者を突っぱねる少女漫画の三大ハードル。評論家・夏目房之介はこれらの要素を「少女漫画の文法」と呼び、少女漫画に幼い頃からなれ親しんだ者ならば自然に身につけているが、そうでなければ習得は難しいものであるとしている。少女漫画に目を通す機会があってもコマを読む順番がわからなきゃ読めないもんな。で、距離を置くようになり、少女漫画コーナーに立ち入る事すら嫌になる…。ただ、近年の少女漫画のヒット作は、男でも気軽に読める物が増えている。『NANA』『のだめカンタービレ』などはコマ運びも絵柄も大人しいから、自分で買うのには抵抗があっても友達や彼女などを経由して読んでる人は多い。私も貸した事あるし。
でも男の子に本当に読ませたい漫画って『NANA』とかじゃないのだ。まるで華やかなハリウッド映画に対するカウンターとして生まれた映画、1960年代末~70年代に次々と作られ、映画史を塗り替えた「アメリカンニューシネマ」のように日本の漫画史を塗り替えた1970年代の少女漫画たちを読ませたいのだ。でも読んでくれないのだ。2~3ページで「も、もうダメ…」とリタイヤされる。腑抜けめ…いやいや、仕方ないんだ。私だって小学生の頃は70年代少女漫画クラシックスを読むのに抵抗あったし、特に『ベルばら』のコマ運びにはかなり翻弄された。『りぼん』で鍛えてたつもりだったのに。でも、気付いたら時間を忘れて読んでたけど。
ただ、萩尾望都や竹宮惠子など、所謂「24年組」の作家の作品が、70年代80年代の男性達にとっての少女漫画の入口であったことはマンガ史上の事実である。手塚治虫や石ノ森章太郎の漫画に馴れ親しみ、それらのテイストを彼女達が少女漫画の世界に巧みに持ち込んだめ、当時の男性読者を一気に虜にした、とのことで、彼女達の作品を読んで少女漫画の文法を受け入れられるようになった、と。
岡田‘レコーディングダイエット’斗司夫が高校時代、同級生の女子に無理やり萩尾望都の『ポーの一族』を読まされたのがきっかけで少女漫画リテラシーを鍛えた(『トーマの心臓』を渡されたときはさすがに絶望したらしい)、とか、‘喋る時限爆弾’勝谷誠彦が同じく高校時代に竹宮惠子にどっぷりハマり、竹宮惠子のファンクラブの会員No.1をゲットし、早稲田大学少女漫画研究会を創設して少女漫画に狂ったりだとか(この人の口から「『変奏曲』最高ですよ!」って言葉が出てくるのが面白すぎる)、男性著名人と少女漫画に関するエピソードは興味深いものが多い。だからまぁ…何が言いたいかというと…「若者よ、少女漫画クラシックス読んでみようよ」ってことか?大体「有名だから」とかいっていきなりコッテコテの『ベルばら』とか読むから挫折するんですよ。『ポーの一族』か竹宮惠子の『地球へ…』とかにしとこーよ。