時宗総本山「遊行寺」の支院「長生院」は「本堂」右側の参道を上った先の地に鎮座している。応永29年(1422)常陸小栗の城主「判官満重」は足利持氏の攻めにより落城、その子「判官助重」が家臣11人と三河に逃げ延びる途中にここ藤沢で横山太郎に毒殺されかけた時、妓女「照手」が「判官助重」一行を逃がし「遊行上人」に助けられたことでゆかりが深い。正長元年(1428)に照手姫は太空上人の弟子となり、剃髪受戒をうけて長生尼と号した。永享元年(1429)に閻魔堂の傍らに「草庵」を結んでこの地に住まわれ閻魔堂を「長生院」と改称された。浄瑠璃で名高い「小栗判官」は家名を再興し「照手」を妻にした。そのゆかりで「小栗堂」と言われている。「助重」の死後に「照手」は長生尼として助重と家臣11人の墓を守り続けここ「長生院」で余生を送った。現在の本堂は平成3年に落成したものだが、明治13年の大火、大正12年の大震災で本堂・庫裏を幾たびか失い再興している。「本堂」裏手には「小栗判官」と「照手姫」のお墓があり、一画には「小栗判官眼洗いの池」、その脇に名馬「鬼鹿毛の墓」までもがある。(2109)





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