武豊町字上ケに江戸時代に代々庄屋を務めた「三井家の庄屋屋敷」が残されている。江戸時代、三井家は代々長尾村の庄屋を務め、苗字、帯刀を許され登城も許された大庄屋であった。現存する「母屋」は古式の「四つ建て」と言われる建築法で中心となる部屋の周りに太い柱を立て梁でつなぎ、これを基に家を造るという建て方である。柱の断面は普通は正方形ではあるが、ここ三井家の「母屋」の中心となる柱は「長方形」で手斧で仕上げられている。「母屋の屋根」は草葺屋根萱と藁の混合に成っており、現在はその上を金属板で覆っている。居間の柱やはりなどにチョンナ仕上を用いている。そして「離れ」は尾張藩の役人などが泊まれる様になっておりかなり広い。屋敷内には「土蔵」も残っている。武豊町を代表する古民家として必見である。(1502)















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