★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

健康で長生きしている人たち

2008-03-25 16:24:04 | 健  康

今年七月にロッテルダムで開かれるエスペラント世界大会への参加を決め手続きをしたのですが、そして会費の支払いも済んだ心算で居たのに何時まで経っても私の名前が名簿に載らないので不思議に思い問い合わせると、「インターネットの安全なページから払い込んでください」と言う返事が返ってくるばかり。
その「安全なページ」にどうしても辿り着けないので、他の方法は無いのか問い合わせるのですが同じ返事が返ってくるばかりでした。
業を煮やして、その辿り着けない理由になっているページ{}をコピーし、送ることでヤット意味を理解してくれたようで、「この場合は。。」と言う返事が来ました。
この過程で何度も名簿を見ることになったのですが、その中に栗栖継氏の名前もありました。
2007年横浜での閉会式で栗栖氏の挨拶を聞きました。決して大きな人ではないのですがその声は良く通りマイクなど不必要なほどでしたが、97歳とは思えない体の動きなど活き活きとしていて、感動したものです。挨拶の全てを理解していたわけではありませんが、「源氏物語のエス訳が出なければ日本のエスペラント活動はまだまだ。。。」と言うようなことを響き渡る声で言うのを聞き、この年齢だからこそ、また、彼の業績があればこそそのようなことも言えるのだな、と思ったのです。
同じことを私が言ったら、きっと「そんなこと言うなら、自分ですれば?」などと言われるだけでしょう。
今年のロッテルダム大会の頃は98歳になっている人です。凄いなぁ、この意気込み。というのが私の感想です。
神は二物を与えず、といいますが当たっていません。
能力、気力、健康、体力色々持っている人も居れば、どれも与えられていない人も居ます。能力はあるのに体力がないとか、忍耐力がないとか。。そういう不公平もあります。
昨日TVのドキュメンタリーで「努力もしないで長生きしている人々」を研究して居る科学者達のはなしがあり、その最初に沖縄のとある村の話がありました。百代の人が何人も居るその村は長寿は当たり前なのです。50歳位かなと思える人が実は70才を超えているというのが普通で、しかも特別努力しているわけではないのです。
昨日の自分と今日の自分は同じなのだと思っている人たちでしょう。その昨日は50年前から続いている昨日なのですが、50年前の自分と今日の自分をを比較し、年を取ったと思うことはないのでしょう。
この番組の中にやはり(何処の国の人か憶えていませんが)97歳の心臓外科医も居ました。これから心臓の切開手術をするというので手を洗っている姿は、どう見ても70才を越えているとは思えません。
この人たちの人生に対する考え方は、あまり遠い未来も考えないし、過ぎ去ったこともあまり気にしないのではないかと思ったりしています。
栗栖継氏のエスペラントのページです。
Kurisu Kei
彼の写真はこちらで見られます。
libera folio


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