先日一冊の本を戴きました。私の心情を心配してわざわざ買ってきて下さったらしいのです。ページ数70という薄い本ですし、私が感じていたことを巧く表現している本でしたから何の抵抗も無くすぐに読み終えました。
夫が逝って間も無く私は車の修理のためディーラーの待合室に居ました。窓から外を眺めながら空を旋廻する鳩の群れに混じってのびのびと空を飛ぶ夫の心を見ました。「あなたはもう自由なんだ。苦痛も苦労も無く自由なんだ。」その思いは私にある種の安らぎを与えてくれました。けれども忽然と消えた夫の不在は何時までも私を悲しみから解放してくれません。
この本にある詩の作者は死者と言うことになっています。私の夫も同じ事を言うでしょう。でも、生き残った者にとって事はそんなに簡単ではありません。あれから一年近い月日が去り、私自身の進歩も感じます。周囲の人々もそれを感じてくれています。理性が受け入れている事実を感情はまだ完全には受け入れきれないでいるのです。あとどの位の歳月が必要か判りませんが、この詩の言い分を出来るだけ受け入れて過ごして行こうと思っています。
私が鏡を使っているとき私の後ろに立って私の頭越しに鏡を使う彼でした。窓から外を見ている時も私の頭越しに眺め、時には私の目の位置と同じ高さになる為に少しかがんで、今飛んできた珍しい鳥がどの枝に止まっているかを私に示そうとしたりしたものです。今も私はそういう彼の気配を鏡や窓の前で感じるのです。
彼が散骨を希望したのは、墓石の下に閉じ込められて居たくなかったからなのです。お葬式という悲しい行事も嫌いでした。
いずれ私も彼と共に風となって飛び回る日が来るでしょう。その日を待ちながら、そしてその日が来るまでは思い出や与えられた命を大切に生きて行きたいと願うのです。
この詩のページです。曲も聞けます。
この本の著者新井満氏のページです。感想を書く掲示板もあります。
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異なった訳で
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