さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

酷暑の夏の散歩道遠く6000歩

2017-08-10 | 日記
汗ぐっしょりかいて楽しみました
いつも歩みなれた道ですけども目を惹くものがあるから嬉しいです。


誰も目を留めてくれないじみな花なんですけども精一杯に美しく咲いているヒルガオの花なんです。
ヒルガオの花はやっぱり夏の花のひとつなんですよね。




今年の秋も豊作ですよね。逞しく分蘖した稲が一斉に出穂しています
力強い会津の圃場です。




季節は移り変わっていくんですね。ススキの穂が見えていました
酷暑の中のひそやかな秋ですよね



1時間30分、汗ぐっしょりかいて6000歩気持ちのいい散歩道でした。

美しい太鼓に誘われて

2017-08-08 | 日記



会津坂下の夏祭りを楽しみました。




祭りは安兵衛太鼓の演奏で始まります


    
正しくは「大江戸助六流会津坂下安兵衛太鼓」と称しております。見事な演奏のピックアップです。










私たちの町の貴徳寺には堀部安兵衛が幼小の頃新発田藩から浪々の身となった父母とともに貴徳寺の長屋に暮らしていたという伝承があります。(会津坂下の伝説と史話)
それにちなんで名付けられた安兵衛太鼓です。町の催しにはいつもオープニングとして演奏され町民を楽しませてくれますが、各地で行われる太鼓集団の共演でも高い評価を得ていると言われている町自慢の太鼓集団です


毎年8月の第一日曜日が町の夏祭りなんです。いろんな催し物があって賑わうんですけど、今年の夏の酷暑は特別です、さすがの山太郎も老いました、熱中症が怖くて酷暑の時間帯の行動を慎みました。

日が暮れて涼しくなった街通りは恒例の会津磐梯山と坂下音頭の流し踊りで賑わいます。大変な賑わいです。主催者の発表では流し踊りの参加者1100名と発表されたと新聞にありました。それに見物衆の人たちもいっぱいで狭いで街通りは身動きがままならぬ程の人出でした。




私たちの町の流し踊りは阿波踊りや各地で行われるよさこい踊りのように見事に洗練されて美しく見せるための踊りではありません。みんなで和やかに踊りを楽しむ流し踊りなんです。





流し踊りのピックアップです。ライトアップがあるわけではありません。手持ちのストロボでは光量が不足します。私の貧しい手持ちの機材では撮るのがとても難しかったんです。










祭り好きの爺いです、酷暑の中11時頃から13時頃まで、夕方6時ことから8時過ぎまで老いを忘れて重い一眼デジ持って駆けずり廻りました。さすが疲れました。でも最高に楽しい一日でもありました

90と88歳の爺いとばばちゃん、二人の朝が元気です。

2017-08-05 | 日記
私の家でばばちゃんの寝室は階下の部屋にあってベットが入れてあり、爺いの寝室は二階のトイレ付きの6畳の畳の部屋で二人は独立しております。ばばちゃんは私のいびきがうるさいといい私はばばちゃんのいびきがうるさいといい喧嘩になり話し合って独立したのです。結果は最高二人とも自由にゆったりと眠ることが出来るようになりました。喧嘩しても尾を引かなくなりました。ゆったりと寝ている間に二人とも喧嘩のことなど忘れてしまうのです。

朝4時30分頃目覚めた私は布団をたたみ身支度をしてゆっくりと階段を下りるのです、すると廊下の灯りがついていて台所のレンジの上の火に鍋とヤカンが載っていてカタカタとばばちゃんの包丁の音が聞こえて来るのです。

それを見て聞いて私は「あ、ばばちゃんは今日も元気だ」とホットするのです。
するとばばちゃんは笑顔で「おはよう。よく眠れた」と爺いの私に声をかけてくれます。

私は元気で台所で仕事をしているばばちゃんの姿が嬉しくてほっとしているのに顔はぶすっとしてひと言「うん」といって洗面所にいくんです。アホな昔気質亭主関白の沽券の残りかすが90歳になってもまだ消えていないんですよ。なーにばばちゃんは無力で哀れな沽券だけの爺いことなどとうに見抜いてはいるんですけど・・

洗面所の私はまず洗濯機の中の洗濯物の量を見計らって柔軟剤と洗剤を入れてスイッチを入れます。私は粉の洗剤より液の洗剤のほう効率がよく使い安いことを知っています。洗濯機についてはばばちゃんより私のほうがベテランなんです。ばばちゃんが洗濯機を回す時は昔買いためていた粉剤の洗剤を使っています。液の洗剤の使い方を聞くんですけどかたくなに粉の洗剤を使うんですよ。

洗面が終わると掃除を始めます。3年ほど前までは毎朝掃除機を使っていましたけど、今は古式の座敷箒です。ばばちゃんの寝室から居間、廊下玄関、玄関外のたたきまで狭い家の中ですけど手際よく掃いて後マップを掛け必要な場所は布巾で拭くんです。日曜日は丁寧の掃除機を掛けます。

掃除が終わったら台所のばばちゃんの脇に立ちます。そしてばばちゃんの指示で台所仕事を手伝います。私が台所に立つようになってからはばばちゃんの包丁も私の包丁も鋭くピカピカに研ぎ上げられていて良く切れるのでばばちゃんは喜んでいるんです。刃物の研ぎ方は子どもの頃から肥後の守といわれるナイフや山遊び必携の鉈を研いでいますから私の身についているんです。

これは煮物と称するばばちゃんが主になって作る鍋物です。もちろん私も手伝います。



これは私が主になって作る肉汁です。これらはカタカナ料理ではありません。結婚以来60数年続いている古来の料理で美味しくて欠かすことの出来ない二人のだいじなメインの料理なんですよ。



トマトはばばちゃんが切りました。目玉焼きは爺いがフライパンで焼きました。




これは爺いのおかゆです。爺いが作ります。



そのほか野菜の料理や漬け物や生協からかったおかずなどはばちゃんが調えます。





私の家は家庭内のバイキングです。それぞれの好みにあわせて自分で盛りつけて自分で食卓に運んで食べるのです。

台所の仕事が終わると食事前に爺いとばばちゃんにはそれぞれの大事な仕事があります。
爺いはまず洗い終わった洗濯物を物干し竿に干さなければなりません。始めた頃に比べると今はすごく手際よく上手にできるようになっています。洗濯物を干していると庭で私のスズメたちがどこからか飛んできて早く餌頂戴とちゅんちゅんと鳴いています。実は毎朝食パン1枚を丁寧に刻んで庭に撒くのです。スズメたちが集まってそれを食べてる姿を見るのがとても楽しいのです。





何組かのスズメのカップルがいるんですよ。少し太めのスズメは雌ですらりの軽やかな姿のスズメガ雄なんです。カップルが飛んで来ると雌のスズメは近くの枝に止まってパンくずには近寄りません。すると雄のスズメは止まっている雌のスズメの所にパンくずを運んで口移しにたべさせるのです。とっても微笑ましい情景です。抱卵している雌に餌を運ぶ雄の習性なんでしょうね。私はカラスの雄が餌を雌に運んでたべさせているのを見たことがあります。雄鳥が雌鳥に餌を運ぶのは鳥たちの習性なんでしょうか、かわいいですよ。

その間、ばばちゃんは神棚と観音様に水を上げ、マルとエリー(愛犬)の写真の前に線香を立てお菓子などを上げ深々と手を合わせてお祈りをするんです。無粋で神信心の薄い私は感心してそれを見ています。

食事がおわった跡の片付けと食器洗いは爺いの仕事です。足が痛くて歩行が困難なばばちゃんですから当然の爺いの仕事です。ばばちゃんは爺ちゃんが惨めに見えるから食器は洗うな私が洗うからといいます。でも私はかまわず食器も丁寧に洗い納めて台所も丁寧に綺麗にして終わります。

昔の私は「男子厨房に入らず」と称して決して台所などには入りませんでした。スーパーなどで食料品を買い求めることなどは決してしませんでした・

ちょっと改まった外出や仕事に出るときはハンカチちり紙ネクタイ靴下などが揃えられており磨かれた靴が玄関に揃っていました。現役時代の私はそれが当然だと思っていました。

しかしあるときばばちゃんにちょっとした病で寝込まれた時私は呆然としてしまいました。家事について私はなんにも分からずどうしていいのが狼狽するばかりでした。いちいち寝ているばばちゃんに聞きながらなんとか乗り切ったのです。

その時以来私はばばちゃんから独立しなければならない。このままだったらもしばばちゃんに倒れられたら介護どころか自分が破滅してしまうと恐ろしくなってしまったのです。

そしてばばちゃんに、仕事を手伝うのではく自分で仕事を覚えるためにばばちゃんと仕事を一緒にすると宣言してばばちゃんを先生にして家事を学び始めました。それはたやすいことではありませんでした。たとえば洗濯物のタオル1枚干すにしたってそれが上手に手について出来るようになるのは簡単ではなかったのです。しわを伸ばせ、曲がっている、等間隔に並べよ、いやはや大変でした。一事が万事家事のすべてを身につけて自然に出来るようになるのには大変な苦労をしなければなりませんでした。

それが今の私はたとえばデーザービスでばばちゃんが留守になっていても私の受け持ちの肉汁の鍋物を楽しみながら材料を揃えて煮ることが出来るようになっていますし。乾燥した干し物のシャツなどはばばちゃんと同じ程度に綺麗にたたむことができるようになっています。私の寝室には私の衣類はすべて分類されて綺麗に保管されています。病院に行くときなどばばちゃんの手を借りずに一切を手際よく調えることが出来るようになっています。

私はばばちゃんと話しながら男子厨房に入らずなどとおかしなプライドに固まっていた私がよくもまあこんな爺いになたものだとばばちゃんと一緒にあきれています。まあ頑固でアホな私が普通の爺いになったということに過ぎないとは思っているんですけど。

「90と88の爺とばばちゃん 二人の朝が元気です。」臆面もなく爺いの恥を書きました。笑いとばしてください。恥ずかし恥ずかしです。

梅雨明けの圃場も空も輝いて

2017-08-04 | 日記



早稲田なんでしょうね出穂している圃場もありました



季節は移ろっているんですね。そこはかとなく秋の気配を感じます。それにしても8月というに蝉の声が聞こえてこないんです。どうしたんでしょうね。90年生きて蝉の声が聞こえてこない夏なんて初めてです。侘しくて怖い感じさえしてしまいます。老体の私の耳が遠くなったんでしょうか。 でも昨日庭で蝉のなきがらを見たんですよ。

一筋の道歩み続けて今日の散歩道

2017-08-02 | 日記


私の脚で約6000歩、道々「あっこれ面白い、撮らなくちゃ」などとレンズを向けてシャッターを切りながらの1時間30分程の散歩道なんです。

あれっ、こんな白い花が咲いている、ボタンヅル?、センニンソウ?、私には花の名前は分かりません。ああ夏の花なんだ、去年も咲いていたけど今年も咲いている。地味だけど私の好きな花なんです。嬉しくてシャッターを切りました。



あっ、ミヤマアカネ?が止まっている。静かにレンズを近づけるとさっと飛び去ってこんなカットになりました。残念!・・



でも、うまくいくとこんなカットも撮れるんです、まあまあですよね。トンボさん有りがとう



モンシロチョウが飛び回っている。でも農道の散歩道は綺麗に刈り取られて止まって蜜を吸う花がないんです。ひらひら飛び回っていて撮れません。でもがんばってみました。
レンズの焦点をマクロで固定して連写にセットしてチョウを追いました。100カット、200カット・・下手なテッポも数打ちゃ当たる。こんなカットが2枚ありました。大満足です。





キアゲハチョウがひらひら飛んでいましたけど撮らしてくれませんでした。残念です。 蜜を吸う花がいっぱい咲いていた2、3年前は私でも結構撮れたんですよ。



時にこんな6mmほどの小さな蜂を見ることもあります。野菊の花に止まっていました。マクロレンズに切り替えて撮りました。まさか虻じゃないんでしょうね。



ぶんぶ~ん羽音を立ててクマンバチが飛んで来ました。実は私は耳が遠いんです。羽音が聞こえる分けがありません。心で羽音を聞いたのです。



クマンバチって割と大きくて逞しい姿をしています。ばばちゃん(家内)などスズメバチとおなじように恐がります。でもクマンバチはとてもおとなしい蜂です近寄っても攻撃してくることありません。でも子供の頃一度刺されて泣いたことがあります。刺されれば蜂ですから痛いです。クマンバチがホタルブクロの花の中に潜って蜜を吸ってるのを見て指でホタルブクロの花を閉じたのです。そしたら花の中からちくりと刺されました。神経の鋭い指先です痛くて泣いて耐えるほかありませんでした



いろいろ書きましたけど、これらは三日分撮りためたカットとその時の思いなんです。
私は免許証を返上していますから以前のように尾根道を楽しんだり渓谷の橋梁渡る列車を撮る場所に軽々と訪れることはできません。でも毎日こんな同じ道の散歩でも自然は少しずつ変わった姿を見せてくれんです。結構楽しんでいるんですよ。でもブログへの投稿は少なくなっていきます。やむを得ませんその分読書にでも向けて楽しみたいと思っている今の私なんです。