さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

寒々とした会津の春の川辺です

2017-04-09 | 日記
暖かい昨日の春は一転して今日は冷たい枯れ芦野の散歩でした。


 
風は冷たいし、枯れ芦原の中の流れも寒々としてカルガモの姿もありません。侘びしい散歩でした。

ふと懐かしい愛犬マルのことを思いだしましました。15-6年昔のことになりますけどまるで昨日のことのように思い浮かぶんです。この道は私とマルのいつもの散歩道でしたから



シベリアの橇引き犬のハスキー犬でした。オオカミに一番近い犬種といわれ野生が強く残っていましたけど、飼い主には従順で賢いワンコでした。マルのお陰で山野を散策していていろんな動物を見ることが出来ました。本能で私をいろんな動物のところへ連れて行くんです。イタチ・テン・キツネ・キツネの住み家の穴・タヌキなどです。

いつかはマルが河原の野原を激しく走っていったので、行ってみるとそこは狐の住む穴でした、狐塚というんでしょうか土が塚のように盛り上げられていてそこにいくつもの出入りの穴があいていました。そしてそこに逃げ遅れた1匹の子キツネが死んでいました。マルにかみ殺されたのです。マルは私に叱られてリードで激しく何度も打たれました。「だめ!マル」と叫ぶ私の目を見ながらマルは悲しそうに伏せて耐えていました。またあるときはタヌキに出会いました。マルは勇躍して追いかけました。しばらくしてマルはしっぽを下げて逃げて来ました。タヌキは私の姿を見ると怖くて逃げましたが私の姿が見えなくなるとマルに反撃したのです。マルの野生もタヌキの本物の野生には敵せずしおしおと逃げ帰ったのです。私は大笑いしました。

マルは2歳の頃になると私の指示はすべて分かっていて、絶対に人のいないことが分かる冬の雪山とか、見渡しの広い川辺の野原とかではリードは必要ありませんでした。でもたとえ人の姿が見えなくてもすこしでも人に会う可能生のあるところではリードを短くもってきちんと左側につけて歩きました。マルは準大型犬ですし、それが犬を飼うものの最低必要なマナーですから。

あの頃私も元気でした。よく歩くスキーを履いて雪の山をマルと一緒に散策しました。



野生の残っているマルですからノウサギなどの匂いを嗅ぎつけて追い出して姿が見えなくなることもありました。マルは橇引き犬ですから雪の上を平気で走れます。でもノウサギの身軽さにはかないません、私は笑ってみていましたけどそれどもマルは必死においかけるんです。姿が見えなくなっても私は平気でスキーでの散策を楽しみます。そして帰る時には犬笛を吹くんです。すると1分もしないうち必死になって飛んで帰って来るんです。

私の必要な指示はすべて分かっていました。右だよ・左だよ・上だよ・下だよ・帰るよ・待て・お出で・だめ!・・特別なしつけなどした記憶などありませんけど幼い時からいつも会話して散歩しているうちに自然に覚えてしまったんですね。もちろん完全にしつけの自信がついた2歳なかば頃まではリードは放しませんでした。

マルの大好きな川辺の散歩です。リードを離れて先をあるっているマルに「洗ってこい」と言うと大喜びして流れにとびこんで遊んで来るんです。そして帰る時には「帰るよ」というと急いで上がってくるんです。



そんなマルデしたけど僅か12年ほどで若死にしてしまいました。シベリアの橇引き犬は暑い日本の気候には適していなっかったですね。あちこちのペットクリニックに通いましたけどだめでした。なくなる一週間ほどは私はマルに添い寝をしていました。あるとき夜中にトイレに行くと言って庭にでて帰ってきませんでした。行って見るとマルはいつも涼しいので休んでいたイヌツゲの木の下でねむるように死んでいました。

マルを丁寧に葬って私はいつも一緒に散歩したこの道をマルの名を呼びながら一人で歩きました。涙が止めどなく流れました。悲しいけど懐かしい思い出です。つい昨日のことのような思い出ですけども。