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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

おだやかな春など遠く 吹雪かれて

2015-03-24 | 日記
 
ふるえながら帰る散歩道でした。



 午前中は雨しとしととふっていたんですけど、午後はときおり日も射して来たので散歩に出たんですけど、1時間なんにも目を引くものがなくて風ばかり強くてつまらない今日の散歩と思っていたんです。

 遠くの山の空に雪雲が見えたと思ったらまもなくちらちらと雪が降って来ました。あれっと思って10分もすると猛烈な吹雪になりました。嬉しかったんです。

 レンズのキャップをはずして撮ろうとしたんですけど、猛烈は吹雪、それに雪は湿っていて重いんです。レンズプロテクターに雪が張りつくんです、ティッシュで拭きながら3~4カットやっと撮ったんですけど全部だめ、ようやく撮れていたカットがこれです。

 年は充分とってるのに写真は未熟な私です。吹雪く写真の撮り方が分かりません。だからオートでシャッターを切っています。誰か降る雪の上手な取り方、吹雪く写真の撮り方教えて頂けませんか・・ 

ローカルの小さな駅のある村が嬉しくて

2015-03-21 | 日記


 二時間と少し山の春の散策を楽しみました。


 こんな小さな可愛い駅舎でしたけど無人のローカル線の駅舎の中では立派なんですよ。小さいけど瀟洒な姿です。集落の家が山の麓の高い場所に見えていました。


 
特に嬉しかったのはこのトイレの建物です



 小さいけど建物の中は立派な設備で綺麗に清掃されていました。念のために大きい方のトイレのドアを開けて見ると新しい綺麗な洋式の便座でした。嬉しかったんです。ローカル線の無人駅にはトイレなどないのが普通ですし、あっても和式の便座でちょっと使う気になれませんのにです。



 駅の名は滝谷(たきや)なんですけど、駅のある集落は中野と言う10戸ほどと見える山の麓の小さな聚落でした.


 坂を登って見るとこんな聚落がありました。道は西山温泉郷を通ってカラムシ織りで有名な昭和村に通じる立派な県道でした。


 そして驚いたことにこんな小さな聚落に町指定の重要文化財の薬師如来木像が本像の薬師堂があるんです。深い雪に埋もれていましたけども。



 参道の入口近くには岩から湧きでる綺麗な清水がありました。通りがかった車を止めてボトルに清水をくんでる人の姿もありました。中野の岩清水と言うんですね。


 時間はたっぷりとあります。道路の案内板によれば滝谷本村までは約1.5kmとありました。カメラはミラーレス一眼に中望遠レンズをつけた重い一眼デジ、それに昼食とスポーツドリンクでカバンはずっしりと重いんですけど滝谷本村までがんばって行って見ることにしました。

  
こんな急な坂道にある長が~いスノーシェットを通っていくんです





 スノーシェットに入るちょっと手前で深い峡谷に架かる美事な鉄橋が見えました。「いい撮影ポイントだ」いつか来て鉄橋を渡る列車を撮ろうと思いました。



 
滝谷川は雪解けの水を集めて激しく流れていました



 
滝谷本村です



 
こんな美しい蔵がありました。滝谷本村は古くからの大きな立派な集落だったんでしょうね



 
こんな立派な寺がありました。でも参道は雪に埋もれていました。無住なんですね



 
この集落の外れの橋を渡って入るのスノーシェットの入口にこんな道路標識がありました



 この集落の奥には豊かな温泉の湧く西山温泉郷があるんですね。この温泉郷の近くを流れる川のあちこちに砂利を取りのけると熱い温泉が湧出しているところがあると聞いたことがあります。温泉の湧出量が多いんですね。

そのためでしょうか、西山地区にはには出力65.000kw日本最大の地熱発電所があります。地下数kmの所にあるマグマだまりからパイプで蒸気を引き出して発電するんだそうです。すごいですね。

 2時間30分ほど、山の道をシャッターを切りながらながら夢中で歩き廻りました。帰りの長い登り道は老いの足にこたえました。なにしろ少しも休憩なしに2時間30分も歩きまわったのですから。散策が終わって駅の小さな待合所で独り静かにお昼を食べました。

 しばらくぶりの楽しくて充実したの半日でした。今日は足が痛くてびっこを引いて歩いています。でもそれが分かるとばばちゃんに叱られるのでばばちゃんのいる所ではシャンと 気張って歩いています。だから元気なんです。

ようやっとの春が嬉しくて

2015-03-16 | 日記
でも、三月の豪雪が怖かった。大変だったんです。
3月8日の定点の写真です



 うららかな春でした。すっかり雪が消えて嬉しい淡い緑が萌え始めていました。
(私はこの風景の撮れる一点をを決めて季節の移り変わりを撮っているんです)


 3月10日の午後から雪になりました。しきりと激しく降りましたが春3月、春の雪なぞすぐ消えると気にも止めませんでした。でも次の日の朝起きて見ると積雪は30cmを越えていて激しい雪が降り続いていました。
 
冬になってしまったのです、猛烈な雪の日が11日・12日・13日と3日間降り続いたのです


「このままじゃ~積雪は1mを越えてしまう」
「地球が壊れている・・!」
そんな悲鳴をあげる人もおりました。 私は3日間毎日2~3度除雪機を回して除雪しました


 3月14日午後から春が帰ってきました。春の太陽はすごいです。暖かくて嬉しいです。降り積もった雪はどんどん消えてゆきました。3月15日の国道49号線です。越後街道には車の列が連なっていました。


 春が甦ってきました。日中はストーブがいらなくなりました。私はズボンを冬用から春用に履き替えました。二階から降りると台所のばばちゃんが軽やかでいいねと言ってくれました。

 私は豪雪のことがちょっと心配になってネットで地球の気象について調べて見ました


 「地球を1.5mの球として考えると大気の対流圏はわずか1mm」とありました。大気の層はほんとに薄いんです。そこに私達人類は化石燃料を大量に燃やして美事な文明を生きています。

 わずか150年前の江戸時代私達の先祖は化石燃料など使っていませんでした。
 船は帆船、明かりは菜種油か漆の実からとって作った和ろうそく、旅行は歩行か駕篭か馬、暖房や煮炊きは薪や柴、石炭も石油もガスも化石燃料は一切使っていませんでした。
 80年ほど前の私の子どもの頃だってそんなに変わってはいませんでした。明かりは近くの川に作られ小さな水力発電所から電気を引いてわずか10燭光の暗い電球が家の中にひとつだけ、自動車など本当に珍しく車が来れば村中の子どもが「自動車がきた~」と叫んで群がり集まりました。石油などなんにも使っていませんでした。

 でも、2015年の今は、90歳近い老人で細々と年金で暮らしている私でさえ、古びた軽とはいえ車を運転しあちこち飛び回り、エアコンを使っ冬は暖かく夏は涼しく暮らして文明を楽しんでいます。 国道49号線は化石燃料を燃やして走る車が連なっていっぱいです。

 今の文明は化石燃料を燃やして成り立っています。薄い地球の大気が暖まり極地の氷が消え北極海が重要な新しい航路になり、豪雨や豪雪や竜巻など今までと違った気象状況になるのは当然ですよね。もうそれは異常気象なのではなくて普通の気象と考えたほうが良いように思います。

 でも、このすばらしい文明を支えている化石燃料はいずれ枯渇します。「あと50年でいまの油田は枯れる」などと昔からず~っと言い続けてきました。でもいつも新しい油田が開発され掘削技術が進歩して化石燃料の枯渇は先送りされ、私達には化石燃料枯渇の恐怖などまったく感じないで豊かな生活を楽しんでおります。

 事実アメリカでは1,800mの地下からシェールオイルが取り出せるようになり、太平洋には大量のメタンハイグレードが埋蔵されておりいずれ開発されるようになるんでしょうね。明るい見通しですね。

 でもそれだって無限ではなく有限です、人類の化石燃料消費量は増加こそすれ減少するとは考えられません。いずれは必ず化石燃料は枯渇します。

 そのとき人類の英知は、枯渇しそうになった化石燃料を巡る戦いを押さえることが出来るでしょうかね?・・いま人類はすごい危険なものを手に入れています。原水爆弾です。それを大量に持っている4ヵ国は今もエリート技術者の集団がより高率なもにするために研究改良を続けており、一国だけの持っている原水爆弾で世界人類を数回滅亡させることが出来ると聞いたことがあります。

 たった一発の原水爆が爆発すれば連鎖でみんなが持っている原水爆弾を使用するにちがいありません。人類の滅亡ですよね。

 いつかの新聞の川柳欄に「人類の滅亡の歴史誰が書く」とありました。そんな心配などありませんよね。人類は優れた英知を持っている筈ですから。

 今朝ネットでヤフーを開くと「<ロシア>露大統領「ウクライナ危機で核兵器を準備した」(毎日新聞)とありました。

 「土の中に住むミミズはこの土を食べ尽くしたらどうしょう?と心配している」それって今の私のことなんですよね。

 今日の天気は麗しい春です。午後は心筋梗塞の三ヶ月ごとの定期診察です。90歳近い私は嘘見たいの元気でみんなにあきれられています。今日も楽しく生きましょう。もうすぐフキノトウやイヌノフグリの綺麗な花がみられます。いまは麗しい春なんです。

マスクしたあの人の姿ふと美しい

2015-03-14 | 日記
 ばばちゃんに渡された買い物のメモを見ながら混雑している生協でカートを押しながら買い物をしていました。一週間分の買い物は二つの買い物籠いっぱいになりました。

 ふとレジを見て「 マスクしたあの人の姿美しい」と思いました。そして私はその人のレジを撰びました。でも、私はレジが終わるまで遠くの外を眺めていました。秘やかな私の心を私は恥じていたのです。

 「トマト5個ですね」
 外を見ていた私は思わず「はいっ」と大きな声で答えました。
 それはレジを打つときの女の人のいつものつぶやきなんですよね。それに大きな声で答えたことがおかしくなって私もレジの女の人も顔を見合せて笑いました。

 レジが終わって重い買い物籠の ひとつをレジの女の人はカートに積んでくれました。それは老いの身を思いやって下さる心づかいです。

 でも、「すみません。有り難うございました」とお礼をいってカートを押して車に急ぐ爺いの心はほのぼのと温かったのです。

 これって爺いのささやかで小さな恋なんでしょうかね。アホな爺いのbaka見たいなつぶやきです・・お笑いください。えへへへ・・