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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

台ノ宮公園欅の古木に思うこといろいろ

2018-12-15 | 日記
雪の降った朝の道を散歩して久方ぶりに台ノ宮公園を訪れました。真っ白な雪の上に青空の中高く欅の古木が枝を伸ばしていました。神秘的な姿に心うたれてしばらく佇立して手を合わせました。


幹周り8.5m高さ25mの巨木です

   
太い幹には注連縄がまわされていました。神木なんですね。注連縄には「千年けやき、幹周り8.5m」と書かれた板が下げられていました。

 
  

台ノ宮公園はちょっとした坂を登った台地にあります。このように台地に登る坂があって泉などが湧いている場所の坂を関東地方や東北では「ばっけ」と呼ばれているところが多くあるんだそうです。私たちの町の古坂下の地名はその「ばっけ」によったと言われております。古坂下が「ばっけ」と呼ばれれた古い時代からこの欅は生き続けてきたんでしょうかね。

「古い時代の台ノ宮は昼なお暗い鬱蒼とした林であって、そこに弥十郎と呼ばれる狐の一族が住んでいて夜な夜な美しい女に化けて若い男どもを呼び寄せたぶらかして髷を切って坊主にして帰していた」。という伝説があるんですよ。昔の台ノ宮はそんな言い伝えのある鬱蒼とした林だったんですね。

台の宮公園の欅の下にはこんな赤い鳥居と石の祠があるんです



  
その祠には「横山新田一村講中 文化十四年」と刻まれています。文化十四年は1817年です。ある書によると「会津の藩政時代には古坂下の水呑百姓の妻だけれども優れて心のきく女性「横山森子」が中心になって新田を開拓してその地を横山新田村名付け年貢の取り立て勘定からすべて肝煎りの仕事を夫久八とともにこなし肝煎り給分をもらって肝煎りの仕事をやっていた。会津藩の記録の村数176の中に横山新田分として古坂下村に並んで記されている」とありました。また赤い鳥居には「奉納」として6人の名前が記されていました。



今は横山新田の地名は消えていますけど横山新田村の鎮守は姿を変えて台ノ宮公園のなかに石の祠として祀られ6人の氏子の方に支えられているんですね。

盆踊りは昔のようには賑あわなくなりましたけど、昭和30年台頃までは台ノ宮の盆踊りは近郷近在からたくさんの人が集まって賑わいました。貴重な写真がありました。高い踊りお囃子の櫓、大勢の人の踊りの輪、左の木は台ノ宮の欅ですね。残念なことにこの写真がどこから頂いたのか分からないんです。いくら探しても調べても分からないんです。残念です。



この写真はたぶん30年くらい前に私が撮ったものです。写真のようにその頃は幹の内部が朽ちて大きな洞(うろ)になっています。その洞にたくさんのコウモリが住んでいて夕方になると台ノ宮の空いっぱいに飛び舞っていました。物知りの方の言によればそのコウモリは新種のコウモリであるとのことでした。


(この写真を見ると洞の下部はセメントで補修されていることが分かります。もともとの洞は下部まで大きく朽ちていたんですね)

ところがある年その洞の中に怖いスズメバチが大きな巣を作り危険になりました。それでその巣を取り除き洞の口を閉じてしまう樹の手術を行って 今のような洞のない幹になりました。もう怖いスズメハチの巣はつくれなくなりました。でも群れていたたくさんのコウモリは絶滅してしまいました。ちょっと寂しい気もします

つまらんことをだらだらと書きました。でも疲れました。台ノ宮公園には書きたいことはまだあります。でも今日はこのへんでやめておきます。ご免なさい。