安部仲麻呂神社に面白い伝説がありました
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袋原の広い蕎麦畑を撮った帰り道、永井集落の入口にちょっとした広場があって、そこに阿吽の駒犬さんとなにやら解説の掲示板あったのに気を引かれて車を止めました。
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案内板によると承徳2年(平安時代)秋、阿賀川に大きな洪水があって永井村の家々の軒下まで水につかり村の家々が洪水に流されそうになった時、見知らぬ霊翁が現れ「お助け下され」と泣き叫ぶ人々の願いを聞いて洪水の流れの上に杖で文字らしきもの書くと洪水の流れはさあっと消えて治まりました。村人は喜びと感謝の心を籠めて御名を教え下さいというと霊翁は「われは安部仲麻呂なり」と答えて姿を消しました。村人はその御徳を讃えて村の鎮守として安部仲麻呂を神社に祀り、洪水の災害を守って下さる神としてまた学問の神として信仰したとあります。永井地区の人々は昔から度々の大きな洪水に苦しんでいたからこそこのような伝説が生まれこのような神社が祀られるになったんでしょうね。
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真木集落の近くの泡の巻橋の近くに広い公園がありました。そこに「泡の巻狭窄部改修竣工。平成10年11月」の立派な碑がありました。世間に疎い私は平成10年まで阿賀川狭窄部の改修工事が行われていることは全く知りませんでしたから、あれっと思いました。
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私は阿賀川狭窄部の改修工事は大正10年(1921)から昭和13年(1938)までの17年間の大工事で終わっていたとばかり思っていました。その工事については私なりにネットで調べこのブログに投稿しておりましたけど、平成10年まで阿賀川狭窄部改修工事が続けられていたことは知りませんでしたからあらためて調べ直そうと思い立ちました。
ネットで調べた「阿賀川流域パンフレット」にはこう記されています。
「会津盆地で四方から集まる支川を流入された阿賀川は喜多方市慶徳山崎でビンの口のような狭窄部に入り、泡の巻・土掘・袋原で大きく袋状に蛇行して流れている。そのために洪水になると水が円滑に流れず湛水氾濫し大きな被害をもたらした。国はその改善事業として大正10年(1921)から昭和13年(1938)まで17年間の歳月をかけて蛇行部分に3本の捷水路(ショートカット水路)開鑿工事を行った」
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地図(5万分の1)の青色で示された川筋は捷水路開鑿工事が行われる前の阿賀川の流れです。泡の巻・土掘・袋原で川筋が大きく袋状に蛇行しているのが分かります。赤い色の部分が河川改修され新しくなった川の流れです。泡の巻・土掘・袋原の赤色の部分が開鑿された捷水路です。
写真は開鑿された袋原捷水路です。広い川幅の直線的な500mほどの川の流れです。 写真中央の右側に旧阿賀川の出口が見えています。この捷水路によって袋原台地の回りを6kmも蛇行して流れていた旧阿賀川が僅か500mにショートカットされた流れになったのです。
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写真は袋原の回りに残る旧阿賀川跡の湖沼です。かつてはヘラブナ釣りの名所でした
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袋原を回る旧阿賀川跡の上流部は干拓されて今は立派な水田になっています。両岸の高く険しい崖の間いっぱいになって元の阿賀川は流れていたんでしょうね。左側の崖の上に広い袋原台地があります。老体の私の足ですけども袋原台地からこの水田部分まで下りるのに20分ほどかかりました。
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写真は泡の巻の旧阿賀川です。泡の巻と言いますからこんな山際と対岸の深い崖の間を旧阿賀川は泡を立てて流れていたんでしょうね。
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かつて会津盆地西部の狭窄地帯を大きく迂回蛇行して流れていた阿賀川はこの3本の捷水路工事で大きく改善されました。この開鑿工事は大正10年から昭和13年までの17年間の大工事でした。当時は大型の土木機械などありませんからほとんど人力による工事だったんでしょうね。 私の父の年代の方の仕事です。頭が下がります。
しかしこの工事は完全ではなく多くの未掘削箇所を残して昭和14年(1937)に中断されました。当時日本軍の中国への出兵(支那事変)2年目で戦時機運が強まったことが大きな原因と言われております。
昭和57年(1982)9月会津地方を襲った戦後最大の洪水を機に泡の巻狭窄部改修工事を中心にした阿賀川改修工事が再開され泡の巻は平成10年11月に竣工しました。
現在の泡の巻橋です。かつての狭窄部が大きく開鑿され、長いコンクリートの永久橋が架橋されています。
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泡の巻橋から阿賀川下流の遠望です。広い川幅の阿賀川が開鑿された山あいを流れています
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テレビの予報によりますと明日の夕方あたり台風10号が会津を直撃通過するかも知れません。でももうこの部分の湛水洪水はないだろうと安心しております。