

こんなすばらしい句集を成田青芦さんの息子さんから頂きました。
第一句は
幸せを独り占めして初湯かな
そして
初電話している妻の傍で聞く
最後の句が青芦さんのお亡くなりになる前の病床でのお読みになった句、絶句です。
湯のたぎる音して風邪寝人を恋う
成田青芦さんの暖かでおおらかな人柄そのものの句三百五十首余の句集です。
このすばらしい句集を頂いてじじいの秋は幸せです。
成田青芦さん「本名は成田 博さん」は長く県の保健所にお勤めになり田島の保健所所長を最後に退職なさいました。そして私の家のすぐ隣の新居にお住まいになりました。
私より十三歳ほど年上でいらっしゃって、ご夫婦でいつも暖かくおつきあい頂き、またなにかとご指導も頂きました。
でも残念なことに新居にお移りになってわずか4年、六十二歳の若さでガンでお亡くなりになったのです。わずか4年のおつきあいでしたけど誠実で暖かい人柄の成田さんのことはいつも懐かしく思っていました。
でも、私は成田さんがこんなすばらしい俳句をお読みになるなんて知りませんでした。
大阿賀を越ゆれば他郷揚げ雲雀 青芦
私は俳句は難しくてあまり分かりません。でも、この句は私の大好きな句のひとつです。というより、俳句と言うものに心曳かれた最初の句なんです。
成田さんのお墓にこの句を刻んだ句碑を見て心をうたれました。成田さんの暖かく大きな心にふれたような気がしたのです。


阿賀野川は会津からはるか遠く越後新潟市に流れる大河です。
この句は成田さんが新しい任地に転任される時お読みになった句ではないかと思うのです。大きな流れの阿賀野川にかかるこの橋を渡ると新しい任地に入る。旧任地の同僚先輩友人、そして暖かく慣れ親しんできた土地の人たちと別れて、新しい任地に入るその引き締まる心と決意を、春の空にのどかにさえずる雲雀が迎えてくれている。その時の成田さんの深い心がしみじみ感じられるのです。
お墓の句碑の裏には成田さんの生前の経歴と一緒に絶句が刻んでありました。
湯のたぎる音して風邪寝人を恋う
成田さんの最後の病床でお読みになった最後の句です。この句をおよみなってまもなく成田さんはお亡くなりになりました。
当時は今と違ってガンの病気はひそかに親族だけに知らされ、本人はもちろん周りの人には知らされませんでした。成田さんはご自分の病気が不治の病のガンであることは知らずに、風邪だから必ず治ると信じてお休みなっていらっしゃったんですね。
生前、成田さんの誠実で暖かい人柄は多くの人に親しまれていましたし、大きな業績も残されていました。こんな句もあるんです。
褒賞の金盃をもて屠蘇祝う
どんなことで褒賞をお受けになって金盃をおもらいになったんでしょうね。
趣味も豊かにお持ちで俳句歴は四十四年、茶の湯にも通じておられ野点の句もあちこちに見られます。
ご自慢の品物は見事な碁盤だそうです。碁盤を詠まれた句もありました。碁がたきもたくさんお持ちだったんでしょうね。
成田さんの茶の間には長火鉢があって炭の埋もれ火の上に南部鉄瓶の湯のたぎる音が静かにしていました。
その静かな音を聞きながら病床の成田さんはあの人のことこの人のことを思っていらっしゃったんでしょうね。
そしてまもなく静かにお亡くなりなったんです、暖かく豊かな心の成田さんの最後の句なんですね。私はこの句を読んで成田さんのことで心がいっぱいになるんです。
九月のお彼岸のとき、今は空き家になっているお家やお庭の手入れに成田さんの息子さんがおいでになりました。私は懐かしい成田さんのことをお話し、もし残された句集があれば見たいことをせつにお願いしました。
そして、十一月お家とお庭の冬囲いに帰省された息子さんからワープロで編集されたこの句集を頂いたのです。
嬉しいです。感激しました。
これで、あの暖かい成田さんの心に触れることが出来る。私は大きな幸せをもらいました。これからしみじみとこの句集を楽しませて頂きます。
ありがとうございました。