何度かここにも書いていますが、
のんびり娘は3歳からピアノのグループレッスンを始め、
途中個人レッスンに切り替えて、いまだにピアノを習い続けています。
でも、これも何度か書いたように、読譜はスムーズにできず、
先生の出す音を耳から聞いて覚え弾くという「美空ひばり」さんタイプの覚え方です。
のんびり娘の特性を良くご存じのピアノ教室ではそれが通ったのですが、
高校3年になってから取ったピアノの講座(正規の授業ではないけれど単位は認められる)の
先生にはそれは通用せず、バイエルを読譜しながら弾くことになっていました。
これが、のんびり娘には負担だったのでしょう。
講座を担当する先生に関しては不満たらたら。
「生徒の事をわかってない。」
とか
「ちゃんとみてくれない。」
とか、
結構ブツブツ言ってました。
さて今夜のことです。
久々のピアノ講座を明日に控え、のんびり娘がまたもや
「いやだなぁ・・・あの先生、『楽譜見てない』っていうんだもん。見てるのに。
それに他の子が笑うのもやだ。」
とブツブツ。
でも、いつもと違うのはそのあとがあったこと。
「やだから、楽譜にドレミ書いておこうかな。」
と、苦手な読譜を自分から始めました。
長年の習慣で、自信のない事をやる時には鬼母のそばでしますから、
今回も、私の横に来て楽譜を広げ、一音一音カタカナを振り始めます。
バイエルの最初の方ですから、基礎も基礎。簡単なんですけど、
以前は、どんなに教えても出来なかったんですよね。
それが今日は、途中ちょっと考えたり、ほんの少し間違えたりはしましたけれど、
かなり順調に書き込みを進めていました。
精気の音楽のテスト対策のために、何度も何度も取り組んで、
何度も何度も挫折した読譜。
高校では美術を専攻したから、2,3年は取り組むこともなかった読譜。
ピアノは弾けるのだから、ドレミファソラシドの順番は刷り込まれているはずなのに、
ドから順番に読ませようとしても、必ずどこかで混乱して読めなかった読譜。
今夜は、普通に読めてるんです。
3歳からピアノをやっている子のスピードではなく、
初めて教わって読み始めた小学生並みのスピードではあるんだけど、
鬼母が口出しするほどの事はなく、自分でどんどん書き込んでいける。
そして、カタカナを書きながら出している音は、ちゃんとその音階になってる。
時間ってすごいなぁって思う。
天才鬼母があれほど苦労して工夫して、それでもどうしようもなくて
「読めなくても弾ければいいか」
と方針を変えた読譜が、特に何の工夫もなく「ふつー」に習得されていく。
それにはたぶん、何年も続けたピアノのおかげで、
ドレミファソラシドの言葉(音とセット)が体に染みついたことも役に立っているのでしょう。
そして、カタカナをすらすら書けるのが当たり前になったということも関係しているのでしょう。
ドレミファソラシドという言葉(音)と、カタカナ(文字)と、
そして、譜面を読むということの3つを同時に処理することは、
のんびり娘の脳には難しかったのでしょうね。
だから、小学校中学校と、読譜を何とかしようと頑張っていた時には
すぐに混乱してわけがわからなくなってしまっていたのでしょう。
そのうちの二つが体にしみこみ、意識せずに動くようになって初めて。
「読譜」という作業だけに集中できるようになったような気がするのです。
さて、ひとしきりドレミを書きこんだのんびり娘に
「弾いて練習しなくていいの?」
と聞くと、
「いい。たぶん弾けるから。今日は寝る」
とのたもうた。
それも本当なんでしょうね。
ドレミがわかれば、それを音にする部分(指の動き)は
もうつながっているから、こちらはできちゃうのでしょう。
面白いなぁ・・・。
のんびり娘は3歳からピアノのグループレッスンを始め、
途中個人レッスンに切り替えて、いまだにピアノを習い続けています。
でも、これも何度か書いたように、読譜はスムーズにできず、
先生の出す音を耳から聞いて覚え弾くという「美空ひばり」さんタイプの覚え方です。
のんびり娘の特性を良くご存じのピアノ教室ではそれが通ったのですが、
高校3年になってから取ったピアノの講座(正規の授業ではないけれど単位は認められる)の
先生にはそれは通用せず、バイエルを読譜しながら弾くことになっていました。
これが、のんびり娘には負担だったのでしょう。
講座を担当する先生に関しては不満たらたら。
「生徒の事をわかってない。」
とか
「ちゃんとみてくれない。」
とか、
結構ブツブツ言ってました。
さて今夜のことです。
久々のピアノ講座を明日に控え、のんびり娘がまたもや
「いやだなぁ・・・あの先生、『楽譜見てない』っていうんだもん。見てるのに。
それに他の子が笑うのもやだ。」
とブツブツ。
でも、いつもと違うのはそのあとがあったこと。
「やだから、楽譜にドレミ書いておこうかな。」
と、苦手な読譜を自分から始めました。
長年の習慣で、自信のない事をやる時には鬼母のそばでしますから、
今回も、私の横に来て楽譜を広げ、一音一音カタカナを振り始めます。
バイエルの最初の方ですから、基礎も基礎。簡単なんですけど、
以前は、どんなに教えても出来なかったんですよね。
それが今日は、途中ちょっと考えたり、ほんの少し間違えたりはしましたけれど、
かなり順調に書き込みを進めていました。
精気の音楽のテスト対策のために、何度も何度も取り組んで、
何度も何度も挫折した読譜。
高校では美術を専攻したから、2,3年は取り組むこともなかった読譜。
ピアノは弾けるのだから、ドレミファソラシドの順番は刷り込まれているはずなのに、
ドから順番に読ませようとしても、必ずどこかで混乱して読めなかった読譜。
今夜は、普通に読めてるんです。
3歳からピアノをやっている子のスピードではなく、
初めて教わって読み始めた小学生並みのスピードではあるんだけど、
鬼母が口出しするほどの事はなく、自分でどんどん書き込んでいける。
そして、カタカナを書きながら出している音は、ちゃんとその音階になってる。
時間ってすごいなぁって思う。
天才鬼母があれほど苦労して工夫して、それでもどうしようもなくて
「読めなくても弾ければいいか」
と方針を変えた読譜が、特に何の工夫もなく「ふつー」に習得されていく。
それにはたぶん、何年も続けたピアノのおかげで、
ドレミファソラシドの言葉(音とセット)が体に染みついたことも役に立っているのでしょう。
そして、カタカナをすらすら書けるのが当たり前になったということも関係しているのでしょう。
ドレミファソラシドという言葉(音)と、カタカナ(文字)と、
そして、譜面を読むということの3つを同時に処理することは、
のんびり娘の脳には難しかったのでしょうね。
だから、小学校中学校と、読譜を何とかしようと頑張っていた時には
すぐに混乱してわけがわからなくなってしまっていたのでしょう。
そのうちの二つが体にしみこみ、意識せずに動くようになって初めて。
「読譜」という作業だけに集中できるようになったような気がするのです。
さて、ひとしきりドレミを書きこんだのんびり娘に
「弾いて練習しなくていいの?」
と聞くと、
「いい。たぶん弾けるから。今日は寝る」
とのたもうた。
それも本当なんでしょうね。
ドレミがわかれば、それを音にする部分(指の動き)は
もうつながっているから、こちらはできちゃうのでしょう。
面白いなぁ・・・。
家(小学2年生男)もピアノを初めて2年半になります。といっても、のんびりですから、進みは遅々たるものですから。イライラするし、こんなもののために、毎月月謝払っているのかって思うとよく落ち込みますけど、最近やっと右手と左手のドの表記が違うこと(つまりト音記号とヘ音記号の違い)がわかり、楽譜はドから順番に読んでいけばいいんだということがわかったようです。わかってないということをこちらがわかるまでも時間がかかったし、それをどうやったら理解してくれるかと試行錯誤したしで、時間がかかったのですが、新しい曲を前にして自分楽譜を読んでいる姿を見ると、本当にうれしくなります。のんびり族の親は、こういうちょっとした成長がたまらなくうれしいんですよね。ほかの親にはわからないんでしょうけど。こんなちょっとうれしい話。期待しています。
息子さん、2年生にして既に楽譜読みを習得されたんですね。ゆーぞーさん、すごいなぁ。
「自分でできる」「自分で読める。」って、
息子さんも自信がついて、今、すごぉく楽しくなってるんじゃないかなって思います。
そういう姿が親として嬉しいんですよね。
のんびり娘と私も同じです。
「もはやこれまでか・・」
なんて思える時度をいつの間にか越え、
「あっ、また上ってる。」って思える時がふとやってくる。それが殊の外嬉しい。
で、またまた、
「もはや・・・」の時期に突入するという繰り返しですが・・(笑)
それでも、確実に成長はしているのだと、きた道を振り返りつつ噛みしめてます。