この地図は、国土地理院の2万5千分1地形図を複製・加工したものである。
笠佐島は小松港の西約2kmの海上にあり、地形は比較的穏やかである。柳井市新庄に
あった塩田で使用される薪の供給地であり、その後、石炭へと変遷すると島内の開墾が
始まったとされる。
島の由来は、昔、大畠の瀬戸に身を投げた般若姫に、笠を捧げたことから「笠捧げ島」
と呼ばれるようになり、現在の「笠佐島」になったと伝わる。(歩行約1.3km)
本土側連絡船乗り場は町立大島病院傍の小松港だが、運賃は往復220円である。
行政連絡船「かささ」は定員12名で、気さくな船長夫婦の運行で約7分の船旅だが、
流れ行く風景を楽しむことができる。
潮風をうけながら景色を楽しむと笠佐島港へ到着。水曜日のみ10時発があるが、船長
によると給食を運んでいた時代があって、それが今日まで引き継がれていると説明あり。
2020(令和2)年4月時点で10人が生活している島である。(現在は9人とか?)
笠佐島の港と家並み。
港に到着すると島を案内してくれるワンちゃんに出会う。
東海岸より柳井の琴石山と大畠瀬戸。
対岸に周防大島。
右手にS邸を見ながらワンちゃんの先導で山手に向かう。
港から山手に向かう途中に喚鐘があり、「天保壬寅七月(1842)‥道場‥」の刻字が見え
るが、寺の鐘ではないようだが時鐘だったのだろうか。
製塩燃料として石炭が用いられるようになると、小松志佐村の中村という武士が農民た
ちをこの島に住まわせて開墾させたという。 宝暦年間(1751-1764)に限られた土地利用
について工夫がなされ、35坪以上は増さぬようにし、分家は島外に出したとのこと。
小規模な田畑と漁業で生活が営まれてきたようだが、今は担い手不足で水田は無くなり、
港にわずかな漁船と、年寄りが耕やす自給の畑が人の気配を感じさせる。
島にはお寺がないが、島民にとっては大事な笠佐八幡宮。神社のご神体は阿弥陀如来だ
そうで、伝説によると、阿弥陀如来を子供たちが持ち出して、小川で水や砂をかけて遊ん
だという。集落の爺が「ばちがあたるぞ」と取り上げて神殿におさめた。
ところがその夜、爺の枕元に「楽しく子供たちと遊んでいたのに、いらぬおせわをして
くれた」とおっしゃった。そのためか金箔もはげて、白木の肌をあらわしているという。
何人を案内したのか場所をよく知っている。
神社から民家までは草が被さるが、島にはマムシがいないとのことで安心して歩ける。
道は水路に沿っているようだが、廃道になっているので屋敷地内を通行させていただく。
(ほとんどが空家)
家に表札はあるものの無住である。
堤防跡のような痕跡が残る。
海水はきれいで砂浜もあって海水浴ができそうだ。
島内はすべて軽トラで車検とは無縁のようだ。
島を周回できる道には、竹やぶや畑、途中にはビーチもあってのんびり散歩ができるそ
うだが、1~1.5時間必要とのことで今回は残念する。
少し上がれば大島大橋を一望できる。
1933(昭和8)年まで笠佐島分教場があったが、人に会えず跡地の確認はできず。(山
は屋代島の飯の山)
島には商店も自販機もないが、2010(平成22)年3月にオープンした漁家民宿「かさ
さ」がある。
2時間という短い滞在時間だったが、ワンちゃんが同行してくれて楽しい島旅であった。
(ワンちゃんは民宿の家族だそうだ)
笠佐島の面積は0.83㎢で、標高115mの高尾山があり、東側海岸に砂浜があるが、
南側は険しい地形をなしている。
島民の方は屋代島に車を置かれているようで、ここから小松あるいは本土へ出かけられ
ている。郵便局員は大変で12時の便で島に渡って大急ぎで配達を済ませ、12時10分
の便で戻ってくるというあわただしさである。