ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

安芸太田町の加計はたたら製鉄と物資集散の地 

2020年03月20日 | 広島県

           
        この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 令元情複 第546号)
         加計(かけ)は太田川の上流域の山間部に位置し 、支流丁川(よろがわ)と滝山川が地内を流
        れる。昭和初期まで舟運で栄え、1970(昭和45)年代までは山県郡の中心地と賑わった
        町である。
         地名の由来は、川舟交通の要衝であったことから、舟を繋ぐということを「かける」に
        ちなむと思われる。(歩行約4.3㎞)

           
         太田川交流館でいただいた市街地マップ。

           
         加計中央バス停横には評判の「たい焼き・よしお」があり、多くの人が買い求めている。

           
         JR加計駅があった駅前広場の中央には、ホームの一部がモニュメントとして残されて
        いる。ホームは島式で4本の引き込み線などがあったが、廃線後は広い駐車場となった。

           
           
         1969(昭和44)年に加計ー三段峡が開業し可部線は全通したが、2003(平成15)年に
        12月1日利用客減少で可部ー三段峡間が廃止された。(あり日の駅舎と駅構内)

           
         加計小学校前には100mほどの線路と、車両1両分(キハ28)と小型の枕木交換機(K
        HR・106A)が庫に保存されている。キハ28保存会所有のようで、イベント時に動
        かしているそうだ。

           
         昔の学校校舎を思わせるような建物は検察の建物で、反対側には裁判所があったとされ
        る。現在はお年寄りや子供たち遊べる「遊ゆう加計」となっている。

           
         街道筋と思わせるような通りである。

           
         見上げれば街路灯にイラストが設置され、鉄作り、モリアオガエル、神楽の面、蛍、酒
        造りなどが描かれている。

           
         駅通りを横断して旧加計町役場を過ごすと、月ヶ瀬公園への案内がある。

           
         公園内より可部線鉄橋。

           
         鉄橋は歩くことができる。

           
         丁川(よろがわ)には太田川舟運の名残をとどめる船着き場跡がある。(加計ショピングセ
        ンター側より)

           
         加計佐々木家は町の中で威容を誇り、裏木戸には受け継がれている「加計八右衛門」の
        表札が掲げられている。

           
         国道433号線に合わす。

           
         永代橋の袂にあった加計旅館は廃業されているようだ。

           
         丁川には清流に生息するカワセミ、ヤマセミの野鳥が見られるとか。

           
         加計燃料前から丁川に沿う集落。

           
         今寿寺は丁川を背に狭い旧道に面して建っているが、ここに移ってきてまだ5
5年足ら
        ずの四間四面の小さなお寺である。
         もとは旧筒賀村野竹にあったそうだが、1963(昭和38)年の豪雪で村が消滅。やむを
        得ず現在地に移転したが、周囲の寺の反対を受け、四面楚歌の中で寺は再建される。その
        後は村八分的に取り扱われ、門徒は1軒もない寺となる。

           
         丁川に架かる鎧橋を渡って右岸を歩くことができるが、集落もないので引き返す。

           
         長尾神社の本殿は約280年前の江戸中期に再建され、熊野本宮大社と同じ春日造りで
        ある。拝殿の様式は厳島神社、吉備津神社などに見られる形式で、厳島神社との関係の深
        さを知ることができる。

           
         加計の隅屋佐々木家は、この地方の土豪であった。最盛期には、タタラ、鍛屋、酒造場
        などを手掛け、天保年間(1830-1844)には中国地方最大の鉄師となった。

           
         日新林業加計出張所は旧加計銀行、旧広島銀行加計支店だった建物で、1921(大正
          10)年に建てられた土蔵造の町家型式である。

           
         商家に挟まれた胡子神社。

           
         路地西隣にある絵画館。

           
         1954(昭和29)年可部線の終着駅として開業し、北端の拠点駅となったが廃線ととも
        に人の流れが変ったようだ。

           
         1887(明治20)年代から商店街として発展し始め、市が立つなど物資集散の拠点とし
        て賑わう。(花・お茶・仏具の芸北園さん)
 

           
         中心部は「本郷」と呼ばれ、江戸時代には太田川舟運で加計地方の産物が広島へと出荷
        される河港町であった。

           
         ツツジの上にモリアオガエル、外周に町章をデザインした旧加計町のマンホール蓋。

           
         常禅寺の鐘楼門は真宗に顕著な様式といわれ、18世紀中頃に建築された。境内には天
        保の大飢饉の犠牲者の墓や寺子屋跡など、寺が町に果たしてきた役割がよくわかるという。


           
         酒洞の館さんの壁には鏝絵のような樽酒のリレーフが3つ描かれている。

           
         加計街道や雲石往還と呼ばれる道も少し曲線を描いている。

           
         「きっちんたまがわ」より西筋。

           
         鍛冶工房金床(かなとこ)は、家庭で使う包丁や鎌などの農具や漁具などの刃物を手がける
        鍛冶屋さんで、「野鍛冶」を生業とされている。

           
         長尾神社から滝山川の中祖橋までの約700mが町筋。

           
         鍛冶屋館から街道筋と思われる道を上がって行くと、元学校だったような造りの「加計
        町青少年の家」がある。役目を終えたのか現在は民具資料収蔵庫となっている。
 

           
         少し戻って左手の急坂を上って行くと、加計の町並みが見えてくる。

           
         着天神社(天神社)の創建年代は不詳だが、由緒によると、当地開拓の事
業が成就したの
        で神の恵みに感謝していると、森畑の地にある老杉の枝に御幣が降りかかったという。そ
        の森を着の森と呼び祠を着森大神と称したが、後に現在地へ遷座させた際、現社名に改め
        たとある。

           
         峠を越えて下ると吉水(よしみず)園。

           
         江戸期の1781(天明元)年加計隅屋16代当主・佐々木八右衛門正任が、この辺りの景
        観と地形に着目して山荘として建設したものである。
 

           
         普段は非公開で春と秋の2週末に一般公開されるが、「江戸モミジ」と呼ばれる紅葉を
        楽しみことができる。(2017.11.23撮影) 

           
         百句苑(ひゃっくえん)は郷土の俳人・後燈明俊治(浪風)が、1986(昭和61)年に創設し
        た「俳句の庭」である。

           
         ここからも加計の町並みが眺望できる。

           
         源田実(1904-1989)は酒造・農業を営む源田春七の次男としてこの地に生まれる。海軍兵
                学校を卒業して大佐で終戦を迎えるが、自衛隊では初代航空幕僚長を務め、ブルーインパ
        ルスを創設する。参議院議員を4期務め、晩年は厚木市の自宅で過ごすも体調を崩し、海
        軍航空隊の司令として松山に着任した思い出の地で逝去する。

           
         木炭自動車の館(本日休館)を過ごすと国道(街道)に出る。15時57分のバス
に乗車し
        て、17時45分過ぎに広島バスセンターに戻る。


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