ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

宇佐市の安心院に素朴な願いなどが込められた鏝絵 

2022年05月19日 | 大分県

        
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         安心院(あじむ)は駅館(やっかん)川上流の津房川、その支流である新貝川との合流点に形成
        された盆地に位置する。
         安心院の地名については諸説あるようで、葦の生い茂るところの意の葦生とか、海人族
        である阿雲(あずみ)説があるが定かでない。「扶養略記」には奈良期の720年、宇佐公比
        古が勅命により荵狭川上流にいた鼻垂という賊を討伐したことから、安心して居住できる
        ようになったので「あじむ」に「安心」の字を当てたともいう。院は九州各地にみえる古
        代院倉の名残とされ、のちの荘に相当する。

        
         安心院観光協会にある「七福神」

        
         安心院総合支所の「踊る大黒」。もとは安心院町舟板の佐藤家にあったもので、191
        0(明治43)年作。

        
         安心院総合支所から国道500号線を院内方面へ向かう。1911(明治44)年日出生(ひ
          じゅう)
鉄道が創設され、1917(大正6)年善光寺から三又まで、後に二日市(院内)まで延
                伸された。
         当初計画
は陸軍日出生台演習場を貫通して豊後森に至る予定であったが、赤字のため安
        心院村まで
敷設されることなく、1953(昭和28)年全線廃止となる。

        
        
         ライオンズクラブ事務所の「滝と馬」、古荘医院にある「ジキタリス(和名は狐の手袋)」
        の鏝絵を過ごすと、
県立安心院高校の校門に「松と鷹」。この鏝絵は安心院町大地区の衛
        藤家にあったもので、家屋の取り壊しで移設された。「松」は不老長寿、「鷹」は飛翔、
        前進の願いが込められているそうだ。(製作年代は明治期)          

        
         
ータス伊藤の向い側にある「鯛釣り恵比須」は、めでたい鯛を今まさに釣り上げる瞬
        間を鏝絵にしたも
ので、安心院町船板の白佐家にあったものが移設されている。(1910
          (明治43)年作)。


        
         明治期に制作された「鶴と亀」は、不老長寿の象徴でもある。もと安心院町筌ノ口の筌
        口家の主屋戸袋にあったものとされる。

        
        
         〆野家だが現在はこの有様で鏝絵を見ることができない。明治初年に主屋の妻壁に“水”
        の文字と菖蒲」が制作されたが、水は防火の願いがあり、端午の節句には菖蒲が用いられ
        「菖蒲の節句」とも呼ばれた。男の子の無病息災と一族の繁栄を願って飾ったとされる。
        (2010年撮影)

        
        
         民家喫茶志め乃亭の「百華草庵」

        
         1887(明治20)年代制作の「松と鷹」は、院内町の佐藤家の2階戸袋にあったもの。

        
         1925(昭和初期)年頃に制作された「招き猫」。左手は「お客さんいらっしゃい」、右
        手は「お金を持っていらっしゃい」と対になっていたそうで、相棒の左手猫は県立博物館
        に所蔵されているとか。

        
         中央にブドウ、外周にハナショウブがデザインされた旧安心院町のマンホール蓋。

        
        
         平松理容院の「松と猪」、岸田パンの「布袋と水」の先に、2004(平成16)年に制作
        された豊田家の「豊穣の田」は、豊田さんが安心院町の農業委員会の委員長だった所以の
        鏝絵である。

        
        
         かわのさんは農機具の商売をされていたとのことで、昔懐かしい発動機と大きな槌を持
        つ大黒様が描かれている。

        
               鏝絵通りのシンボル的存在の重松家。祖先は庄屋をされていたとのことで、大工を京都
        に派遣して、宮造りの勉強をさせた後に建築したという。2階部分は天守閣のようになっ
        ている。

        
         重松家の鏝絵は、1884(明治17)年に制作されたもので、4つの鏝絵がある。道筋に
        ある「富士山」は日本一の山であり、「豊後富士」でもあるとか。

        
         「虎」は東南アジア最強の猛獣で、強い力で魔物を寄せつけない魔除けのシンボル。

        
         「龍」は水と火除けの神様。

        
         「三階松」は重松家の家紋。

        
         1712(正徳2)年創業の縣屋(あがたや)酒造。

        
         「毘沙門天・弁財天・布袋」(2004年制作)は、大きな樽で麹を混ぜている毘沙門天、
        酒を酌み交わす弁財天と布袋。

        
         このような形状のトタン屋根が残っている。

        
        
         賀来家の主屋妻壁にある鏝絵は、1887(明治20)年代に制作された「唐獅子と竹」。
        唐獅子は百獣の王・ライオンのことで、文珠菩薩の使いとされ、竹は冬の寒さに耐えて緑
        の葉を保つことから、松・梅とともに「歳寒の三友」とされ、吉祥であるとされている。

        
         1890(明治23)年制作の「一富士、二鷹、三茄子」は、安心院町大仏の上鶴家の蔵に
        あったものが、よこいよ公園に移設されている。

        
         よこいよ公園から憩いの広場への通り。 

        
         1895(明治28)年制作の「恵比寿・大黒・鯛の三番曳」。文楽の三番曳は、猿が舞う    
        めでたい踊りだが、この鏝絵は恵比寿さんが鯛に踊らされている。(佐藤家)

        
         ファッションコア河野には2つの鏝絵。上段には2001(平成13)年作の「恵比寿と弁
        財天」と玄関に「十二単」。

        
        
         木に隠れて見えない場所に鏝絵。2004(平成16)年に制作されたやまさ旅館の「東椎
        屋の滝のぼりの鯉とスッポン」。日本滝百選の東椎屋の滝を力強く登る鯉、ほとばしる飛
        沫、首をすくめるスッポンが描かれている。やまさ旅館は「スッポン料理」で有名。

        
         スッポンが描かれた旧安心院町のマンホール蓋。湧き出る温泉を利用してスッポンの養
        殖も行われているとか。

        
        
         1887(明治20)年代作の「竹に虎」は、同地区の勝見家の主屋妻壁にあったもので、
        猫のように見える虎とのこと。(佐藤家) 

        
        
         2004(平成16)年制作の「分福茶釜」は、文福茶釜の話をもとに茶釜に化けた狸が綱
        渡りをしている。(お茶の渡辺園)

        
         憩いの広場(🚻)にある「家紋・波兎」は、明治期に作られたもので、波は水の意匠で火
        事除け祈願、兎は月の精で陰(水)を表すともいう。いつも多産で安産なところから安産の
        シンボルとされ、子孫繁栄を祈願するものとされる。

        
         最明寺(曹洞宗)の由来によると、北条時頼が1256年(鎌倉中期)に出家し、諸国を間
        行(かんこう)すること8年、1256年当地を仏道有縁の地とする。この地を去るにあたっ
        て三女神社の神宮寺を替えて最明寺としたとある。

        
         五輪塔は開基とされる恵日入道の墓とされ、総高1.06mで水輪に「正元元年(1259)巳
        未5月2日」と印刻されている。(県指定文化財)

        
         上鶴家の「松と鶴」は、姓に因んで「鶴」、文字は「樹上双棲丹頂鶴」。(1998(平
        成10)年作)

        

        
         駐車地から約100mの山道(車での通行可)を進むと曹洞宗の妙菴寺(みょうあんじ)

        
         本堂に上がると左右の欄間に「蓮の花」の鏝絵がある。蓮の花が蕾から開花し、散るま
        での一生が描かれている。町内の鏝絵で室内にあるのは同寺のみで、1903(明治36)
        作とされる。

        
         細川幸隆は細川藤孝(幽斎)の3男として生まれ、僧にさせられたが、父の命で還俗して
        細川家に戻る。関ケ原の戦いでは東軍に参加し、兄たちの留守を父と共に丹後田辺城で戦
        う。
         細川忠興とは同母弟(いろせ)で、忠興が豊前国を拝領すると、1603(慶長8)年に龍王
        城主となり1万石が与えられたが、1607(慶長12)年37歳で死去、ここ妙菴寺に葬ら
        れた。(廟所は1889年建立)

        
        
         大江家の「鷲」は、梅の木に大きな鷲がとまっている。「家内安全」「祈願成就」の願
        いが込められた鏝絵とされる。(1887(明治20)年作)

        
        
         古荘家住宅は1882(明治15)年築とされ、「朝顔と稲妻」の鏝絵も同時に設置された。
        ぶん回し呼ばれるコンパスで朝顔の花を描き、上部に雲、下に波と水でまとめたものにな
        っている。朝顔は蔓が延び花がたくさん咲くので、子孫繁栄に繋がるとされる。

        
        
         上田家の切妻壁に、虎と岩と2本の折れ釘が施されている。「折れ釘」は壁の仕事をす
        る時に、材木を載せる足場だったり、梯子をかけたりするための金具でもあった。(189
        8(明治31)年作)

        
        
        
         大地区のメイン通り

        
         衛藤家の土蔵妻壁に「瓜」。瓜は真中が中空なので、仙人の棲む壺中天に通じるとされ
        る。

        
         山村家の主屋戸袋にある「浦島太郎」は、1880(明治13)年頃作。玉手箱を開いたら
        老人になったという昔話だが、長寿の祈願が込められているという。

        
         岩尾家の主屋戸袋にある「雁に人」は、1887(明治20)年代作。

        
         1923(大正12)年深見川に架橋された今井橋は、旧安心院町の道路橋としては唯一の
        三連アーチ橋。   


宇佐市の院内で石橋探しを満喫 

2022年05月19日 | 大分県

                 
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         院内(いんない)は北流する駅館(やっかん)川の支流である恵良川流域と、その支谷に沿って
        山間に細長い河岸平野を形成している。地名の由来は、安心院(あじむ)の内の意か。
         JR中津駅前から大分交通安心院支所行き約1時間、「道の駅いんない」で下車するこ
        とは可能だが、橋のある地が広範囲で徒歩での散策は不可能である。レンタサイクルも用
        意されているが、ポイントには駐車地もあるようなので車で訪れる。


        
         道の駅「いんない」近くにある荒瀬橋は、1913(大正2)年に架設された。長い橋脚と
        美しい2連のアーチを描くこの橋は、橋高(18.3m)が院内地域の中で最高の高さを誇る。
        石工松田新之助が県の工事を請け負ったが、負債が大きかったため、しばらくは有料とさ
        れた。これは大分県内の有料橋としては第1号である。(説明より)

        
         趣のあるトタン屋根。

        
         水雲(すのり)橋は国登録有形文化財だが、石橋付近から橋を見ることができない。(JA
        おおいた院内SS先の空地に駐車)

        
         水雲橋は、1927(昭和2)年に架設されたもので、橋脚の高さが17.2mで、院内で
        は2番目に高いとされる。(下流の大橋から)

        
         久地(きゅうち)橋へは国道筋の原口公民館に駐車して、国道500号線を進むと道標があ
        る。

        
        
         日岳川に架かる久地橋は、明治初期の架設とされ、両端に大きな桁石を2本並べ、その
        上に重厚な板石16枚を並べた珍しい橋である。

        
         富士見橋は、橋上から豊後富士(由布岳)が遠くに見えることからこの名が付けられた。

        
         細く長い橋脚を持つ荒瀬橋や鳥居橋とは異なり、太い橋脚から重厚感を醸し出している。
        1924(大正13)年工事半ばに崩落したそうで、翌年、石工の松田新之助が意地と信念に
        より、私財を投じて完成させている。

            
        
         旧県道に架かる鷹岩橋は、院内で最も長い27mの径間を持つ橋で、架設以来、日出生
        台演習台に続く道として活躍した。(国登録有形文化財・駐車地あり)

        
         国道筋の人家にある鏝絵。

        
         分寺(ふじ)橋は大正期に架設されたが、1945(昭和20)年に改修された3連のアーチ橋。
        戦争中に改修されたにも関わらず、均整に彫刻された石が丁寧に積み上げられている。

        
         両合(りょうあい)棚田の広がるのどかな風景にとけ込んだ両合川橋は、小平と滝貞の谷川
        が合流する地にある。1925(大正14)年10月に架設される。(国登録有形文化財)

                
         「道の駅いんない」まで戻って県道664号線(円座中津線)線に通じる道に入る。「い
        んない石橋マップ」はイラストマップのため、土地勘がないものにとっては宝探しをして
        いるような感覚になる。        

        
        
         高並川に架かる橋詰水路橋は、江戸末期頃に水路橋として架けられたといわれている。
        水路橋と道路を兼ねており、拱環石は少し加工されているものの、側壁は自然石を使用し
        ており、町内に
7基の水路橋があるそうだが、その1つである。(県道664号沿いに駐
        車地あり。国登録有形文化財)

        
         県道664号沿いにある永原橋。

        
         打上橋は、1863(文久3)年に架設された宇佐市に現存するものでは最古の石橋。この
        橋の下に昭和初期に架設された水路が架かっている。(展望所があり駐車可)

        
         国道387号の旧道に架かる櫛野橋は、1923(大正12)年日出生台演習場に向かう軍
        の車両が通行できる石橋に架け替えられたといわれる。(国登録有形文化財。近くの路肩に
        駐車)

        
         櫛野橋の東詰めに「櫛野城」に関する案内板と石碑がある。天文年中(1532-1554)に櫛野
        茂晴によって、平地に塀をめぐらした平城が築かれたが、1589(天正17)年豊臣時代と
        なり、豊前国主・黒田長政により城は破却されたとある。

        
         一対の狛犬が設置されているが、古代オリエントに起源を有する狛犬は、その原型はラ
        イオンであると云われ、長い歳月を経てインドから中国に伝わり、王権や皇帝を守護する
        霊獣として定着する。日本には平安末期、中国から朝鮮半島を経て伝わり狛犬になったと
        いわれる。

        
         香下(こうした)神社の由緒によると、奈良期の719年法連和尚が化生山で修行したとき、
        妙見山上に主祭神の輝く尊い姿を感じたので山上にお祀りして、この山を妙見山と名付け、
        それからは女人禁制とされた。その後、山の中腹に移し祀られたと記す。ここに神橋が3
        つあるとされるが、見つけ出すことができず。 

        
         鳥居橋入口に両川(ふたかわ)小学校の校門と蒸気機関車の車輪が置かれている。学校は現
        在の高速道路出入口付近にあったようだが、1987(昭和62)年高並小学校と統合して院
        内北部小学校となる。

        
        
         鳥居橋は、1916(大正5)年に架設されたが、優雅な橋脚から「石橋の貴婦人」と呼ば
        れ、院内を代表する石橋である。橋名はこの地区の小字の鳥居原から採られている。
         1951(昭和26)年10月、町内242戸の家屋を全壊流失させたルース台風をはじめ、
        幾度にわたる洪水に耐えた石橋である。(橋の東詰に駐車地)

        
        
         一の橋は山神社への参道で、北山川に架かる石橋。規模は小さいが側壁に自然石を使用
        している。(路肩に駐車可能)

        
         石橋と町の花だったシャクナゲがデザインされた旧院内町のマンホール蓋。

        
        
         御沓(みくつ)橋は橋の長さが59mもあり、町内最長を誇る3連アーチ橋は、1925
        (大正14)年に架設された。

        
         福厳寺羅漢橋は本堂右側に十王石像や羅漢像を祀る閣魔堂があり、その参道として架け
        られた橋。長さ3mと小さいものである。(これ以降は2010年撮影)