ファントム・競馬チャンネル

さっぽろファントムの競馬予想
競馬歴30数年の経験を元に書いてます。
2歳戦予想しません。

世界の壁、ハーツクライ3着

2006-07-30 14:20:28 | 競馬(海外)
英国・アスコット競馬場で行われた
第56回キングジョージVI&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークスで
日本馬のハーツクライは、接戦の末、3着に終わった。

レース前は、勝てそうな雰囲気だったのだが、やはり世界の一流馬は、素晴らしい勝負根性を持っている。

勝ったハリケーンランは、昨年の凱旋門賞馬で、欧州の年度代表馬にも選ばれている現在世界最強の馬だ。
このレースでも一番人気に支持され、まさに勝つべきして勝った感がある。
いや、強い。

ハーツクライが、残り200Mで先頭に立ったが、
ハリケーンランは、インを突いて、そこから一気に加速して来た。
あと100Mのところで、完全に突き抜ける格好になってしまったが、
ハーツクライは、そこで脚が上がってしまっていた。スタミナ切れか・・・。

しかし、もっとも驚くべき馬は、2着を死守したエレクトロキューショニストだ。
一旦は、ハーツクライに交わされて勝負あったかに見えたが、残り100Mで再びハーツクライに並びかけ、交わしてしまうのだから、恐れ入った。
最後は、ハリケーンランに半馬身まで詰め寄っている。

ハーツクライも3着とは言え、一杯になりながらも、最後まで闘志を見せて踏ん張っていた。
半馬身、半馬身、の3着なら大健闘と言えるだろう。

それにしても、見応えのあるレースだった。
ニジンスキーが勝ったとき以来の少頭数(6頭)ということだが、
その時に比肩する馬たちであったことと信じたい。

負担重量も、全馬が60.3kgだ。
そういう中での、このハーツクライの好走は、十分に価値のあるものであると思う。

このあとは、日本に戻って来て、天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念のローテーションになるのだろうが、堂々たる主役になることは間違い無さそうだ。


さて、そうなると、今回の無念を晴らしてくれるのは、やはりディープインパクトになる。
凱旋門賞には、ハリケーンランもエレクトロキューショニストも出てくる。

世界的には、ベールに包まれているその破壊的な走りが、ロンシャン競馬場で炸裂する時、世界の競馬界を、まさに、深い衝撃に落とし入れる事が出来るだろう。

その瞬間まで、あと2ヶ月あまりだ。
コメント (6)
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小倉記念

2006-07-29 15:34:45 | 競馬(レース予想)
第42回 小倉記念(サマー2000シリーズ)

◎ 4番コンゴウリキシオー
○ 1番メイショウカイドウ
▲ 9番サンレイジャスパー
△11番ツルマルヨカニセ

>>>>>>>>>>>>>>>>>
結果

 1着 12番スウィフトカレント
 2着  3番ヴィータローザ
 3着  5番ニホンピロキース
 4着▲ 9番サンレイジャスパー  
 5着◎ 4番コンゴウリキシオー
 6着○ 1番メイショウカイドウ

 9着△11番ツルマルヨカニセ

当たりまへんな・・・
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オイラ的名曲案内 第11回 マーラー「復活」

2006-07-28 22:27:07 | オイラ的名曲案内
マーラーの交響曲第2番には、「復活」というサブタイトルが付いていますが、これは通称であり、マーラー自身が名付けたものではありません。

曲名の由来は、第5楽章の合唱部分に用いられた、クロプシュトックの「復活」という賛歌に、マーラー自身が加筆した詩から来ているものである。

よって、きわめて宗教的(ユダヤ教)な趣があるが、
普遍的な、神による恩恵に溢れたエンディングは、荘厳であり、感動的です。

アメリカの実業家(出版社社長)は、この曲を初めて聴いたときに、大変な衝撃を受け、ほとんど独学でこの曲のスコアをマスターし、オーケストラを雇い、コンサート会場を借り切って、演奏会を開くまでになったそうです。

その後、今日では、この曲のスペシャリストとして、世界各地で演奏会に招かれ、指揮しているほか、CDなども出しているのです。

この曲しか演奏出来ないにもかかわらず、その評価は、かなり高いそうですが、残念ながら、オイラは未聴です。

まあ、お金持ちの道楽とはいえ、一人の人間をここまで熱くする何かが、この「復活」には、確かにあると思います。
感動すること、請け合いの名曲です。

先日、病から復帰した小沢征爾氏の最初の演目が、この「復活」であったことは、本人いわく、悪い冗談にもならないとのことでしたが、世界的な指揮者故、話題には事欠きませんね。

この曲は、ほとんどの指揮者が90分を超えた演奏時間になる大曲ですが、
クレンペラー指揮/フィルハーモニアOのCDは、丁度一枚に収まっており、オイラも愛聴しております。

他、バーンスタイン/ニューヨークPOによる新盤(’87年)など、名盤多数あります。
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競馬の記憶 第38回 サクラスターオー

2006-07-25 23:12:14 | 競馬(思い出)
7戦4勝のこの馬には、結構多くのファンがいる。

5戦目の皐月賞を勝ちながら、脚部不安(繋靭帯炎)でダービーに出られず、
6戦目の菊花賞を勝った時は、「奇跡」と言われた馬です。

オイラが26歳の時です。
この時のオイラは、アニメ「奇面組」の制作進行として、めちゃくちゃ忙しい日々を過ごしていました。
ハッキリ言って、競馬どころではなかったのです。

したがって、競馬中継は観ていましたが、馬券どころか、予想さえしていない状況でした。

「菊の季節に、サクラが満開!・・・」
確かに聞きました(笑)。

しかしながら、この馬に対しての印象は、ほとんどありません。

堂々たる2冠馬であるにもかかわらず、オイラにはその強さを知る余裕が無かったのです。

サクラスターオーは、菊花賞のあと、有馬記念に出てきました。
1番人気でした。
まあ、これといった有力馬が古馬には、いなかったということもあります。

2番人気がダイナアクトレスで、3番人気がその年のダービー馬メリーナイス。
4番人気がその年の牝馬2冠馬マックスビューティ、5番人気が前年のダービー馬ダイナガリバー。
こんなメンバーでした。

勝ったのは、前年の菊花賞馬メジロデュレン、10番人気でした。

今、こうやって書いているのは、別冊宝島を見ながらです・・・(爆)。

メリーナイスがスタート直後に落馬し、サクラスターオーは、3コーナーで故障発生・・・。

この年のクラシックホースは、呪われていたんじゃないか、そんな感じです。

この有馬記念も、予想することなく見ていました。

オイラが、サクラスターオーの人気と実力を実感したのは、治療のかいもなく逝ってしまったと、スポーツ紙の一面が報じていたのを見たときです。

サクラスターオーの父は、ダービー馬サクラショウリです。
だから、皐月賞と菊花賞を勝ったこの馬は、とっても親孝行な馬だと思います。
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函館記念

2006-07-22 19:26:10 | 競馬(レース予想)
函館記念

◎ 3番エリモハリアー
○ 2番ブルートルネード
▲ 7番マヤノライジン
△ 4番エアシェイディ

>>>>>>>>>>>>>>>>>>
結果

 1着◎ 3番エリモハリアー
 2着△ 4番エアシェイディ
 3着▲ 7番マヤノライジン
 4着 15番アスクジュビリー
 5着  8番シェイクマイハート
 6着○ 2番ブルートルネード

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強い馬を観る楽しみ

2006-07-16 23:59:05 | 競馬(その他)
通常、「最強馬」と言う表現は、クラシックレースでの、その世代の枠組みに用いられるものです。

もちろん、ディープインパクトのように、世代を越えた馬の場合もありますが、まずは、2歳のデビューから、その強さを誇示し続けなければならないのです。

しかしながら、毎年毎年、「最強馬」が出てくるわけではありません。
たとえば、今年・・・。
メイショウサムソンは、現時点で「皐月賞」「ダービー」の2冠を制していますが、その強さは、「最強馬」であるとは、認識されていません。

いや、確かにメイショウサムソンは、現3歳世代では、強い馬です。
先行して、そのまま押し切るのですから、強い馬に違いは無いのです。

不幸(?)にして、昨年のディープインパクトの影響があるのです。

つまり、「最強馬」になる為には、それなりのパフォーマンスが必要です。

まず第一に、「三冠馬」になることでしょう。
あるいは、連勝を続ける事も、その一つです。

しかし、たった一つのレースの勝ち方が、一瞬にしてその馬を「最強馬」に仕立て上げてしまいます。

たとえば、アグネスタキオン。
ラジオたんぱ杯2歳ステークスにおいて、3コーナーから一気に捲くって行く、あの脚色は、その強さを存分に見せ付けました。

ディープインパクトも、天皇賞や、宝塚記念で同じようなパフォーマンスを魅せつけてくれました。いや、彼の場合は、それ以上の強烈なインパクトを我々に、その名を示すかのように与えてくれました。

圧倒的なスピードで逃げ切る馬も、それなりに強さを認識させてくれるのですが、やはり、破天荒な、他馬がけっして真似の出来ないようなレース振りを見ることは、感動的ですらあります。

エルコンドルパサーや、キングカメハメハのNHKマイルカップでのパフォーマンスも、以降の活躍を予見するに十分なものです。

東京コースの1600Mで、あのような勝ち方のできる馬は、東京の2400Mなら十分通用するのです。

エルコンドルパサーの活躍を見れば、ディープインパクトの凱旋門賞での活躍は、かなりの度合いで期待できると考えます。

また、29日に英国のキングジョージ&クイーンエリザベスDSに出走するハーツクライのレース振りも、今後の日本馬の道標となり、我々の競馬を観る目をワンランク上げてくれるものと期待しているのです。
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アイビスサマーダッシュ

2006-07-15 17:45:55 | 競馬(レース予想)
第6回 アイビスサマーダッシュ

◎ 2番ダイワメンフィス
○10番マリンフェスタ
▲14番レイズアンドコール
☆ 6番ホーマンテキーラ
△ 9番ステキシンスケクン

>>>>>>>>>>>>>>>>>
結果

 1着 13番サチノスイーティー
 2着○10番マリンフェスタ
 3着▲14番レイズアンドコール
 4着☆ 6番ホーマンテキーラ
 5着◎ 2番ダイワメンフィス

12着△ 9番ステキシンスケクン
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オイラ的名曲案内 第10回 「レニングラード」

2006-07-14 18:59:00 | オイラ的名曲案内
ショスタコーヴィチの交響曲第7番は、「レニングラード市に捧ぐ」という副題がついている。
通常「レニングラード」と呼ばれ、某栄養ドリンクのCMで、ハリウッドの大物俳優に「チチン、ブイブイ」と言わせたシーンの背景に掛っていた音楽が、これである。
作曲当時は、第2次世界大戦の真っ只中で、初演は、国威発揚のために、盛大に行われ、また、その様子は、世界に向けてラジオ中継された。

その中継を聴いていた、ハンガリーの作曲家バルトークは、この曲の例の一節(チチン、ブイブイに合わせられた部分)を自作(管弦楽のための協奏曲)に引用して、ショスタコーヴィチを「茶化す」ようなことをしている。

初演は大成功裏に終わり、ソ連共産党は、曲の出来具合には満足していたようだ。

しかしながら、この曲は、共産主義や、ソ連の体制を賛美する意図で作られたわけでは、もちろんない。

第1楽章では、敵軍の侵攻や、迎え撃つ戦闘シーンの描写を連想させる。
しかし、真の意図は不明で、
ショスタコーヴィチ自身は、極めて普遍的なテーマに基づいて作曲していとものと思われる。
特に、第3楽章などは、悲痛な祈りに似た感情が、曲想から伺えるのではないだろうか?

フィナーレは、勝利の凱歌で力強く締めくくられるが、それは、ソ連の勝利ではなく、あまねく、人類の英知に対する期待を込めたものであると考えて差し支えないだろう。

ヤンソンス指揮/レニングラードPO盤の演奏を愛聴しております。
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速報、セレクトセール、出た!6億円馬

2006-07-11 14:16:04 | 競馬(その他)
上場馬番号、271
トゥザヴィクトリーの2006/牝(父キングカメハメハ)が、6億円で落札!

http://www.dosanko.co.jp/selectsale/

https://www.fusaichi.net/member/f_live.php

http://www.netkeiba.com/news/?pid=news_view&no=14629&category=D
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競馬の記憶 第37回 トウショウボーイ(後編)

2006-07-10 22:37:53 | 競馬(思い出)
続きです。・・・(→)前編、  (→)中編

有馬記念快勝後、多少馬体に痛みが発生し、5ヶ月ほど、休養しました。

復帰戦は、宝塚記念です。

ライバル、テンポイントは、有馬記念後、休むことなく、京都記念、鳴尾記念と連勝し、その勢いのまま、春の天皇賞を制覇!悲願のタイトルを獲得して、再びトウショウボーイとの対戦に意欲を燃やしていました。

しかし、トウショウボーイは、強かった。
テンポイントの追撃を3/4馬身振り切って、逃げ切り、テンポイント陣営に地団駄を踏ませました。

そして、当時は夏の中京の名レース、高松宮杯(当時2000M戦)に進み、不良馬場にもかかわらず、なんと62kgの斤量を背負い、2分03秒8というタイムで、快勝!
まさに日本最強馬の名を欲しいままにして行くのです。

ところが、
このあと、レースでの負担が響いたのか、脚部に不安が出て、4ヶ月の休養。

だが、それもものかは、秋の天皇賞前のひと叩きで出走した1600Mのオープン戦では、裸同然の定量の58kgを活かして、1分33秒6の、当時のレコードを更新、磐石の態勢で天皇賞へ臨みました。

が・・・、
結果はホクトボーイの7着と、はじめての惨敗。
同じテスコボーイ産駒に負けてしまいました。
やはり、長距離は苦手だったようです。

この年限りで引退を表明していたトウショウボーイの最後のレースは、
今も語り草になっている、テンポイントとの死闘を演じた有馬記念でした。

テンポイント陣営の執念は、凄まじいもので、小川調教師は、打倒トウショウボーイと公言し、勝つまでは夜も眠れない、と談話するほどでしたので、最後の対戦となる、この有馬記念は、ファンも二分した、まさに一騎討ちムードでした。

実は、このレースには、無敗の快速馬、あのマルゼンスキーも出走予定だったのですが、残念ながら、故障の為、そのまま引退してしまいました。

さて、その有馬記念。
レースの前も一騎討ちなら、本番のレース自体も、まさに一騎討ちでした。
テンポイントと、トウショウボーイが、スタート直後から、お互いに先頭を競い合うように、入れ替わりを繰り返し、先頭で直線に入ったテンポイントが、そのままの差を保ったまま、ゴールしたのです。

3着には、グリーングラスが入りました。

引退後のトウショウボーイは、受胎も良く、そこそこ走る子馬を出していたので、
牧場仲間の間では、「お助けボーイ」と呼ばれていたそうです。
代表産駒に、3冠馬ミスターシービーや、ダイイチルビーを輩出し、現役時代にもまして、競馬界に貢献していたのです。

おわり。
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